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こだわりが少ない人と暮らす

日曜日、洗濯ものを夫が畳んでくれた。ありがとう、but no offense (気を悪くしないでね)と言いながらいくつか畳みなおす、ずいぶん酷い人間である。だって、タオルは3つ折りにするとクローゼットにぴったり納まる。Tシャツは同じ大きさにした方が整理しやすいし、パンツはちゃんと縫い目に沿って畳めば変な皺ができないのだ。小さい頃、母から「畳む時には手アイロン」「角と角」と仕込まれたわたしには、夫のゆるゆるの畳み方はその辺にもちゃっと放っておくのとほぼ同じことで、気持ちももちゃっとする。たぶん折り紙をして育った日本人なら分かってくれると思う。

という話を友だちにしたら「畳んでくれるだけで大感謝なんだから、嫌味なことはやめなー!何年もしまっておくものじゃなくてすぐ使うんでしょう?」と言われた。本当にその通りです、はい。夫も毎回これでは心が折れるだろう。「プレゼントの中身じゃないの、わたしを思って選んでくれたその気持ちが最高の贈り物よ」そういう風に心の底から思えたらいいのだけど、タオルタワーを作っても崩れないぐらいぴしっと畳んだタオルはやっぱり気持ちいいんだよなー。相手の善意を無にしてまでこだわることではない、そう分かってはいるのだけれど。

不必要なこだわりなのか、家事スキルなのか、クリアな線引きは難しい。わたしの洗濯物の畳み方やベッドメイクのやり方は、こだわり。夫がフライパンの縁や底を毎回洗い忘れるのは家事スキルの問題。夫が使った後の洗濯洗剤のボトルがなぜか洗剤まみれになっているのは…ボーダーラインということにしておく。わたしが自分ルールのこだわりを捨てて、夫が家事スキルを上げると理想的なんだよなあ。

夫はこだわりが少ない人間だ。何かが決まったやり方でなければいけない、何かを持っていなければいけない、という欲求があまりない。さっき本人に聞いてみたら、全てのことがbestである必要はなく、本当に大事なこと以外はgood enoughでいい、とのことだった。家にはトイレが4つあるのだが、わたしは2階、娘は1階、息子は地下、となんとなく使うトイレが決まっている。夫はこれがなくて、どこでも構わないようだ。バスタオルなんかもどれでもいいらしい。縄張り、とか巣作り、とかいう概念が希薄に進化した種なのかもしれない。

こだわる、ということは、小さなことに幸せを見つけられるということだと思う。でも、それは簡単に不幸にもなるということだ。わたしは毎朝ベッドシーツはびしっと整えたいし、飾りの枕もいくつか置いておきたい。綺麗になったベッドを見るのが好きだ。でも、忙しかったり、体調が悪かったりしてベッドが乱れていると、一日がくすんでしまう。こだわらない人は、こういうアップダウンがない人で、一緒に暮らすにはそちらの方が断然楽だ。

パートナーがわたしと同ぐらいこだわる人間だったら、関係は破綻するだろう。もし相手が自分よりもこだわりが強い人間だったりしたら、毎日(自分にとっては)どうでもいいようなことにビクビクして暮らさなきゃいけない…地獄だなー。夫がこだわりが少ない人でよかった。ありがとう。しかし、夫が今地獄を見ているということなのか…すまない夫。妻に関してもgood enoughでまあいいやって思ってくれていますように…そしてフライパンはきちんと洗えるようになってくれますように…

「ちゃんとしたつもりだった」と聞くたびに一神教の神はさびしい/毛糸


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