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みんなで笑いたい。みんなの笑顔を作りたいです。人

どうしてこんなに人増えちゃったかな?
どうしてこんなにメディア発達しちゃったかな?
なんてね。
食糧生産技術が上がったからだし、医療技術があがったからだし、印刷技術、通信技術、コンピューティング技術が上がったからだし。
仕方ないよね。
現代人は、いろんな人と関わったり、いろんな人について知っていかなきゃならんわけです。一昔前、100年前よりもずっとずっと世界のことがわかるようになったわけです。
知らんことを知ることは楽しいことだ。
刺激的でハッピーなことだ。
という半面で、人にはホメオスタシスといいますか、現状維持能力があるわけです。そうじゃなきゃ習慣なんてないし、三日坊主も存在しない。人間は始めにくく、始めたら止めにくい、という謎粘着なんです。
その中で、こう現代のように繰り返し繰り返し繰り返し新たな出会いがあるときにね、わりと高火力な武器って、笑いだと思いますよ。ポーカーフェースと笑い。これだな。これだぞ、と。その内訳はともあれとにかく笑いとポーカーフェースと思いますん。
と思う2024年5月28日9時12分に書く無名人インタビュー786回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは とし さんです!

年齢:50代後半
性別:男性
職業:福岡応援隊FCS発起人
X:https://x.com/fukuokacheering/


現在:その先輩が言ったのは、俺らに恩を返すぐらいだったら、後輩や周りの人間に返せって。これからな奴らに、お前がキツかったことをサポートしてやれって言われて。

erica:今は何をされている方ですか?

とし:イベントのサポート運営と、あと、月火水木という中途半端な曜日でですね、間借りをして、夜はカラオケ屋さんなんですけど、昼間は多目的カフェスペースみたいな形で。

店が開いてない昼間の時間帯で、カフェスペースでクリエイターさんやアーティストさんが作業したり個展をしたり、場所の開放をしています。

夜は、もう普通に飲み屋でカラオケ屋さんですね。

erica:いつ頃から始めたんですか?

とし:宣伝も何もせずに友達のお店を借りて始めたので。去年の暮れだと思うんですけど、12月ぐらいからですね。

でも、12月はほぼ動いてない。事務所としてしか使ってなかったんですけど、12月からですね。

erica:どうして始めようと思ったんですか?

とし:元々、飲料メーカーさんやお酒メーカーさんのキャンペーンの企画運営をやるイベント会社に十年ほど勤めてまして。

コロナをきっかけに、在宅がかなり増えたので、株とか投資関係をやってまして。その中で、いわゆるブロックチェーンやWeb3といったところをかじり始めました。

そこから、投資対象としてデジタルアートに興味を持ったのが一番最初ですね。

アートにはあんまり興味なかったんですけども、アート関係が楽しくなってしまって。デジタルから、現代アートのタッチや質感に興味を持ちました。

作品を見て回る中で、全く自分の好みがなかったんですけど。そっから、自分がこういうのが好きなんだとか、そういうのが出てきて、リアルのアーティストさんと会うようになったんですね。

一昨年の8月に、展示会を自分で主催してやろうと思ったんですけど。たまたま、NFTのデジタルアート展を、僕の1ヶ月前に始める人を見つけてしまいまして。その方と合流して、近くのギャラリーを借りて、展示会をやりました。

その中で、リアルに人との繋がりができたり。九州NFTラボっていう、九州を盛り上げようということでやっているNFTの団体があるんですけど。そこをやりながら、自分の方でも個別の活動として、現代アートを最初買いあさったりしてたんですよ。

そっから、簡単に言うと、お金が足りなくなって。買うという応援の仕方はもう限界があるなと思いまして。

そこから、クリエイターさんやアーティストさんが創作活動に打ち込めるように、事務的なことや場所の提供、交渉といったサポートをし始めたんですね。それが、去年から今年にかけての動きです。

元々、全国出張が多いサラリーマンでして。東北のエリアの責任者をしてたり、九州のエリアの責任者をしていたので。九州に出張に来る友達や仕事絡みの人に、福岡のアテンドをしてたんですよ。

簡単に言うと、メジャーなお店じゃなくて地元の人しか行かないような良い店ない? ということで、僕の根城が福岡の天神にある親不孝通りという繁華街だったので、そこを中心に。

