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人って、なんだろう?

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私が1番知りたいのは、「人とは何か?心とはどんなものか?」。 無名人インタビューを通して、お話を聞かせてもらった方の記事をまとめています。
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#インタビュー

才能がないから、いろんなことを考えていろんな手段を取りながらやっている人

私が作家を目指したのは小学生のころ。今でも目指している。というか出版社に声をかけてもらって電子出版でも出版したのならば作家だよ、というのならもう作家です。 やったー。note書いてたらなれたよ! ありがとう。 といっても、やっぱり書いたには書いたけど、あれが全力全開か、って思ってて。実際まだいける、いかなきゃ、って思ってるのでまだまだやんな、と思ってます。 それにしても。なんていうか出版業界ってめちゃ変動してるなって感じですね。出版不況だって言われてるなか、出版社はがぜん新卒

みんなで笑いたい。みんなの笑顔を作りたいです。人

どうしてこんなに人増えちゃったかな? どうしてこんなにメディア発達しちゃったかな? なんてね。 食糧生産技術が上がったからだし、医療技術があがったからだし、印刷技術、通信技術、コンピューティング技術が上がったからだし。 仕方ないよね。 現代人は、いろんな人と関わったり、いろんな人について知っていかなきゃならんわけです。一昔前、100年前よりもずっとずっと世界のことがわかるようになったわけです。 知らんことを知ることは楽しいことだ。 刺激的でハッピーなことだ。 という半面で、人

常に追いかけられる人でありたい人

対人関係苦手意識って、私ずっと苦手意識マンだったんです若いときって。30代くらいまで苦手でさ。30代からはむしろ得意に感じてたんだけど、それは仕事上とか、席がばちってきまってるときで、なんかフリー雑談みたいなのは苦手のままだったんだよね。 つまり私は根っから人と話すのが得意というかそういうんじゃないタイプなんだろうな、って。 で、そこで40代になって編みだしたのがインタビューって方式だったんですよ。場、役割、テーマが決まっててめちゃ話しやすい。ふふ。 あはは。 でも、やっぱや

大学を3年で飛び級卒業したクリスチャンの人

ある時ある場所ある時間、私qbcは彼女に出会ったんです。大学3年生の時でした。大学のサークル連合といって、サークルをまとめあげて大学側と予算の配分などを調整する、まあ学生はみんないやいややる事務局ですね。私は漫画研究会の部長だったので、そこに出向いていたんですが。 そこで出会ったのが、ニックネームが女帝という、後輩の女の子でした。はー、なつかしい。ほんと、女帝とはサークル連合でしか仲良くなくて、ぜんぜんご飯とか行ったりしてなかった(私その時、彼女いたし)ので、連絡先も知らない

八丈島生まれで今セブにいて今度ニュージ-ランドに行く人

「ピダハン」という言語学の本に、こういうエピソードがあったんです。 アマゾン川流域の人たちの中には、朝突然名前を変えていて、昨日とはまったく違う自分を生きる人たちもいる、って。それがほんとかどうかはわからんよ。 でもね、でもさ、そういうのが人間って感じじゃない? なんかもう、ルールに縛られずに、モー好き勝手やるぞ!!!!! っていうのがもう、人間じゃない? 人間だと思う。人間だよ。人間だし、それがしたい。 なのに戸籍が僕を僕であり続けさせる。 そんなのウソだ! こんなのウソだ

輝くお母さんたちを増やしたい人

10年? 20年? 私、昔、主婦向けマーケターのお話をうかがいする機会がありまして。 主婦ブロガーの走りみたいな存在ですね。日経系の業界紙にコラムもってて、って調べたら、名だたる通販会社の社外役員を歴任しててびびりました。 私はSNSベンチャーの会社に20年前にいたんですが、そのころやっぱSNSって新しかったんだな。SNSという名前ではなくて、CGMって言ってましたね。今、UGCって感じで、やっぱりユーザー目線、消費者目線でのコンテンツ作成がさけばれているんですけど。 ままま

ずっと葛藤を抱えてる人でありたい人

ずぶとい針の注射を打つ。こわいね。 薬を飲む。何が起こるかわからない。そういうの、怖いね。 つぶらな瞳で見つめられる。癒される? 癒されない? わからんよね、見つめてもらう前まではね。 わたし、昔、子供のころ、社会にでるのが怖かった。嫌だった。今でも同じかもしれない。昔、子供のころ、社会に出るのがほんとうに嫌で、中学生の時に高校に行きたいきたくないと言って母親が泣いたのを覚えている。わたし、母とうまくいってなかったかもな。よくあの人を傷つけていたな。父親とも別に仲良くなかった

