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世界の終わり #6-1 メメント モリ


〈 SUV車内 / 福岡 久留米 〉


「ところで——きみはどうするつもりだい?」
 国道3号線を南下し、久留米(くるめ)市に入ったSUVの車内にて、バックミラーとサイドミラーを交互に見遣りながら、柏樹は後部座席に乗る荒木へ問いかけた。
「どうするって、なにを」
 不機嫌そうな顔をみせて、荒木は質問で返す。
 その直後に、意図せず発せられた攻撃的な音と振動とが、車内に緊張をもたらした——音の正体は荒木の組み替えた足が、助手席に座る天王寺のシートを蹴ってしまった音だった。
 前日にスタンガンで襲われている天王寺はビクリと身体を強張らせたが、すぐさま咳払いして髪をかきあげつつ、平静を装うように窓の外へ顔を向けた。
「彼女のことだよ。板野茉莉絵さんのことだ。彼女が九州入りした理由はわかった。ブレスレットに記されていた男性との関係もね。間違いなく彼女は、彼氏——いや、元彼かな。元彼との再会を果たすまで九州入りを望み続けるだろう。新人育成を命じられているきみにとっては都合のいい話かもしれないが、それでいいと思っているのかい?」
「正直に話せっていうのか」
「いや。ブレスレットを見つけたことは——」ハンドルに添えたひとさし指を上下させつつ、柏樹はバックミラーへ目を向ける。「まだ話さないほうがいいだろうね。話せば、彼女はますます固執してしまうだろう。それじゃあ駄目だ。策を講じて、彼女が九州入りを望まないよう説得できればいいのだが……最良なのは、元彼を見つけだして連れて帰ることだけど、今回の九州入りで叶うかどうかはわからないからね。しかし、説得して、とめなきゃいけない。再度、彼女に九州の地を踏ませてはいけないよ」
「あぁ。まあ、な」投げやりな口調ではあったが、荒木は同意を示した。「腹が減っただの、喉が渇いただの、温泉に連れて行けだのうるさくて仕様がねぇからな。板野のお守りは今回限りにして欲しいよ」
「ははは。ここにきて彼女の愚痴とはね。いや、失礼。聞いて安心したよ。僕らの考えは同じであるようだな」柏樹は声のピッチを僅かにあげて、ミラー越しに目を細めて笑ってみせた。「車の修理を終えたら、僕は〈TABLE〉本部へ戻り、ブレスレットをもっていた青年から話を聞いてみようと思う。本当は修理へ向かう前に聞いておきたかったんだけどね」
「入手経路を尋ねるのか」
「そう。わかり次第、入手した場所に行ってみるつもりだ」
「簡単にいうじゃねぇか。いいのか? 危険な事件と遭遇してしまうってのが、あんたの持論なんだろ?」
「ひとりで行きはしないさ。広域捜査官の二宮さんに同行をお願いする」
「当事者は蚊帳の外に置いて、あんたらだけで真相を解明しようってわけだ」
「悪いが、そのつもりだ。ただし、起こるべき悲劇が避けられれば、隠す必要はなくなる。九州をでたあとで、板野さんと再会し、真相を語って聞かせるというのはどうだろう?」
「真相ってなんだよ、板野が知りたがっているのは、松坂の胸の内だろ。松坂を見つけて、話を聞くまでは、また会いに行こうとするんじゃねぇのか?」
「そのときに、松坂という男——板野さんの元彼が九州にいなければ問題ない。元彼は、盗みを働いて逃げているんだよな? 窃盗は立派な犯罪だ。まぁ、きみらも同じ穴の狢ではあるけどね。や、失礼。余計なことをいってしまったな。許可なく九州に上陸した者は、強制退去を命じられるし、罪にも問われる。一〇〇パーセント九州から排除されるだろう。そうすれば、板野さんが九州入りする理由もなくなるというわけだ」
