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善き羊飼いの教会 #4-3 木曜日

〈佐棟町・国道沿い〉


     * * *

 日が陰り、風が強くなってきた佐棟町の国道わきに車をとめたスルガは、近くに停車している緊急車両へ近づき、車内を覗きこんだ。運転席には刑事課の椎葉巡査部長が乗っていた。椎葉は目礼して歯を見せ、生い茂る木に挟まれた私道を指差した。どうも、と声にはださず唇のみを動かして右手をあげ、スルガは文倉家の廃屋へと繋がる私道を歩きはじめる。十メートルほど進んだところで、かさついた声に呼びとめられた。振り返って声の主を確認したスルガは、笑みをこぼして、頭を下げた。
「どうなってんだい? あの家に殺人犯が隠れていたって話は本当なのかい?」
 声の主は文倉家の隣に住む、以前、名刺を渡した老婦人だった。
「そうらしいです」
「なんで教えてくれなかったの、本当は知ってたんだろ、隠れてたことをさ」
「まさか」スルガはかぶりを振って距離を縮めた。手にもったダンボール箱の中身がガチャガチャと鳴る。「知りませんでしたよ。そもそも、事件が起こったのは昨日なんですから。もしかして、警察官からいろいろと質問されましたか?」
「訊かれても答えられないよ。うちからは木が邪魔して見えないんだからさ。それよりあんた大丈夫かい? 顔、真っ青だよ。荷物を運ぶの手伝ってあげようか。額が落ちそうになってるじゃない。ほら、貸してごらん」老婦人は聖句の額を手に取って、目の高さに掲げた。
「すみません。では、お言葉に甘えて」
「主への従順を示すには……なんだい、これ。もしかしてあんたも、なんとかいう宗教の信者なのかい」
「いえ、それは文倉家からもちだしたものでして、これから返しにいくところです」
「お隣か。お隣、ねえ……。なるほど。なるほど、これかい。この文言が最期を決定づけたってわけだ」
「はい?」
「ほら、書いてるじゃない。〝主への従順を示すには、あなたの罪は水の中に沈め〟って。だから入水したんだろ」
「……は?」
「一家心中の方法に入水を選んだ理由だよ。ここに書いてるじゃない、罪は水の中に沈め、って」
「あ、あぁ……」スルガは口を開いた状態で頭を上下させた。「そ、そうか。それだ。それだったんだ。気になっていたんですよ。気になっていたけど、それがなんなのかわからなくって! ありがとうございます! そうか、そうですよね。リビングに飾って、毎日毎日、目にしていたわけですから、聖句の影響を受けて当然ですよね。罪は、水の中に、そうか。だから入水か」
「ちょっと、あんたどうしたの、本当に大丈夫かい?」
「聖句を見たときに引っかかりを覚えて、だけどそれがなんなのかわからなくてモヤモヤしていたんです。ありがとうございます。そうか、その聖句が、文倉家の選択に大きな影響を与えたんですね」
「さっきからそういってるじゃない。ほら、お隣まで運ぶんだろ。前は見えてる? 先導しようか」
「え。ちょ、ちょっと待ってください」
 スルガは抱えたダンボール箱を太ももに載せ、早足に歩きはじめた老婦人の背中を急いで追った。


