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世界の終わり #3-13 ハンター


          *

 なんやグダグダ鬱状態に陥りかけとったけど、わかった。これ、一緒に働いとるウディのせいやねん。おれって流され易い性格やから、ついつい影響を受けて、ウディみたいに真面目に考えてしまっとったんやな。他人は他人、おれはおれや。気にせんければええ、それだけやないかい。って思ったけど、やっぱり見てまう。ウディにつられて不法入国者どもを必要以上に観察してまう。せやけど心の中は軽くなった。軽くなったいうか、さほど考えんくなった。そうや、考えんことが大事やねん。そんなわけでさらに二日経過。店舗内の不法入国者どもは、皮膚の色が灰色に変わりはじめた。あともう少し。っていうか、ほぼ完成やろ。グール完成。次はタイミングを見計らって扉を開けて、連中を解き放ってやるだけや。そんなこと考えとったら、カンバヤシがやってきて、イーダさんらを迎えに行く——戻るのは明日の午後を予定している、いうた。色々と事情もあるんやろうけど、毎回直前になって報告するのはやめて欲しいわ。しかし雇われの身であるおれは、わかりました答えて、文句もいわずにウディと一緒に最後の仕上げに取りかかる。敷地を取り囲む柵が壊れてないかの最終確認。ホテル内に置いとる食料および私物などの回収。そして不法入国者どもを閉じこめとった店舗の扉の開放や。扉の近くにグールがおらんのを確認して、行くで、とひとりごちて扉を開け放つ。そこからはスピード勝負。扉を開けたらすぐさま中へ爆竹を投げこんで、背を向けてダッシュ。敷地の出入り口部分にちょこんと建っとるプレハブ小屋へ全速力で向かう。必要なものはすべて小屋の中へ運びこんどる。走れ。走れ。走れ。走れ。走れ。柵を越えて、小屋に着いて、はじめてうしろを振り返る。店舗を見る。扉の中からわらわらとグール化した不法入国者どもが這いでてくる様子が見て取れる。そのまま全員でてきてくれれば仕込み完了。これでもう敷地内へ足を踏み入れることはでけん。ツアーが終わるまでは。
「よぉおぉし、無事に準備完了ってところだな」とカンバヤシ。
 おれとウディは額に滲んだ汗を拭いながら次の指示を待った。っていうか、もうすることなんてないけどね。
「イーダさんを迎えに行ってくる。それまでは、川にでも行って洗濯するなり身体を洗うなり好きにしてこい。ただし、ガソリンを無駄に使うなよ。念のために端末を渡しておくが、私用は禁止。バッテリーは絶対切らすな。切れていたら――わかってるよな?」と、何度も聞かされた脅し文句を吐いて、ワンボックスカーに乗ったカンバヤシは、あっという間に視界から消えた。で、残されたおれとウディは汚れた衣類を袋に詰めて、不法入国者どもを運んだトラックで、水場を目指した。折角なのでウディに運転を教えることにして、おれは助手席に。意外と簡単ですねとかいうウディは短時間で車の操作をマスターしたが、その油断が事故に繋がるんやいうて釘をさす。すみませんとすぐさま謝ったウディは散歩するウシ程度のスピードを維持しつつ、おれと汚れた衣類とを川まで運んでくれた。臭っていた身体の汚れを洗い落とし、クシャクシャになっとった衣類も洗ったら、すぐさまトラックに乗って、きた道を引き返す。施設に戻ったころには既に陽が傾いとった。
 夜は星空が綺麗やった。
 おれとウディは敷地を取り囲む柵の一部に洗った洗濯物を干すと、しばし敷地の周辺を散策して、そのあと、プレハブ小屋の中へ入った。

