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ブランドの歴史、フィロソフィーを知ると、もっと好きになるという話


ブランドの表面ばかりを見るのではなく、歴史、フィロソフィー、内側を知ると、もっと好きになるという話。

今からブランド語りやアート語りをし始めますが、大前提として、私はアーティストではなく、商業ベースで何かを作っている庶民です。

最近、お仕事させていただいたファッションブランドさんの様々な社員さんの対応、お話、
会社自体にクリエイティブ、アートを大事にするというフィロソフィーが根付いていると感じた。

今回の「描く」お仕事にあたり、「描くこと」そして制作における「環境」を大事にしてくださったのがとても印象的でした。 

顧客の皆さんも

「何か作ってる若い人を応援したいんだよね」

「アートが好きなんです!」

「絵を描くことが好きなんです。」

と「描くこと」がお好きな方とたくさんお話しできて、とても嬉しかった。

そのブランドの創業者の本を拝読したが、お客さまが語られているお洋服の着心地の良さ、ブランドに対する印象、本を読んだ印象と相違なかった。

車メーカーさんや雑誌の編集長さんとお仕事をした印象と似てるかも。
どちらもハイエンドなブランドというのが共通点ですが、クリエイティブをとても大事にしてくださって。


自社のブランディングに関わるからというのも
勿論あると思うが、総じて、情緒的価値を大事にしているブランドは当たり前に自社のクリエイティブ、そして他者のクリエイティブを大事にしていると思う。

先日、とあるハイブランドのInstagram過去投稿が全て削除されて、ウクライナの国旗の1投稿に変わったことに私は驚いた。
デザイナー自身が10代で戦争を経験し、ショーでも随所に反戦のメッセージが織り込まれ、ラストの2名の衣装はイエローとブルー。
小手先のコミュニケーション施策でなく、理念や哲学が一貫しているのが、海外のメゾンブランドのすごさだと思う。


ファッション≒アート


ファッションや装飾性って、本来、合理化とは無縁。
そもそもアートなんですよね。

近年の合理化、早く乾く、ホームクリーニング可能、シワにならない。
合理化すればするほど、美しさや情緒的価値からは遠のいていく。

ひっかかりやすいけど、美しい装飾。
シワになるけど、風合いのあるお洋服。

もちろん、大前提として実用性をもって価値を証明しているのが、近年のハイブランドだと思うから、今のは極端な例ですが・・・。

美しい装飾性や独創性があっても、機能性が極端に欠如したものはアートではあるけど、誰も着ないし、はりぼてような存在になってしまう。

ギリギリのせめぎ合いみたいなとこ。

それってやっぱりものづくり、クリエイティブと似てると感じる。

フォロワーを増やすために情報化されたSNS投稿、表現のコモディティ化とか・・・。
ちょうど、仕事でそんなことを考えるタイミングで、今、必要なことって、なんなんだろうとグルグル考えてました。

合理化を否定するわけではないし、そもそも、私自身がハイブランド着てないのですが(笑)


機能的、合理性がなくても・・・

単純に、情緒的な価値といいますか、合理性とかけ離れた場所、体験、美しいもの、素敵なものづくり、面白いものづくり、情緒的価値をつくるブランド、会社が好きだ。

直近で言うと・・・物をなくしがちな私はポケット大好きだけど、ポケットのない美しいシルエットの洋服を。

壊れた体重計を買い替えなければいけないのですが、毎日見る体重計、素敵なデザインを選ぼう。

ダイエットをしてお洋服を素敵に着たい。
腕、パツパツやし。ここ絶対にシワ入らんよ・・・って、私がデザイナーなら泣く。


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