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世界の終わり #2-1 ギフト

 九州南部に位置する邦根町周辺には〝日本初〟という言葉がセットになった公共事業が数多く存在する。
 実情を知らぬ者は名誉なこととして受けとめがちなこの表現は、もしもの事態に備えて最小の被害で済むよう選出された〝評価の低い土地〟――要は、実験用地として選ばれた証である。

 邦根町に建てられた〈BIRD〉と呼ばれる研究施設が事故を起こしたのは、七年前の六月下旬だった。『大規模な爆発によって、施設に保管されていた有害物質が外部へ漏れだした』との報告によって、半径三キロ圏内に住む町民に避難勧告がだされたものの、人及び一部の生物に深刻な被害を齎す有害物質の拡散は、想定していたスピードをはるかに上回っていた。
 事故発生から一週間が経過すると、ネットを中心に、『死者を蘇らせるウイルスが撒き散らされた』、『感染者に接触するとゾンビ化してしまう』といった胡散臭い情報が多々広まりはじめたが、このとき、人々はまだ状況の深刻さに気づくことなく、信憑性の低い都市伝説の類いであろうと情報そのものを軽視していた。

 事故発生から二週間が経過したころ、感染者が次々と発症し、九州南部は混乱状態に陥る。
 即日政府が会見を行い、感染状況や被害のほどは日本全土に伝えられたが、動画サイトへアップされた個人撮影による現地の様子をとらえた動画の数々で、人々の抱く恐怖や不安は増大するばかりだった。
 感染者の醜く変色した姿や、人が襲われる映像を目にした者は、『感染者は一週間という潜伏期間を経たのちに発症し、生ける屍と化して他者を襲う』との噂を拡散し、日本国内――とくに九州とその周辺のエリアでは暴動が多発した。
 九州内における感染者数は爆発的な勢いで増加し、九州全域の封鎖を決断させるまでに要した日数は三〇日にも満たなかった。


 事故を調査した専門家の報告によれば〈エリアゼロ〉と呼ばれる事故現場周辺の汚染が完全に浄化されるには十数年かかるとのことである。
 事故発生から七年経ち――軍や警察、政府関係者以外の者が九州上陸を許されるようになって約一年が経過したが、いまなお上陸を果たすには厳しい条件が課せられており、一般市民の九州入りは不可能に近い。実情は片手で足りるほどの市民団体が、福岡と北九州の二カ所で活動を行っている程度である。

 九州はいまだ封鎖時と同じ状態にあるのだ。

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