世界の表現の仕方を知るっていうのが勉強の人

思い出のよすが。幸せ逃げちゃった。 今度の木曜日、人と会う約束してて、でもそれアテが外れそう。なんだか仲良くなれなさそう。そうかもしれない。だって天気予報もどうにかこうにか、晴れかも雨かもだし。 ああ私はあの人と会うことが嫌なのを、自分一人で主張できず、気象庁に頼ってしまう。 ばかな私。生きてる意味ないわたし。そんなことないわだって明日には元気になるもの。たわわに実った夢の理想の果実、ああ、ああ、私にはいつ、一体いかなるときに私の掌におさまるのかしら。 情緒、こちらは世紀の厄

マイノリティだからこそ見つけられる幸せを見つけていきたい人

難しいよね。何が? 何よ。なんだって? 幸せです。 幸せは難しい。その難しさは、何者かになる難しさに似ている。 何者かになりたい。幸せになりたい。 愛も難しいね。愛したい、愛されたい、結果、それは別に意地悪で言ってるんじゃなくて、それそのもの、愛、何者、幸せってそれだけ取ったら難しいよね。それは人それぞれだし。 だって結局それって言葉にしたら、愛っていうのは好きな人と抱き合ってるときのことだったり、何者っていうのが無名人じゃなく有名人になっていることだったり、幸せっていうのが

可笑師司という人

今は禁止? なんでしたっけ、昔、組体操という運動会でやってたものがありまして。 例えば人間ピラミッドみたいなのがあるんです。人が四つん這いになって5人ならび、その上にまた人が四つん這いになってならび、って。 四つん這いの人の上にさらに人が四つん這いってどういう状況かというと、例えば私が一番下の四つん這いだったら、私の背中に、上に四つん這いになる人の手と膝が乗っかるわけです。 これ痛いんですよね。上に人が乗っかるから、自分の膝が痛いし。背中に人の膝があたるから痛いし。でも、やっ

noteに書いたからそうしなきゃって責任感が生まれる毒親育ちの人

車に乗って北へ。子供のころの話だ。父親の実家、秋田へ。父親の運転で、十なん時間かけて、日も昇らない時間から、夜にやっとたどりつくかくらいの距離で。 その車中、父親は井上陽水をかけて、母親はビートルズをかけた。まだ私qbcなんて子どものころで、その音楽の違いなんかはぜんぜんわからないんだけれども、でも、長い車中の中、そのふたつが順ぐりにかかって、そうだな東北の稲の先っぽのグリーンが風にゆれているのを眺めていたのを覚えている。拾い田畑を、風が走ると、さあっと一様に揺れていく様子を

頭は男、身体は女性の状態の人

無名人インタビューをしていると、今まで会ったことのない人と会います。 会うというかお話します、お話して、ああそうだよなこの人も人だよな、と思うのですよね。人は人でしかない、ということを確認えんえんし続ける旅のように無名人インタビューを思ったりすることも、あります。 その中で、多重人格の人と話すことがちらちら増えて、そもそも人間には多重人格性があるのでは? とか、そもそも人間の人格の一貫性というのが怪しいのでは? と思うようになりました? 人間、なんで、一人の人間としての人格を

みんな話を聞いてほしいんじゃないかなって思う人

話を聞くことを4年やってきてるけど、それでわかったのは、逆説的だけど、ぜんぜん人の話なんか聞かなくても生きていけるってことだよね。ぜんぜん聞かなくていいよ。 パワフルに、自己主張だけガンガン火を絶やさず自分って火種を焚き続けてさえいれば、もーぜんぜん、他人の話なんか一切耳に入れることなんていなくていい。オッケーオッケー。 だからだと思うんだけど、話を聞いてもらえなくていらいらする、てことになるんだよね。これは権力の問題でもあるのよね。自分よりも立場が上の偉い人の話っていうのは

自分の気持ちを大事にしてくれる人は自分も絶対大事にするって決めているライターの人

なんだかんだでけっこうこのまえがき緊張するんですよ、場合によっては全削除させられるし。タイトルちょこっと変更くらいならぜんぜんまだいいんですけど。 まえがきに対して全削除とか、まああることで。怖いんです、どきどきです。でも、書きたいこと書けなくなった世の中なんか、嫌ですよね。別になんか露悪的な気持ちじゃなくて、インタビュー参加者が好きほうだい喋っていいんだから、私も好きほうだい書いているって感じです。別に、悪いこと書くつもりはないし。ねえ。 ともあれ、もう2月も終わってしまい