福岡に来た人に喜んでもらおうと思って、いろんなお店に連れて行ったり、紹介したり、仕事の相手先を紹介したりということをやりだした感じですね。

その中で賛同者が出てきて、6月に福岡応援隊という名前を付けました。今のロゴや画像をクリエイターさんに作ってもらったのが始まりです。

福岡応援隊という名で、音楽系と絵画系のアーティストさんの、その人が足りない部分を補う形のサポートを始めたのが去年の6月です。

全く人脈がないところから始めたんで、いろんなイベントに顔を出して、主催者の方やクリエイターさんと繋がりました。満を持して、今年の7月にお披露目をしようということで、福岡応援隊のイベント『翔和×ROCK』をやろうとしてるのが現状です。

erica:そもそも、デジタルアートのどういう点に興味を持ったんですか?

とし:Web3とかOpenSeaとか、NFTアートって分かりますか?

erica:名前は聞いたことありますね。

とし:そこで扱うのがデジタルアートなんですよね。僕らNFTって言ってるんですけど。僕も最初全く知識がなかったので、横文字ばかりでちんぷんかんぷんだったんですけど。
コロナの期間もあって聞ける人もいなくて、すごい調べて勉強したら面白いなと。で、デジタルアートという絵面に興味を持ったのが最初ですね。

で、デジタルアートだったら自分も描けるんじゃないかなって正直思ってやりだしたんですけれど、全く歯が立たず。僕はやっぱり、作る側じゃなくて応援する側やなっていうところに至ったから、応援しているというのもあるんですけど。

自分ができてたら多分、クリエイターとして頑張ってやってたんですけど。だからデジタルアートに興味を持ったのは、自分がやりたかったからです。

かっこいいっていうのは、なんとなくロック系のジャケットで、音楽が大好きなので知ってたんです。それをいざ自分でやろうとしたら、0から1を作ることができなかったんです。

ただ、1をアレンジしたり、アパレル作ったり、自分ができる範囲でやることはやってたので。ゼロイチができなくて、ゼロイチを応援する形になりました。

erica:どんなサポートをされてるんですか?

とし:絵描きさんは、描くのが本業で。音楽系のアーティストさんは、楽曲を作ったりライブをするのが本来だと思うんですけど。そこに集客があったり、告知やフライヤーがあったり、あと場所を探すのが結構大変なんですね。

あとは、企業さんと契約をするにあたっての交渉役とか。サラリーマンの時からそういう仕事を責任者としてやってたので、そういったサポートをしてた感じですかね。

応援というと幅広いんですけど。いわゆる、相手が面倒くさがるようなこと。場所探しも、時間かかったり、結構ネットで調べたりするので。僕はそういう経験が元々あって、該当するようなお店も知ってたので、そういうところで交渉をするのが主ですね。

飲食店で個展をやったり、ライブをやったりするんですけど、お店のオーナー連中に結構友達が多くて。最初にそこを紹介して、そこにハマらなかったらお店の紹介の紹介をしてもらう人繋ぎをずっとしてました。そして、デジタルアートから、リアルアートに繋がって行くんですけど。

erica:今年の7月にやるイベントは、どんな内容になっていますか?

とし:リアルイベントで、福岡では仏閣や神社に奉納絵を書いてたり、御朱印を描いていたりするような、新進気鋭のちょっととんがったタイプの書道家の、劔朧さんという方と。

あとは、ウォールアート系を描いていたり、ロック系のCDジャケットを描いたりしているdollyさんという方。モデルとかPVにも出ているような人なんですけど。

あと、フィンガーダンスといって、上半身をメインとするダンサーの座頭さんという方。

みんなそれぞれにお金を取って、福岡のイベントに出ている人で、和とロックを掛け合わせたらどうなるんだろうということで、音楽に合わせてライブペイントをやったりします。

来場者の方の私物Tシャツや持ち物に、直接その場でペイントをする。フェイスペイントってありますよね。お祭りとか、日本代表選手の顔にちょろって描いてあるもの。

キャンパスだけに描かずに、いろんなアパレルに描いたり。元々、そういうクリエイターさんで、アクセサリーやグッズを作っているので。ライブパフォーマンス&展示販売ですね。

