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善き羊飼いの教会 #2-7 火曜日


     * * *

『一分は経ったかな。どこからも物音は聞こえず、家鳴りもなし。家の中に潜んでいる者はいないようです。電波の状況は――あまりよくないけど、まぁ大丈夫かな。さて。いまいる場所は佐棟町。行方不明になっている筒鳥大の学生が訪れた文倉家の玄関です。昨日チェックしなかったのが情けない限りですが、玄関の扉はロックされていなかったので、正面玄関から屋内へ入っています。室内は薄暗く、カビ臭い空気が漂っている中に微かな芳香剤――ではないな。柑橘系の香りが混じっていますね。なんの匂いだろう。あぁあ、トイレに行きたくなってきたな』

「なんですかこれ」
「録音していたんだよ」
「それはわかってますけど、誰と話しているんですか」
「ひとりに決まってるだろ」モニターに目を向けたまま、スルガは柊の問いに答えた。画面には文倉家で撮影された写真が表示されており、右上の隅でミニプレイヤーが秒を刻んでいる。「文倉家を訪れた際に、スマホで口述を録ったんだ。音声はイチイさんと共有で使っているクラウドにリアルタイムで保存されるから、万が一、ぼくの身になにか起こったとしても、このメッセージは残る。賢いやりかただろう?」
「実況しながら幽霊屋敷をひとりで探索したんですか」
「なんか、トゲがあるね、そのいいかた」

『玄関のロックを解除したのは柿本さんたちでしょう。侵入口は裏手の勝手口のようですが、同ルートで退出する必要はありませんからね。玄関は広くて綺麗です。マットは敷かれていません。扉のそばに置かれた傘立てに傘が二本。茶色い靴べらもあります。靴は玄関に一足もでておらず、スリッパの類いも目に見える場所には置かれていません。右手に開き戸のシューズボックスがあり、シューズボックスの高さは……ぼくの胸より少し高いくらいかな。上に花瓶とランプスタンドが載っています。それと、天使が描かれたレリーフ。レリーフは〈善き羊飼いの信徒〉オリジナルの卓上製品のようです。浮き彫り細工が好きなんでしょうね。兎足氏のエンブレムも浮き彫り細工でしたから、主(あるじ)の嗜好(しこう)でしょう。どうしてエンブレム入りの木材を扉に使ったのか疑問に思っていましたが、嗜好とあれば納得できます。玄関で目につくものはいま挙げたものくらいですが……壁にカレンダーが掛けられていて、教会内を撮った写真が印刷されています。写真の下には癖の強いフォントで記された文章がありまして、えぇっと……〝険しくて、見通しのきかぬ、狭い道を選びなさい。大勢に踏みならされた、幅の広い道のさきにまつのは――〟これって聖句(せいく)のようですね。このカレンダーもまた〈善き羊飼いの信徒〉オリジナルの品のようです』

「これがそのカレンダーですか?」モニターを指差して、柊が問う。
 画面にはカレンダーが表示されている。カレンダーに印刷された教会の写真は、温かみのある乳白色で、聖堂の壁には翼の生えた人物の像と色鮮やかな絵が飾られている。
 スルガが最後まで読みあげなかった聖句は、次のように続いていた。
 ――道のさきにまつのは、滅びである。
「この写真の教会って、以前、調査で訪れた月和町にあるカトリック教会とよく似ているんだよね。月和町の聖堂もステンドグラス越しの柔らかな日光が降りそそいでいて、壁にはたくさんの聖櫃(せいひつ)や聖画が飾られていたよ。神父さんがとてもいい人で普段は入れない場所にも案内してくれてね、懺悔ボックスの中にも入らせてもらったんだ。そういえば〈善き羊飼いの信徒〉の教会にも懺悔室というのがあるんだよね?」
「えぇ。小部屋があります。呼び名が変わっていて……」デスクに載せていた本を手に取り、〈善き羊飼いの信徒〉について書き記しているメモのページを開く。柊は昨日、研究所に戻ってから〈善き羊飼いの信徒〉に関する情報を、ネットを使って収集した。歴史や教義などに関してはひととおり目をとおして理解を深めていたつもりでいたが、「ラウ、ラ……ん? すみません、自分で書いておいて読めないなんて。えぇっと、ラウなんとかサクラメント、と呼ばれているみたいです。〈善き羊飼いの信徒〉では、罪を告白して、赦しを願うことができるのは信者の人だけのようです」