「あぁ……まあ、そうだが」口の端を歪め、荒木は一度腰を浮かせてシートに座り直す。再び意図せず、助手席側のシートを勢いよく蹴ったが、天王寺は僅かに肩を竦めるだけで、視線は外の景色を見つめたままだった。
「ところで、九州に入ることは簡単にできるものなのかい?」
「まさか」
「しかし、きみたちや、板野さんの元彼は、難なく九州に入っているじゃないか」
「難なくじゃねえよ。大勢の協力がなきゃ、上陸は不可能だ」
「大勢とは?」
「さあな。取り仕切っているやつに直接訊いてくれよ」
「運び屋のプロがいるのか」
「まぁ、そんなところだ」
「きみらは窃盗目的で、運び屋の力を借りて、九州に上陸した。板野さんの元彼は、逃亡目的で知人の力を借り——と、簡単ではないのだろうけれども不可能でもないんだな」
「逃亡目的ならいいが——」
「ん? どうした?」
「いや、ちょっと、気になることがあって」
「なんだい? 話してみるといい」
「……ったく」荒木は舌打ちし、眉間に皺を寄せた。「その芝居じみた偉そうな喋りかた、なんとかならねぇのかよ。聞いていてムズムズするんだよ、身体のあちこちが——ったく。いいや。いいよ別に。悪い。悪かったな。嫌ないいかたして。気にせず、好きなように話してくれ」
 嘆息して、荒木は窓の外の風景を眺める。
 柏樹もまた同様に小さく息を吐きだした。
「それはどうも。ところで、なにをいおうとしていたんだ?」
「松坂の逃走のことは、あくまでも人伝(ひとづ)てに聞いた話だからな。九州にきていたことは事実だったようだが……やつが、本当に、自分の意志で九州に逃げようと考えたのか、疑問に思ったんだ」
「一般常識で考えると、九州は選択肢には入れないだろうね。実は、逃げたのではなく、連れてこられたって可能性のほうが高いかもしれないな。それも、遺体で」
「あ?」
「現金を持ち逃げした彼は上司に発見されて、殺害された。遺体の処理に困った上司は、隠蔽目的で九州へと運んだ。〈TABLE〉の本部にいた青年は、遺体からブレスレットを——」
「おい、いくらなんでも人殺しまではしねぇよ。最悪の想像してんじゃねぇぞ!」
「可能性をいったまでだ。しかし、そうだな……遺棄目的での九州上陸というのは、少々リスクが高過ぎる」
「生きていたって同じことだろ」
「生きていれば、それなりの見返りは期待できる。例えば強制労働、とかね」
「は? なんだよそりゃ。奴隷制度か、っての」
「きみらが利用した運び屋のプロの顧客の中に、九州で強制労働させている組織はいないのかい?」
「なんだよ、それ。っていうか、九州でなんの労働するんだよ。そんな組織なんて——」ブレーキ音。突然、強烈なGが全身へとのしかかり、荒木は前のめりの姿勢になって、前の座席へ額を打ちつけた。
「な、なにやってんだよッ、急にとまるんじゃねぇよ!」
「——いつからだ」
「あ?」
「まずいな」
 柏樹はドアに身体をくっつけるようにして、サイドミラーを覗きこむ。
「おい、おい! なんだよ、まずいって。なにブツブツいってんだ!」
「うしろを見ろ」
「……?」荒木は眉根を寄せて振り返った。フィギュアを詰めこんだダンボールが荷台にぎっしり載っているせいで視界は狭い。しかし僅かに空いた隙間から後方の様子が窺えた。荒れたアスファルトの道が、まっすぐ続いている——それだけだった。