「この品、どうしますか」とウディ。
 なんのことやろと思って目を向けると、取り外した机の引きだしの最下段をウディは手にもっとった。不法入国者どもを店舗内へ閉じこめるときに、身につけとったものを剥いで、詰めこんどった引きだしや。
「どうするいうても、別にたいしたもの、入ってへんしなぁ」指輪やネックレス、財布といったものも含まれてはおるけど、現金はカンバヤシに抜かれとるし、価値ある高価なものが残っとるとは思えへん。「最後は一緒に埋めるんやし、欲しいものあったら貰っとってもええんとちゃうか?」前回のツアーのときはそうやった。まぁおれは貰わんやったけど、相棒は幾つかポケットに入れたみたいや。「好きなもん、取りぃや」
「はい」
「や、待った」折角やから、おれもなんかもらっとこ。
 そう思って覗きこんだものの、心惹かれんしょーもないものしか入っとらんかった。錆びた鎖と手垢まみれの十字架がついたネックレス。汗の染みこんだよくわからへん生地の輪っか――ってこれなんや? 腕につけるんやろか。それから腕時計。メーカー名、怪しすぎ。さすが不法入国者やなァって感じでバッタもん臭がプンプン漂っとる。
「これ、綺麗です」
「ブレスレットか。綺麗て、なんやそれ、思いっきり悪趣味やんか。ヤンキーやないんやし、タイガー&ドラゴンはないやろ、や、まぁ、綺麗やともいえんくはないけど、にしてもお前、それはないわ」
「もらっても、いいですか」
「あぁ。別に。っていうか大体これ、メイドインどこの国やねん。うわ、なんや、名前まで入っとるし、お前、こんな、名前入りのブレスレットなんか――」
 あ?
 ――なんで、
 なんでや。なんでこんなん――
「ウディ、これ、このブレスレット」
「はい」
「これ、不法入国者のヤツがつけとったんよな?」
「はい。そうです」
「お前が外したんか。店舗に運び入れる際、お前がこれ外して引きだしん中に入れたんか」
「はい。入れました。外して、入れました」
「どいつからや」
「どいつ?」
「これや、このブレスレットつけとったヤツ、どんなヤツやった」
「男、です。つけていた男、喉、怪我していた男、です」
 ――あぁ。
 おった。そんなヤツがおった。口の端に痛々しい傷があって、喉に包帯を巻いとる男がおったのを憶えとる。怪我の理由や程度は知らんが、そいつが喋ることができんくらいの怪我を負っとることは把握しとった。
「ファン、さん。どうしました」
 待て、待てや。
 うるさい。
 なんでや。なんでこんなもんが混じっとんねん。連れてきたのは不法入国者だけやなかったんか。なんでや。なんで〝日本人の名前が記されたブレスレット〟をつけた男がおったんや。連中の中に。日本人やったんか、あいつ。なんで? なんで日本人が混じっとんねん。なあ。なあなあなあ、なあ、おかしいやろ。不法入国者ならまだしも、いや、まだしも――って。
 …………。
 はあぁ。
 こんな考えをもつのは常軌を逸しとるってわかっとるけど、雇われ、脅され、威圧されて、それが当たり前と教えこまれてきたおれには仕様がないやろ、って、いいわけじみとるけど、そう思う。なにしろここは九州や。人をゾンビみたいに変えてまう、奇病が流行っとる九州や。あり得へんことも信じられんことも、なんでもありの特別な場所やないか。間違ったことも、許されんことも、ついつい受け入れてしまう環境の中におれはどっぷり漬かってしもうとったんやから、そう、それや、そのせいや。おれのせいやのうて環境のせいや。
 …………。
 でも、思うわ。そんなおれでも、やっぱり思ってまうわ。あかんやろ、日本人はあかんやろ。生々しいいうか、洒落んならんいうか、同じ顔をしとったら、同じ言葉が喋れたら、意思の疎通ができる相手いうんはやっぱりあかんて、ほんまにあかん。異なる人種や思うとったから、おれはイーダさんの指示に従ってこれたんや。今日まで働いてこれたんや。もしもブレスレットの持ち主が、ほんまに日本人やったら――日本人やったんやろか? あいつ、ほんまに日本人やったんやろか。いわれてみれば日本人っぽい顔やった気がするけど、顔を見たら日本人かどうかくらい――や、わからん。わからんて。本人の口からそういうてもらわな、日本人かどうか教えてもらわな、喋ってもらわな絶対にわからんわ。わかるわけないやんか絶対に。や、待て。待てや。なにをいうとるんや、おれ。