『これは……どう判断すればいいのかな。分電盤の蓋を開けてみたのですが、ブレーカーがすべて〝入〟になっています。家の主が不在だった何年もの間、ずっと〝入〟状態にあったとは考え難いので、柿本さんたちが操作を……いや、どうだろう。どうでしょうか。正面にまっすぐ伸びている廊下と、磨りガラス越しに見える右側の部屋は雨戸が閉められていて暗いので、照明を灯したくなるのもわからなくはないですが、そのためにわざわざブレーカーを〝入〟にするものでしょうか。スマホのライトでも十分照らせるように……いえ、もしかすると、照明器具ではなくて、ほかになにか電気が必要な理由があったのかもしれませんね。まあ、電気の契約をしていなければ、ブレーカーを弄ったところでどうにもなりませんけど』

「室内を見て回っている間、ずうっと喋りっぱなしだったんですか」
「んん?」スルガは唇の端を歪めて苦笑した。「滑稽に聞こえるんだろうけど、饒舌なのも、説明台詞すぎるのも、意図的にやっていることだからね。写真閲覧の妨げになるようだったら、音声の再生をとめようか」
「いえ、そんなことはないですけど、あの……いつもこんな風に調査時の行動を音声記録して、イチイさんにデータを送っていたんです?」
「二度目だよ。こういったかたちの調査は滅多にないからね」スルガはデスクトップのマウスポインタを動かして、素早くクリックした。「ぼくの仕事は十中八九、ラボでの分析調査だし、たまに外へでても誰かが同席しているからねえ。おや、ノイズが入ってるな。ガサガサ聞こえている音は靴カバーの音かな? このあとLEDランタンのスイッチを入れたはずだから――あぁ、聞こえたね。いまの音。さて、ここからだよ。柊さんに聞いてもらいたかった重要な部分は」
「わたしに?」
「そうだよ。なんのために再生していると思ってるの。文倉家で発見した事柄を、柊さんにも……や、まてよ」スルガは音声の再生を停止し、寝癖のついた頭を掻いた。「解説ぬきで、写真だけ見てもらったほうがいいかもしれないな。先入観なく」モニターから離れてマウスを指差す。「室内で撮った写真、自由に見てみて。なにか気になるところがあったらいってくれる?」
「テストを受けるみたいですね」
「観察眼のテストってこと? うん、そのつもりで集中して、見てくれるとありがたい。どうぞ。モニターの前に座って。自由に意見してくれていいよ」
「……はい」柊はモニターを見つめて、汗を拭き取るように手のひらを太ももへこすりつけた。
 返事は細い声だったが、柊の表情に〝胸を躍らせている〟とわかる変化があらわれていることにスルガは気がつき、頬を緩めた。少し離れた椅子に腰をおろして腕を組み、柊がマウスをクリックする音に耳を傾けつつ、モニターに映しだされた文倉家の写真が音にあわせて横へスライドするのを無言で見守る。
 カチカチ。
 カチカチ。
 写真がスライドする。
 スライドする度にスルガは微妙に頷き、口角をもちあげた。
 柊はどのように推測するだろう。もしかすると自分とは異なるものの見方をして、思いがけない発見をしてくれるかもしれない――そう考えてスルガは期待を膨らませた。樫緒イチイには敵わずとも、柊なりの推理が口から語られるのを心待ちにし、モニターに映しだされる画像を静かに見つめる。
 玄関からまっすぐ伸びた廊下の写真。
 突きあたりにある洗面所とトイレ。
 通路左の扉を開けると子供部屋で、右の扉のさきは横長の広いリビング。リビングの床はフローリングで、奥は対面式のキッチンとなっている。
 モニターにキッチンの画像が表示されたところで、柊が「ん?」と短い声を発した。首を傾げて静止したかと思いきや〈戻る〉のボタンを無言で連打しはじめる。
「どうしたの? 気になるところがあった?」スルガが問う。
 マウスを操作していた手がとまり、モニターには洗面所の写真が表示された。
「えぇ。気になるところはたくさんあります。というか、気になるところばかりですよ。スルガさんが寄りで撮っているリビングの壁のキズとか、割れた収納棚のガラスとか。それらが注目すべき重要な箇所であるのはわかるんですけど、〈戻る〉を押したのは、違った意味でちょっと気になりまして……えぇと、水回りなんですけど」
「水回りか」スルガは身を乗りだして、モニターに顔を近づけた。
「キッチンの流しが、際立って綺麗に見えたんです。ほかの場所と比べてすごく綺麗ですよね? 磨いたみたいに綺麗だから、ひょっとして水が使えるのかなと思って」
「そうだよ、そう! うん。よく気づいたね」スルガは感嘆の声をあげて椅子から立ちあがった。「そのとおり。水が使えたんだよ。文倉家の蛇口を捻ってみたら水がでたんだ。濁りのない、透明な水がね。元栓は閉められて、水のでない状態になっていたはずだから、わざわざ元栓のある場所を探して開いた者がいるんだ」
「探してまで、ですか。なんのために?」
「なんのためって、もちろん、水を使う必要があったからさ」

