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好きだからこそ、いろいろ考えてしまう

周りからすれば、ネガティブに思われるような内容を、noteでどう書いたらいいものか。

最近、よく考えていまして。

”自分の好きなように書いたらいい” が、きっと、結論なんだけれども。
なんだか、書くことに躊躇してしまっています。



何のためのnote?

noteでの発信に対して、2つの想いがあって。

自分のなかでは抱えきれないから、とにかく発散したい。
どんなにネガティブなことであっても、それが自分の現状。
だから、その状況を受け入れるために書きたい。
という想いと。

noteはただの日記じゃなくて、読んでくれる方がいる。
私からインタビューを受ける前に、”どんな方だろう?” と覗きに来てくれる方もいる。
だから、読んでくれる方が、心軽やかに読めて、気持ちがほんのり暖かくなる文章を発信したい。
という想いと。

本当は、バランスが取れればいいんですけど。
その2つの想いが、なんだかうまく混ざり合わなくて。
最近は、noteの下書きばかりが溜まっています。

いやいや、考えすぎたよって。
バランスなんて記事ごとに違ってもいいんだから、自分が思うままに書きなさいよって。

思わず、つっこみたくなりますが…。

それでも、考えてしまうんですよね。


父、年中無休の反抗期

じゃあ、どんな内容を書くのに躊躇しているかというと、父のことです。

最近の私の頭のなかは、父のことが70%くらい。

正直、父のことで、もう頭を悩ませたくないんですけどね、
どうにも、まだ、むずかしいようで…。

ちょっと重たい話かもしれないですが、しばしお付き合いください。

最近の父は、いっつも苛立っています。まるで、見えない敵に攻撃されて、自分の身を必死に守っているかのよう。

例えば、扉をバンッッと閉めたり、食器をガチャガチャと洗ったり。
3倍速の世界で生きているのかな、と思うくらい、常にうごきが乱雑で。

”そんなんじゃ、物たちがかわいそうじゃんね” とか、
”まあ、物にあたるだけだったら、まだいっか” とか、
思いながら、一緒に暮らしているのですが。


”うわっっ” っと思ってしまった出来事がありまして。

自分の管理が甘かったせいで、アームカバーを失くしたらしいのですが。
それを、母のせいにし始め。

しかも、「(母が)なくしたんだから、代わりのものを買ってくるのは当然でしょ?」と。

相席食堂の千鳥さんみたく、ちょっと待てぃ ボタンをすぐに押したくなるくらい。
”とほほ” という言葉が、ぴったりな状況。

呆れとか、あきらめを通りこして、尊敬の意を抱いてしまいそうです、いろんな意味で。

親としてこうあって欲しいという気持ちと、1人の人間として父を見ようと思う気持ちの間で、行ったり来たりしています。

好きとか、そういうのを越えた存在だからこそ、
いっぱい考えてしまうんでしょうか。

家族との確執をえがく

最近、カフェに置いてあった、小川糸さんの『針と糸』というエッセイを読みました。

名前は知っていたけれど、実は読んだことがなくて。
”ベルリンでの暮らし” という文言に惹かれて、一気読みしたのですが。

本書の第2章で、小川さんの母のことが書かれていまして。

そういえば、本の帯に、
『母との確執を越えて、気づいた「書くこと」の原点』って、書いてあったなーと思い出しながら、読みすすめたのですが。

第2章を終えて、最初に感じたのは、
”やっぱり、ちょっと重たいな” って。

その当時は書かざるを得なかったと、本のどこかで述べられていたような気がするけれど。

”それでも、ちょっと重たいな” って。

正直、思ってしまいました。

もし、小川さんの他の作品を読んだことがあれば、その印象がよいギャップを生むこともあるのだろうけれど。

自分の経験と重ね合わせて、安堵した一方で、
暗い話を暗いまま丁寧に描くと、読み手を選ぶな、と。

もちろん、万人が読みやすいことだけが、文章を書く際の絶対条件ではないとは思います。どんな文章だって、誰かには響くものだろうから。

と思う反面、

”重たい、読むのが負担だ” とだれかが感じてしまうような文章を、
自分は発信したいのだろうか。

と、考えるときがあります。


何事も、バランス?

A or B っていう選択は、
書くことに限らず、どんな局面でもありますよね。

最近は、選択に迫られるたびに、
私の頭のなかの、なかやまきんに君が、
「どっちなんだい?」と問いかけてきますが…。

言ってしまえば、
なんでもよいも、1つの答えなのだと思います。

noteに書く内容だって。
父との確執でもよいだろうし、最近の学びの発信でもよいだろうし。

どんな内容であれ、書きたいことを書けばいいと思っています。

けれど、1つ覚えておきたいのは、
noteは、”だれでも読むことができる場” だということ。

読んでくれる方のなかには、
現実世界の私を知っている方もいれば、
近々インタビューを私から受ける方もいるかもしれないし、
これから私と関係性を築いてくれる方もいるかもしれない。

そういう方に、どんなことを発信したいのか。

もちろん、書く内容は自由だけれど、
書き方はいかようにも工夫できると、最近教えてもらえたので。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。

「the座」1989年版

母校の大先輩、井上ひさしさんの言葉を胸にきざみつつ。

これからも、書きつづけたいです。

なんといっても、書くことは好きなので。

好きだからこそ、いろいろと考えて慎重になっちゃうんだけどね。

2023/08/24






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