 白石や板野を乗せているTABLEの車がどこにも見えなかった

「ついてきてねえじゃねえか。なんだよ、おい。しっかりうしろを見てなかったのかよ」
「…………」
 荷台に積まれたダンボールのせいで、バックミラーはほとんど用を成していない。
 しかし、そのことを柏樹はいいわけとして口にせず、無言で返した。
「……ったく。まあ、ここまでほぼ直線だったし、待っていればそのうち追いつくだろうよ。事故ったとは思えねぇしな」
「事故ならば、まずいな」
 柏樹はシートベルトを外す。
 助手席に乗ったアシスタントの天王寺も、柏樹を倣ってシートベルトを外していた。
「おいおい、おい。降りるのか? なんで降りるんだよ。そんなに心配なら、電話したらどうだ? 衛星回線の端末をもってんだろ。はぐれちまったドライバーの端末に電話しろよ」
「番号を知らない」
「なら、〈TABLE〉の本部に電話して、番号を訊けばいいじゃねぇか」
「知っていたら、アポなしで訪問したりしないよ」
「訊いとけよ、番号くらい。くそッ」
 額を押さえながら腰を浮かして、荒木は後部座席のドアを開いた。
 心地よい風が車内へ流れこんでくる。
 柏樹と天王寺は、一足先に車外へ降り立っていた。
 柏樹の運転するSUVは、ワゴン車をとめている場所への最短ルートを通っていたので、〈TABLE〉の者たちが異なる道を選ぶことはまずない。
 柏樹は路上に立ち、しばし怪訝な表情で道の先を眺めていたが、思い立ったように携帯端末を操作しはじめた。
「なんだ。結局、電話するんだ? 誰に番号を尋ねるんだ?」
「番号を訊くのではなく、位置を調べてもらう」
「調べる? なんの位置を、誰に?」
「二宮さんに、車の現在地をだ」
「は? ま、待てよ」荒木は素早く移動し、手を伸ばして柏樹の腕をつかんだ。「捜査官に連絡するまでのことじゃないだろ。気になるんなら引き返してたしかめればいいじゃねえか」
「一刻を争う事態だったらどうする」
「どんな事態だよ。事故か車の故障なら、路上にとまってるはずだろ、捜査官に連絡して調べてもらう必要なんてないだろうが」
「GPSを使用して、車の位置を調べてもらうだけだ。それよりも、危機感をもって、よく考えたほうがいい。九州で同じ目的地を目指していた二台の車がはぐれるなんて、あり得ないことじゃないか」
「だから、なにかしらのトラブルがあったんだろうとは思うけど……」
「きみらのことを捜査官に通報するのではないかと危惧しているのなら、杞憂に過ぎない。告げ口をするなら、僕はとっくにしている。いいかい? 彼女は不吉な運命に魅入られているんだ。僕らは最大限の努力をして、彼女が巻きこまれるであろう事件を未然に防ぐべきだ」
「……そうはいっても」
「起こってしまってからでは遅い。天王寺くん、車の運転を頼む」
「え? あ、はい」声をかけられた天王寺は、動揺した様子をみせつつも、駆け足で運転手側へと移動した。
「おいおいおい、おいッ! 待てよ、勝手に話を進めてんじゃねぇぞッ」
「きみも早く車に乗れ」柏樹は荒木の肩を押して、SUVの後部座席へと誘導した。「いつどこで、どのような偶然が、彼女の運命を望まざる方向へ導くかわからない。もしかすると、いままさにこの瞬間、彼女は元彼と出会ってしまっているかもしれないだろう?」
「押すなよッ。わかった、わかったから。車に乗ればいいんだろ。ったく、なんだよ。出会ってるかもってどういうことだよ。路上に元彼が偶然立っていて、それを板野が偶然見つけて、おれらの気づかないうちに偶然の再会を果たしちまったのかもって、いいたいのか」
「まさか」苦笑した表情で、後部座席へと荒木を押しこむと、柏樹自身も並んで車内に乗りこみ、勢いよく扉を閉めた。「天王寺くん。Uターンして、きた道を戻ってくれ」
 サイドブレーキがおろされ、SUVはタイヤを鳴らしながら一八〇度ターンする。
 ややあって柏樹は携帯端末を操作し、二宮捜査官の番号を呼びだして耳にあてた。
「電話一本で調べてもらえるのか?」と、荒木。
「僕の演技力次第だろうな」

 柏樹は相手が電話にでるなり、緊迫した口調で板野らの乗っている車の位置を調べるよう頼んだ。
 芝居じみた特徴的な喋りかたは効果的に働き、二宮は耳を傾けてくれている様子だった。

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