気軽に音楽とアートに触れてもらおうということで、今回に関して言うと、和のテイストの人と、ロック系の洋のテイストの人と、DJをやる人がバトルをする形なんです。要するに、音楽に合わせて描き方を変えてみたり、展示を変えてみたりする形ですね。

よくイベントに行くと、再入場できるように判子を押したり、手首に輪っかを付けたりするのはご存知ですか?

erica:知ってます。

とし:今回は夏ということで、無地の扇子を来場者に渡すんですね。そして、その場で自分の好みのアーティストさんに描いてもらうんです。

メインのゲストはその3人なんですけど。それ以外に、クリエイターさんがライブペイントしたり、グッズを売ったりする昼間の無料のマルシェイベントがあって、夜に有料のイベント『翔和×ROCK』があるんですよ。

だから、この日一日クリエイターさんやアーティストさんと直接交流ができる場所を作っている形ですね。それを繋ぐのが、音楽やライブペイント、グッズなんです。

簡単に言えば、アーティストさんを遠くに感じる人が多いんですよ。だから、こんな人が描いていてこんなことができるんだよというのを身近に触れてもらう。で、気に入ったのがあったらクリエイターさん応援で買っていってあげてねっていうイベントです。

erica:応援隊として活動される中で、どんな気持ちになることが多いですか?

とし:今まで諦めていたり心が折れていたり、まだ売れてないアーティストさんってすごく多いんです。

やっていても、趣味の範囲で終わっていてプロになれないとか、きっかけが掴めなかったりとか。そもそも、クリエイティブな人って、コミュニケーション能力がちょっと足りない方も中にはいらっしゃるので。

そういう人たちの背中の後押しであったり、やりたいことをやるためにどうしたらできるのかとか、足りないものがあったらこちらで人を繋いだり、自分が運営としてお手伝いしたりしてるのが福岡応援隊なんです。あくまでもバックヤード、裏方の人です。

erica:ご自身の性格はどう思いますか?

とし:多趣味。好奇心旺盛。ある意味好き勝手やってきた自由人だから、僕の周りは苦労していると思います。

若い時は正直、自分さえよければいいっていう考えで、自分が10人いたら天下取れるぐらいに調子に乗ってたんです。

ある程度のことはやればできちゃうし、覚えられちゃうし。人がやってて自分ができないことは、今できなくても、やればできる。トップにはなれないですけど、ある程度にはなれると思ってたんですよね。

ただ、やっぱり自分が2度会社を潰しまして、借金を返すためにサラリーマンをやっていたところもあるんですね。その苦しい時に、助けてくれた人がいたんですよ。楽はさせてくれないんですけど、叱咤激励をしてくれる大先輩の人がいて。

僕は人に恵まれてるなって今は思ってるんですけど。その先輩が言ったのは、俺らに恩を返すぐらいだったら、後輩や周りの人間に返せって。これからな奴らに、お前がキツかったことをサポートしてやれって言われて。

元々、宴会でも、最初にワーッと盛り上げて、後ろに下がってみんなが楽しそうにしてるのを見るのが好きだったんですよ。最初はどちらかというと、自己満だったんですけど。今それで喜んでくれる人がいたり、助かるって言ってくれる人がいたり。実際ここ一年くらいで、本当に鳴かず飛ばずだったクリエイターさんがすごくたくましくなって。

今度も、福岡国際センターでちょうど印刷産業展があるんですけど。クリエイターエキシビジョンっていう、印刷業界の人とクリエイターさんを繋いで、クリエイターさんの紹介をするのをやったり。

人を繋いで、その子たちがやりたいって言ってたことが少しずつ応援で形になってきてるので。それを僕のライフワークにしようと思っていることですね。

自分も今年で57になるんですけど。まだまだ若い子には負けないよって思うのと、自分が若い時に苦労したり、なかなか上手くいかなかったことだったりを、少しでもお手伝いできたらなと思ってやってますね。

あとは、僕ができないことをできる若い子たちがいっぱいいるんで、僕にとってもすごい刺激になってたり学びがあったり、人に対する考え方がもう180度変わったんですよね。

元々ガラケーで動いてた人間が、デジタルアートに触るようになって、ガラケーからスマホに変えましたし。正直言葉悪いですけど、SNSはクソだと思ってたんです。リアルに動けない奴らが名前を伏せてやってると、正直ちょっと馬鹿にしてたところがあったんですけど。

