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だれに届けるか

表現は何のため?

表現は何のため?
そんなこと・・・自分ではあまり考えたことがありません。
というか、考える余裕がないというのが妥当な答えかもしれません。
私の場合、日常のほとんどは表現とは無関係な仕事に就いています。
でも、だからといって不満はありません。
もちろん制作の時間が健康を害さないと取れないなんてことになれば
考えますが。今はそれほどではありません。
人は、家事や仕事、制作や余暇など、様々なことに就いているとき、
自分のプロデュースであったり、ケアだったり、自分を主体に置き、行為に没頭しているのだと思います。私もそうです。
何のためなんて考える必要なんてあるものでしょうか。

その向こうに人がいる

私はある時思いました。
仕事でもなんでもそうですが「あの人のためにがんばろう」とか
「あの人のためならがまんしよう」など、
仕事のつらさは案外人で判断していることがあるんだなあ。
ということに気づいたことがありました。
作品なら「この人が観てくれているから」とか。
つまり、誰に届いているかが大切なということではないでしょうか。

「みんな」ではなく「だれに」が大切

いつも思います。
中には、より多くの人に理解してもらったり
フォロワーの数が大切とか言われる方がいるのも理解できますが、
結局は数ではなく「どの人に観てもらったか」が大切ではないでしょうか。
逆に考えると、多くの人に理解されなくても、
信頼できる家族や友人だったり、信頼できるフォロワーに理解されれば
大丈夫。
最終は、理解されるのが自分であってもいいのだと思います。

さいごに

さいごに、イラストの会話を聞いていただきたいと思います。
シロクマのかんた「ことりさんは、だれにしってもらいたいの?」
ことり「そんなのわかってるじゃない。
あなたにしってもらえたらそれでいいの」


※ お忙しい中、お付き合いいただきありがとうございました。(乙崎)

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