「なんですかじゃないよ、スルガくん。電話してから、一時間以上経ってるじゃないか」スルガの袖を引っ張って建物の陰へと移動させた金子は、眉間と額に深いしわを寄せて唾(つばき)を飛ばした。「それに誰だ、あのお婆さんは。どこから連れてきたんだ?」
「隣の住人です。荷物を運ぶのを手伝ってもらったんですよ。いま金子さんが手にもっている聖句を運ぶのを」
「手伝ってもら……まあ、いい。もちだしたものは全部もってきたんだよな? 調査内容を記している書類も」
「その書類を纏(まと)めるのに時間がかかったので、遅くなったんですよ。しかしまたどうして急ぐ必要があったんです? 長栖さんから聞いた話によると、捜索は午後からの予定ですよね?」
「誰のために急がせたと思ってるんだ」金子は聖句の端で、スルガが抱えているダンボール箱を小突いた。「元同僚と顔をあわせたくないだろうと思ってのことだ。鑑識の北川に原田。それに竹内とも不仲だったよな?」
「北川と原田だけです。竹内とは揉める前に退職しましたよ」スルガはダンボール箱に頭を載せて不機嫌そうな表情をみせたが、数秒の間をおいたのちに指摘を認めて、礼をいった。「……おっしゃるとおりです。お気遣い感謝します」
 金子は唇の端をもちあげて応えると、玄関前に立っている老婦人の姿を横目で見遣り、スルガの腕を引いて建物の端まで移動した。
「長栖から、捜査方針について、詳しい話は聞いたのか?」
「いえ。聞いてはいませんが、生活安全課が先頭に立っているということは、東条の行方をつかむことが優先事項になっているのではありません? そういえば、金子さんに渡していた、失踪者三人周辺の人物リスト、もう調査をはじめているのですか」
「調べ終えたよ。全員、失踪には関与していないことが判明ずみだ。東条の所属していた〈イロドリ〉のメンバーも同様にな」
「そう……ですか。ハズレでしたか」スルガはダンボール箱を地面へ置き、背負っていた鞄の中からファイルケースを取りだした。「柿本さんがツイッターで実況していたことに注目して、フォロワー一覧をプリントアウトしてもってきましたので参考にして下さい。どうぞ、これです。東条さんと雛岡さんのぶんもあります。ここから柿本さんたちの人となりや交友関係を調べていったのですが……まあ、途中結果はすでにご存知のとおりです」
「雛岡という人物についてはどうなんだ?」
「恨みをかうような人物ではなさそうですね。交友関係が狭いので……あぁ、そうだ、彼はこの家の主人と同じ〈善き羊飼いの信徒〉を信仰していたようなので、文倉家に関する知識を得ていたはずです。あ、そうそう、これはさっき気がついたことなのですが、いま、金子さんが手にもっている聖句。その聖句の中に、文倉家が選択した入水を連想させるワードが入ってい――」
「お、おい! どうした、大丈夫か?」急に立ちくらみを起こしたように蹌踉(よろけ)たスルガを心配して、金子が手を差しだす。
 スルガは首を振り、慌てた様子で表情を繕(つくろ)った。
「すみません。あれ、おかしいな。充分寝たはずなんですけど」
「無理するなよ、そういえば顔色が」
「大丈夫です、全然大丈夫ですから」口角を上げて、その場で足踏みして、足踏みした直後にスルガはまた蹌踉た。
「お、おい、スルガくん!」
「すみません。大丈夫です、本当に。参ったな。体調を崩してる場合じゃないのに」
「座るか? そうだよ、座れ。座ろう」
「大丈夫ですって。迷惑かけまくってるのに休んでなんかいられません」
「迷惑? 誰も迷惑なんか――」
「かけてますよ」声に震えがまじる。無意識に金子の手を払い、表情をこわばらせて舌打ちをする。バランスを崩したことが呼び水になったかのように、胸の奥にしまいこんでいた暗い感情と言葉とが意志に反して外へとこぼれ落ちてくる。「かけまくっているじゃないですか。ぼくがもっとしっかりしていれば、ひょっとすると佐倉めぐみさんの命も」
「佐倉? 佐倉めぐみがなんだって?」
「ぼくです。ぼくがいいだしたんです。藤崎里香の働くガールズバーへ行こうといいだしたのはぼくなんです」喋りはじめた口がとまらない。スルガは地面に置いたダンボール箱に踵(かかと)をぶつけて、再び身体をふらつかせた。「きっかけはぼくなんです。ぼくがいいださなければこんなことにはならなかったんです」胸が痛みはじめる。息が苦しくなる。駄目だ。駄目だ――とスルガは命じるように自分へ呼びかけてポケットの中へ手を入れ、ジッポを模したピルケースを探す。ふいに昨夜筒鳥署の応接室で目にした柊の姿が思い浮かぶ。佐倉めぐみの件、藤崎里香の件、そしてイロドリというサークルの暴走と、すべてにおいて柊ひとりに割りを食わせてしまっていることに改めて気がつく。
「おい、スルガくん?」
 金子は聖句を建物の壁にたてかけて、スルガの腕に手を添えた。
「すみません。本当にすみませんでした。調査員は調査員らしく、遺留品と向きあっていろって話ですよね。それなのにイチイさんを真似るように名探偵然として振舞って、調子にのって、だからこんな、こんな事態に――」
「スルガくん。おい、スルガ」
「わかってます。わかってますが……」
 手から落ちたピルケースが地面を転がる。慌てて拾いあげてポケットの中へとしまい、スルガはせわしなく左右に瞳を泳がせながら髪を掻きむしった。顔を下げる。腰を屈める。青白かった顔から、さらに色が失われていく。
「お、おい! 大丈夫か。大丈夫か、スルガ――」
「ああぁあッ、きちしょう! わかってますよ。わかってはいるんですけど、ぼくは、ぼくは――」
なにやってんだいッ!」
「 ?」
「 !」
 スルガは身体を起こす。金子は両目を大きく見開く。なんの前触れもなく割って入ってきた怒鳴り声に、ふたりは呆気にとられて硬直した。
「なァに大声だして騒いでんだよ、あんたたちは」
 二度目の怒声で硬直が解け、怒鳴り主へ顔を向けたふたりは、腕を組んで仁王立ちしている小柄な老婦人の姿を見た。
「え……」
「あ、あ……」
 言葉を継げぬ男ふたりの間に割りこみ、老婦人はそれぞれの腰を思いきりはたく。
「――いッ」
「は、はあ?」
「情けない声だすんじゃないよ、ったく。ほら、しゃんと胸張って立ちな。玄関前にお客さんがきてるから、早く行ってきな。ほら、ほらッ! ったく、もう、いい大人がふたりして、こんなとこで騒いでる場合じゃないだろ」
「……お客さん?」眉根を寄せ、はたかれた箇所をさすりながら金子が問い返す。
 老婦人は大股でゆっくり後退し、腰に手をあてて顎を突きだした。
「そうだよ。あんたらがここにいる間に客人がきて、玄関の扉をカメラで撮りはじめたんだよ」
「カメラで?」
玄関の扉を?」
 強くおさえていた胸から手を離し、スルガは背負っていた鞄の紐を握りしめた。
「それって、もしかして――」金子がぼそりと呟き、
「……まさか」蒼白になっていたスルガの顔に生気が戻り、心地よい響きの声音へと変化する。「イチイさん?」そして勢いよく駆けだした。
 靴底を鳴らして、砂利を蹴りあげ、玄関周辺が視界に入ると速度を落として足をとめる。
 一陣の風が正面から吹きつけ、陰っていた空から光が射しこんでくる。
「あぁあ――」
 扉の前に立つ人物の姿を見つめつつ、スルガは額に手をあてて感嘆の声をもらした。

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