今は、一つのコミュニケーションツールとしてすごい仕組みだなと思ってますし、僕がそれが上手く使えてない現状もあるんですけど(笑)

やっぱり、リアルで顔を合わせて話したいと思ってるから、福岡という地域限定の応援隊としてやっている。それは、NFTをやってた時からそうなんですけど。

九州NFTラボをやっていて、本来は世界と繋がる話なんですけど。NFTの世界は、詐欺がめちゃくちゃ多いので。そういう注意喚起をしながら、自分が何時間もかけて調べたことをリアルで目の前で一緒にやって教えたり。

教えることややることで、それが人の役に立つんだったらいいなと。自分はむしろ、いろいろ教えてもらえることの方が多いんで。だから、僕は幸せやなと。

僕自身は能力が何もないんですよ。人と人を繋いだり、人と場所を繋ぐことで、喜んでもらえる。それがきっかけでブレイクしていく人たちを裏方の人間として間近で見れるというのが最高だと思ってます。

経済的には非常に苦しいですけど、それが楽しくてやってます。自分1人だと、あっという間に折れていたと思いますし、興味も失せていたと思うんですけど。頼られると頑張れる自分がいます。

過去:2回目の時は、見てくれてる人は見てくれてるんだって思った。だから、恥ずかしいことはできないと思って、頑張ってた感じでした。考える暇がなかったんですよ。止まったら死ぬと思っていましたから。

erica:幼少期は、どんなお子さんでしたか?

とし:父親は気性が荒くて、元明治のラガーマンで体力にも自信がある人だったので、反発をしていました。3歳ぐらいの時は1年ほど預けられてました。

で、中学に入った時に、身長が139cmしかなかったんですよね。体育で身長順に並ぶと、1番前、良くて2番目だったんですけど。

格闘技とか剣道をやっていて、負けん気だけは強かったもんですから、いろいろと喧嘩しまして。

中3の時に、親父と仲悪かったのもあったんですけど、親父を闇討ちしたんです。当時木刀を持ってたんですけど、木刀でコイツ殺しやろうと思ってやったんですけど、気がついたら病院で寝ていまして。

お前、俺が食わしている間は、どげんしたって無理だからなと。煮るなり焼くなりしても、お前が1人では生きていけんやろという言葉をいただきまして。

高校から家を出ようと思って、今まで勉強してなかったんですけど、半年ぐらい猛勉強しました。で、寮がある学校は、ちょっと頭いいところが多かったので、そこに行って家を出て、4年間家に帰りませんでした。

国立の高専という学校で、5年間の学校だったんですけど、偏差値を70ぐらいまで上げないと行けないところだったんですよ。

だから、1日10時間ぐらい缶詰になって勉強しました。無事合格して、最初の半年間は寮に入りました。でも、入学式の次の日に停学になっちゃったんですけど。

まだその時は、ちょっと血気盛んで。舐められちゃいけないみたいな気持ちが、正直恥ずかしながらありました。各クラスにご挨拶をしに行って、同級生2年3年生ぐらいまでご挨拶に行きました。それで、ちょっと問題を起こして入学式の翌日に呼び出されて、すぐに停学になりました。

で、1年ぐらい学校行ってなかったので、学費も自分でバイトしながら、自分がやりたいことをやるんであればというのと、親に頼らないと決めてやってたんで。バイトも掛け持ちしながら学校に行って、無事に1年留年しましたけど、なんとか卒業しました。

そこから、東京に一旗揚げてやろうと思って東京に行きました。というのが、大体21くらいまでのお話です。

erica:家を出られた時は、どんなお気持ちでしたか?

とし:家はもう2度と帰ってこないと思っていました。もっと言えば、認めてもらえるようになろうと。親父が目の上のたんこぶだったので。稼ぐということに関しても、そういうのが1番の気持ちでした。

心が折れて、4年ぶりに1回帰ったんですけど、玄関先で親父から、男なら最後までやれやというお話をいただいて。またそれから2年ぐらい帰りませんでした。

そういう父親だったので、怖かったですね。後々知ったんですけども、親父も似たようなことをやっていて、窯元の長男なのに家飛び出したそうで。

似たようなことをやってるねとお袋からは言われました。もう、反骨心だけですね。

erica:東京に出てからはどんな生活を送られてたんですか?