『廊下と同様に、リビングの床も掃除されていますね。雑巾がけしたように綺麗になっています。柑橘系の香りが漂っているので、清掃に使用した洗剤のにおいかもしれません。テーブル周辺の床は……その前に、室内の様子を簡単に説明すると、リビング中央に腰よりわずかに低い高さのテーブルが置かれていて、椅子が四脚。テーブルの上にはなにも置かれていませんが、虫の死骸がたくさん載っています。床は念入りに掃除されているのに、テーブルには触れてすらいないというのはどうも解せませんね。方角でいうと東――リビングの奥は対面式キッチンになっています。色は青みがかった白。調理スペースはあまり広くないようです。コンロの上に大きな鍋と薬缶(やかん)……うちで使ってる薬缶と同じものだな。リビングの南側はほぼ一面が窓でして、カーテンの色は薄いグリーン。雨戸が閉められているので不確かですが、おそらく遮光カーテンでしょう。右隅に画面がひび割れたテレビとスピーカー、レコードを再生できるコンポも置かれています。それとローボード。隅のほうに傷がついていますね。棚の中にはアニメのディスクが並んでいます。北側の壁に目を向けると様相は一変して、宗教画や聖句の額がたくさん飾られています。一角には祭壇……という呼びかたでいいのかわかりませんが、アクリル製の像に、玄関にも置かれていたランプスタンド、三面板絵の置物、複数のレリーフなどが綺麗に並べられています。わたしを導き、清めてください――いま口にしたのは、祭壇の上に掛けられた聖句です。罪に気づかせ、悔い改めへと、導いてください。文字は手書きで、筆跡はどれも同じように……あれ? 中央の一枚だけ、額の前面にガラスが入っていませんね。主への従順を示すには、あなたの罪は水の中に沈め、ただしき教会で願い求めなさい。理の新生の精霊と同じ数の昼と夜を――〝夜を〟の箇所が、棒状のもので突かれたように破れています。ひょっとすると本当に棒で突かれたのかもしれません。誰かがリビング内で棒を振り回して暴れてガラスを割り、ローボードに傷をつけて、テレビを破壊したとすれば……破壊されている箇所はほかにもあって、廊下に通じる扉のそばに置かれた収納棚のガラスも割れています。いま、収納棚の前にきました。棚の扉を開けてみます。あぁ……破片が残ってるな。周辺の床にガラスの破片は飛び散っていませんが、棚の中には残っていますね。埃が積もっていないので、ガラスが割れたのは最近のようです。枠の部分や収納棚そのものに損傷はみられないので、ガラスを狙って破壊したように思えます。念のためにALSを使って血痕の有無を調べ……あれ? 車の中に置いてきたかな。どうやら車中にALSを……や、違う。部屋だ。あぁあ、ったく。すみません、照射して調べるつもりが、どうやらALSを自分の部屋に置き忘れてきたようでして……所長からあずかっているハムスターの臭いが気になったので、鞄からだして使用して、そのままに……あぁあったくもう、失敗したなあ。ALSでの検査は改めて出直し、きちんと行います。失礼しました。血痕の有無はさておき、何者かが棒を振り回して暴れたのは間違いないと思うので、その者が柿本さんたちなのか、それとも第三者であるのか。第三者であるならば〝いつ〟破壊行為に及んだのか。破壊した時間は柿本さんたちの侵入よりも早かったのか、遅かったのか。もし両者が廃屋内で顔をあわせていれば、最悪の想像をせざるを得ませんが――』
 十秒ほどの無音の間があき、
 続く言葉が録られた直後に、録音は一旦停止されている。
『三人の成人男性を襲い、ひとりも逃すことなく目的を達することは可能でしょうか?』

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