 差別やないか。人種差別しとるだけやないか。ウディを見て、不法入国者を見て、ウディと話して、不法入国者と比べて、そこでおれの考えかたも、受けとめかたも変わってきとったはずやのに、ここにきてなにいうとんねん。なんや、いまさら。なにをほざいとるんや。連中の中に日本人がおったら、なんなん。どうなんや。別にええやん、日本人でも。どこの国の者でも、おれには関係あらへんやないか。それにおれ、日本生まれっちゅうわけでもないのに、なんや、なんで動揺しとるんか、ようわからんわ。ようわからんけど、なんでこんなに気分悪いんやろ。あかん。ほんまめっちゃ気分悪い。なんや、なんでや? なんでこんな変な汗かいとるんや。
「ファン、さん。大丈夫、ですか」
「大丈夫やない」なんやおれ。どないしてん。
「水、飲みます」
「ええ。ええわ」
「水、沢山あります」
「ええっちゅうねん」っていうか、なんでおれや。なんでウディやのうて、おれが動揺しとんねん。ウディやろ、本来動揺するのはウディのほうやないか。
「飲んだほうがいい、です」
「ほんまええて。それよりお前、どうなん。いま、どうなんや」
「どう、なん?」
「お前、はじめてやろ。このツアーに参加するの、はじめてやないか。実際のところどうなん。どう思っとんねん。お前と同じ外国からきた連中を感染させて、施設に閉じこめて、これからなにがはじまるのか知っとるのに、ええんか、これで。ええと思っとるんか」
「ええと、思う?」
「間違ったことしとるて思わんのか? 自分のやっとること、お前はどう思っとるんや? どう感じとるんや?」
「倫理観、ですか」
「なんや。お前、難しい言葉知っとるんやな。そうや、倫理観や。倫理的な問題や」なんでおれ、ムキになってウディに尋ねとんねん。もうええやん、別に。なのに、なんで喋っとんねん。でもとまらん。とまらへん。ウディに確認せんと、気が済まへん。「ほんまは思うところあるんやないんか。やから、お前ずっと連中のこと、めっちゃ凝視しとったんやないんか。腹ん中、思うところあったんやろ。同じ不法入国者やもんな。もしかしたら言葉が通じるヤツとか、おったんとちゃうんか。そうやったら、きついな。きっつい話やな。連中のこと、グールどころか、生々しい人間にしか見えんくて、どうしようものうて、堪えられんくなったりせえへんかったか。もう、あかんて。ほんまもう限界やて、なァ、そう思わんかったんか。思ったよな? 思ったやろ? 思わなおかしいわ。な、ウディ、思ったいえや。ずっとおかしい思うとったいえや。堪えられん思うとったいえって。なぁ、堪らんよな。あかんよな、こんなん。堪らんやったやろ。辛うて苦しくて吐くほどムカついてムカついてムカついて、お前――お前こそ、ほんまは爆発寸前やったんやろが。なぁ、そういえや。そういわんかい。いえや、なぁ、正直いおうや。違うか、ウディ」
「わかって、います」
「…………?」
「わかっています。間違ったこと、しています。わかっています。人を殺す、手伝いです。悪いことです。きつい、です。堪えられないことです。辛く、苦しく、吐くほど、ムカつく嫌なことです。わかっています。わかっていました。ですが――」
 どうしても国籍が欲しい、いうて、
 ウディは苦笑しおった。
 なんや。なんでや。なんで? なに笑っとんねん。

 ……あぁ、
 そうや。

 そうやったな。国籍のためやったな。そのために参加したんやったな。間違っとるわかっとっても、倫理に反しとるわかっとっても、己が欲しとるもんを一番に考えるんは、そうやな、それは当たり前のことかもしれんな。あれ――なんや、おれ。なんやねん。おれ、なにしとるんやろ。なんでムキになって喋っとったんやろ。なにを必死に訴えとったんやろ。あかん。あかんわ、なんやこれ。もう思いだせへん。アホか。ほんまアホか。正真正銘ほんまもんのアホになってしもうたんやなかろうか。や、そんなことあらへん。あるわけないわ、ちくしょう。言葉や、言葉。言葉が通じたら堪らんわいうて、実際、言葉を交わしたわけではないやん。そうや、おれ、勝手に妄想膨らませて、勝手にひとりで喋っとっただけやん。あかん、寝よう。寝なあかんわ。とっとと寝て明日のツアーを終えて、そんで、我が家に帰ったら死ぬほど寝て、寝て、寝まくるんや思うとったら、なんや、もう夜が明けとった。
 胃が痛い。吐くかもしれん。

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