とし:出ていくためのお金がなかったので、まずは就職を決めようと思って、設備関係の会社に就職をしました。1番最初にやった仕事が幕張メッセの現場監督です。

だから、柱の番号も覚えていますし、屋根の上でお昼寝をしてた側だったので。働きながら、役者さんのオーディション受けたりとか。アイドルにはなれないと思ったので、役者だったらなれるかなって。

六本木界隈で飲み歩いたり、現場監督をやってた時の現場の親方と仲良くなって、その人に仕事を教えてもらって、副業で仕事を手伝ったり。それが1回目の起業に繋がっていくんですけど。

21の4月に東京を出て、10月に幕張プリンスの現場監督の仕事が決まっていました。そうすると、また2年間会社を辞められないと思ったんで、もう10月で辞めちゃって起業したんですよ。

現場監督時代の親方に仕事を教えてもらって、空調やダクトのメンテナンスをする仕事をしていたんですが、人が嫌がる仕事だったので結構儲かったんですよ。

最初の半年ぐらいは大したことなかったんですけど、半年後にはマクドナルドさんの本社に毎日通って。マックさんから仕事をさせてもらっているとなると、ケンタッキーさんとかいろんなところで店舗の清掃業というか、厨房のメンテナンスをさせていただくようになりました。
で、いっぱい儲かりまして。毎日飲み歩いて、社員36人でやってました。貧乏人がお金を持ったので、馬鹿になって、使えば入ってくると思ってました。実際仕事に繋がってるのもあったんですけど。

で、お金のトラブルで会社を潰しました。それが26歳の時ですね。人生最高に儲かっていた時期です。

erica:それから、すぐにもう一度起業されたんですか?

とし:借金が1億ぐらいありました。紹介で頭を下げまくって、社員さんの行く先を全部割り振りして。そこから、破産したら気持ちが前に向かなくなるなって、後悔するなと思ったんで、借金返そうと思いました。

それから、歩合制のお仕事だったり、不動産のブローカーとか。あと車を仕入れて、それをメンテナンスして、個人売買で売ったりとかやってました。

最終的に、5年くらいで借金を返して、2度目の起業が始まるんです。

erica:2度目はどんな形で?

とし:東京の市ヶ谷に、1番最初の会社があったんですけど、結構ランチ難民になってる人が多くて。元々ハワイが大好きで、1ヶ月にいっぺんぐらいはハワイに行ってたので、ハワイアンダイニングを興しました。

美味しいものと美味しい場所って、人が一番簡単に幸せになる方法だと思ったので、2度目は飲食店の経営でした。3店舗目までは上手くいったんですけど、中の人のことまで考えずに、今考えれば急いで作っちゃった。

3店舗目を潰し、2店舗目を潰し、大元も潰れるっていう負のスパイラルに陥ってしまって。踏ん張ったんですけど、最後の何ヶ月かで借金が倍になっちゃったんですよ。要は、手を離せばよかったのに、変にこだわっちゃったんですよね。

結果的に、その時に店長をやってた人間が、お店を俺にやらせてくれとなったので、譲渡して、借金だけ僕の方で抱えて2回目も畳んだ形ですね。

erica:その時はどんなお気持ちでしたか?

とし:もう、返すことしか考えてなかったです。もう焼け石に水だと思ったから、とにかく1円でも稼がなきゃと思って。

1日に2、3時間しか寝てなかったですし、ショートスリーパーみたいにそれが当たり前になっちゃってて。倒れるように寝てたんですけど。

頑張れば稼げるというか、自分1人で人を使ってでなければ、なんとでもなると思ってたんですよ。実際なんとかなってたので。

だから、普通にサラリーマンになれなかったんですよね。歩合とか、そういうところじゃないとできなかった。
あんまり負のことは考えてなかったです。周りと比べる話でもないし、僕相談しないんですよ。人に報連相ができないんです。

お前どう思うって言われた時に、俺はこうしたいと結論付けちゃってるので、聞かれた時に相談にならないんですよね。

だから結構何でも事後報告というか、正直ちょっといろいろトラブルがあって、人間不信だったのもあったので。自分で考えて決めて、その時にできるベストを尽くそうとだけ思っていました。

上手くいかないのは当たり前で、10回トライして1回上手くいけばいいやと思ったんですよね。10回繰り返せば10になるじゃんって。自分が諦めない限りはなんとかなるって、まだその時は思ってましたね。

2回目の失敗で、自分1人じゃちっぽけだなって。お金に群がってた人は一気にいなくなったんですよね。だから人間不信だったし、人に相談できなかった。

でも、見る人が見ると苦しいのが見えていたみたいで。飲みに連れていってくれたり、僕が喋りだすまで待ってくれてた人たちがいたり。返済を肩代わりするんじゃなくて、借金返せる事業をもう1回起こしなさいと言ってくれた人がいたり。

2回目の時は、見てくれてる人は見てくれてるんだって思った。だから、恥ずかしいことはできないと思って、頑張ってた感じでした。考える暇がなかったんですよ。止まったら死ぬと思っていましたから。

2回目の借金を返していた時に、10年ぐらい付き合った女性がいたので。その方と1回結婚しまして、安心させるためっていうのもあってサラリーマンをしていました。結局、14年ぐらい別居して別れちゃったんですけど。

上司が社長で、年商50億のちっちゃい業界だったんですよね。それで全国飛び回ってたっていうのもあるんですけど。

事業や業績の悪いエリアに行って、立て直しをして後輩を作って、そいつに任してまた次のエリアの立て直しに行くっていうのを最後の5年ぐらいやってました。

親父が亡くなりそうだったんで、すぐ動けるように福岡に戻ってきたんですよ。21からずっと離れていて、2015年に初めて戻ってきたんですよ。

ほどほど都会でほどほど田舎っていうところや、天神ビッグバンとか再開発効果で人口が増えてる数少ない場所なので、福岡の魅力もやっぱり感じました。なので、やっぱり福岡が好きということで、福岡を宣伝している感じです。

erica:再会された時の、お父様の反応はいかがでした?

とし:もうボケてきてましたけど、なんとか顔は合わせてました。まだちょっと元気な時に、財産の話もありましたけど、僕はもう家を出てる人間で欲しいとも思ってなかったです。

姉と弟がいるので、そちらにあげればいいじゃんと。僕は家族と中学までしか一緒に住んでいないですし。

親父もだんだんボケてきて、もう誰が誰だか分かっていないですし、僕はこっちで忙しかったのもあったので、その世話はほとんどしていなかったです。その世話をしてくれたのが、地元に残っていた姉だったんですけど。

僕以外の兄弟は、全員肺がんとか障害を持っているんです。お袋は、踊りとか習字の先生で、福岡では超有名な人なので。今の自分じゃ会えないと思って、寄りついてなかったですね。

未来:馬鹿やな、このおっさんって言われるぐらいがちょうどいいと思う。そうなれたらいいですね。

erica:未来については、どんなイメージをお持ちですか?

とし:未来については、僕はひっそりしたいです。あれ最近見ないね、あの人っていうくらい、スッといなくなりたいです。散骨してもらいたい。跡形も残したくないです。

ただ、僕自身が若い時に、このタイミングであの人に助けてもらったとか、あの人が言ってくれたから今の自分が生き残ってるとか、頑張れたとか、いくつかのタイミングでスーパー影響を受けた人が、みんなめちゃくちゃ厳しい人なんですけどいるんですよ。

だから、自分もそういう人に近づけたらいいなって。若い人たちや、今応援してる子たちが1人でも、ああいう人がおったね、あの人がいてくれたおかげでってなったらいいなと思います。

ただ、死に際は見せたくないですね。

erica:それはどうしてですか?

とし:僕そういう人たちが亡くなった時に、大号泣しちゃうんですよ。立ち直るのに時間がかかっちゃう。あの人がいなかったら今の自分がないわけで。

自分が頑張ったからだって言ってくれるけど、その人がいなかったら多分折れていたし。今だから言えますけど、当時はやっぱもう本当に人間不信になって本当に死にそうで、自分で命を絶とうと思った時もあったので。

それを考えると、そういう人たちがいてくれたおかげで今の僕があるので、だから恩返しというか恩送りというか。先輩たちに言われたことが僕の中にはずっと刺さってるんです。

だから、今できる最大限の応援はしようと思っているので、それが分かってくれる人が1人でもいてくれたら御の字かなと。こんだけ人に迷惑かけて生きてきた人間がって思ってますね。別に、偲んで欲しいとかそういうのはないです。

むしろ泣かない。あげなヤツおったばいみたいな。好きなことばっかりしよるがっていう。そういう人に私はなりたいです。
erica:福岡応援隊の今後の活動については、どう考えていますか?

とし:今はイベントだったり、クリエイターさんのサポートだったり、ちっちゃなイベントから大きなイベントまで携わる機会が出てきたんですけど。表には出てないですけど、その活動は続けていきたいなと思っています。

もっと言うと、強力な応援ができるようにやっぱり自分が力つけなきゃいけないなと思っています。じゃないと、したい応援ができないんですよ。もっとこうしたいのになって。自分がした苦労はしなくて済むのにと思うんで。そういう意味での影響力はつけようとは思ってます。

表に出ずにやっていきたいとか、俺は裏方なんでいいですって言ったんですけど。自分から表に出ていかないとなって思ってるところでした。

その子たちが1人でも、あの人は今じゃないですけど、名前を挙げてくれたらもう泣くほど嬉しいですね。やってきた甲斐があったかなって。そこに期待してるわけじゃないですけどね。

僕にお店を貸してくれた人はそんなこと思っていなかったし、まだ人間できてねえなってちょっと思ってるとこもありますけど。

erica:将来のことを考えた時に、どんな感情が一番最初に出てきますか?

とし:みんなで笑いたい。みんなの笑顔を作りたいです。自分ができるきっかけでそうなってくれたら最高に嬉しいし、今イベントでそれぞれに頑張ってる団体さんもいっぱいあるんですよね。

イベント業って、単発なのでなかなかそれだけじゃご飯食べていけないんですよ。よっぽど大きいことやらない限り。かなりリスキーですし、それがこけたら一発でもう首吊りもんになるのがイベント事なので。

なので、イベントとイベントを横繋ぎしたいんですよ。あと、飲食店とイベントだったり、クリエイターさんと企業だったり。

例えば、あるイベントに行った人が、他のイベントに行ったらそこでもメリットがあるとか。その動線を作るのに、履歴を残せるので、NFTっていう仕組みを使うこともあって。

結果的には、自分のところや人との共催で場所を作ることで、まだ知らないクリエイターさんやアーティストさんを表舞台に引きずり出すというか、そういった場を作りたい。だから、もうこれはライフワークだなと思ってます。

どこまでできるか分かんないし、チャレンジでもあるし。若い子たちに今の感覚を教えてもらいながら、まだまだ老いぼれジジイにはならんというか。カッコいいジジイになってやろうと思ってますけどね。

僕自身は、老害は去れと思っている方なんで。若い子たちのステージを作るのを仕事として生活ができたらいいかな。

昔みたいに、カッコいい車とか、家とかどうでもいいです。そういう欲は1回若い時にやったので。今はお金を使いたいことがいっぱいあるので、そっちに回らないだけで、わからないですけどね。

だから、なんでそんな元気いいのって周りからも言われます。周りのサラリーマンやってる奴らもびっくりしてます。

若い時はちょっといじられるとイラッとしてたんですけど、今はいじってくださいって感じで、それが嬉しいですね。

馬鹿やな、このおっさんって言われるぐらいがちょうどいいと思う。そうなれたらいいですね。

僕は好きなことしかやってないです。コロナ明けてから、サラリーマン辞めて。子供も成人して、それを機に嫁とも籍を抜いたので。目の上のたんこぶだった親父もいないですし。年老いているお袋はいますけど。姉はもう肺がんで、そんなに長くないですし。弟は事故で前頭葉やっちゃって障害者になってるので。僕しかいないんです。

僕は、僕自身の生活も楽しむし、楽しさを提供しようと思ったら自分が1番楽しくないとと思っているので。自分が全力でいかなる状況でも楽しめる術は、今までの紆余曲折で身につけたかなって思ってるので。

かなりポジティブな方だと思います。何ができるか分かんないんで、どうやったらできるか、自分ができなかったらできる人に聞きに行こうと思うので。

面と向かって喋るといいんですけど、顔が見えないで喋るのってすごい、よく分かんなくなりますね。だから、一応顔出しもできるように着替えました(笑)

erica:ありがとうございます(笑)

とし:好き勝手に好きなことしかやってないので、その好きなことを続けるために何ができるかっていう自分の中の基準を、損得じゃないところでいっちゃってるんで、稼ぐのは下手くそですね。

昔はもうゴリゴリに、稼ごうとしか考えてなかったんですけど。人生がもう短くなっちゃって、50過ぎたら100歳まで生きる保証はないんで。だったら、もう好きなことばっかりやっていこうって思ったのが今ですね、

erica:最後に、言い残したいことはありますか?

とし:まだ知られていないクリエイターさんやアーティストさん、すっげえ奴らがいっぱい周りにいるんですよ。とにかく知ってほしい、見てほしい、感じてほしい。だから、その場に来てほしい。

それが僕の中での、7月27日の『翔和×ROCK』です。そこから先好きになってくれるかは分からないです。その人の好みなので。でも1回触れてみませんかっていう。

アンチだった自分が、どハマりして。投資目的だったのに、むしろ今ボランティアに近い形の動きになって。

でも、僕の周りには、助けてくれる人や協力してくれる人とか、人の財産がいっぱいある。だから、応援隊じゃなくて応援されちゃう方の応援隊かもしれないです。もっと知らないことに触れてほしいなって。

日本では、絵ってまだ評価が低くて一般的じゃないんですよ。キャラクターやグッズは日本のすごいコンテンツだと思うんですけど。絵画となると、1ヶ月かけてやっと描いた絵が、その絵しか見られていない。まあね、その人の社会評価なんでしょうけど。

何万かで売られても食えないじゃんって。だから、食っていける体制を作っていきたいですね。誰彼構わずっていうのは無理なので、本気でやっている奴だけになるとは思うんですけど。そういう人間の応援を一人でも多くできたらいいですね。

出会いはもう本当にきっかけに過ぎないので、振り返った時にいいご縁だったねって言えるように信じて動きたいんです。だから、会わないと嫌なんですよね。誰が何を言ってるとかじゃなくて、自分が会って話して感じたい。

昔だったら馬鹿にしてた人間が、逆に自分の知らないことをいっぱい知っていることもある。こんな考え方あるんやっていう学びや機会をどんどん作っていって、もっともっと一緒に成長して、みんなで笑いたいです。

こんな奴おったぞみたいな、自叙伝みたいに、1冊の本になればいいなぐらいの感じですかね。最終的に、よか人生やったねってニコッと笑って死にたいですね。

その時、その日を全力で生きたら、きっと何かが変わるんじゃないかなって。生きたい方向性はあるけど、その時になってみないと分からないし。自分1人じゃできないことが、自分がやりたいことには多いので。

福岡応援隊だけじゃなくて、佐賀応援隊だったり、熊本応援隊だったり、大分応援隊だったり。エリアごとにあったら、そういう団体になったらすごいだろうなと思いますけどね。そこをまた繋いでいけたら面白いですね。

もうジジイ出てこんでって、若い人に言われたら理想的ですね。小汚えTシャツと半ズボンを着ていて。でも、お店に入っていったら、いやいやあの人は、みたいに店長だけは知っている謎のジジイになりたいです。

あとがき

どうにかならないかな、誰かなんとかしてくれないかな、
なんて、つい人生を人任せにしたくなる瞬間があります。

でも、そういう時に限って、自分を傷つけてくるような人と仲良くなったりします。因果応報って言葉がピッタリな状況になったりします。

だから、真面目に実直に自分が思ったように生きていくしかないんだろうな、というのが今の考えです。
そうやって少しでも良い瞬間を増やそうと努力し続けることで、きっと周りにも素敵な人が集まってくるような気がします。それが、難しいんだけどね。

一つひとつの出来事に対して、こうと決める意思の強さをすごく感じたインタビューでした!7月のイベント開催も、陰ながら応援しております!!!

改めて、インタビューへのご参加ありがとうございました!次回の無名人インタビューもお楽しみに。

【インタビュー・編集・あとがき:erica】

#無名人インタビュー #インタビュー #福岡 #イベント

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