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10月の広島・宮島が最高に熱すぎた話


10月中旬、初めて広島旅行に行った。

広島について周りの友人に聞くと、修学旅行で行っていたり、何かしらのタイミングで旅行・出張先となっていたり、極めて定番の旅行先であると実感する。特に、2023年は広島サミットも開催されたことから、話題の観光地である。サミットの中継時から、平和記念公園の広さに画面越しで驚嘆していた。そういえば一回も行ったことないな・・・Perfume,ポルノグラフィティの生誕の地だよな・・・。なんとはなしに、いつかのAmuse Fesに思いを馳せていた。

私はテレビはそこそこに聞き流していたものの、一方でPerfumeのファンクラブライブ決定に伴い、秒速で抽選に申し込んでいた。しばらくしたのち、奇跡的に自分の地域ではなく「広島」が当選したのである。なんで???!!!会場のキャパ的にも地元優先では?!と感じていたのだが、運営の謎采配である。(広島も生誕の地だし、一応申し込んでおこうかな)という願いがガチになった瞬間だった。完全に棚ぼたでライブ+広島行きが決まったのである。早速観光スポットを探し始めた。さて、どんな旅になるのか・・・


帰宅後に疲労で体調不良を起こし、そこからnoteに振り返る気力もなくなっていった。2か月くらい経過しているものの、思い起こすべく書き残したいと思う。そしたらボリューム多めになった。是非、暇つぶしにお楽しみください。

1日目

🍁広島駅

飛行機で1時間半程度で広島空港へ。そこからリムジンバスできっかり1時間揺られると、広島駅に到着した。

広島駅・バスターミナル

言わずもがな、大都会である。
私はこれまで、離島やアクセスに時間がかかる場所に旅行することが頻度が高かったため、電車の本数の多さに驚きを隠せなかった。ふと地図に目を落とすと、原爆ドーム、お好み焼き店舗等は中心街から近く、非常に利便性が高いまちであることに気づく。整然と造られた駅。澄んだ空の青色。この景観に禍々しい紫で牙をむいているのが「アムス・インターナショナル」の看板である。絶望的にセンスがない。

あまりにも不穏なので検索してみると「アムス・インターナショナル 悪質」「裁判」と出てきた。過去に不動産トラブルで13億の損害賠償請求訴訟を起こされており、慰謝料まで認められたことが判明した。普通にやばくてわらう。看板も態度もデカい。もちろん観光に際し、そんな情報は不要である。しかし現地に赴いて知ることもあるのが旅行。広島駅はDEEP・・・

路面電車

富山のLRTを思わせる、スタイリッシュな路面電車が滑り込み、柔らかい風が吹いた。

めちゃくちゃ小さくて可愛らしいホームも!

🍁熊の筆専門店


熊の筆は広島の伝統工芸品で、ずっと気になっていたもの。駅近に熊の筆専門店があり、リスの毛、キツネの毛など様々な感触を楽しむことができる。習字の筆も販売されていたが、こちらではチークブラシとアイシャドウブラシを購入。フワッフワで顔が痛くない・・・今も毎日使用しているが、チークの減り方、凹み方も明らかに違うので、少しお高いものの、ガチで記念になった。他に購入機会があるとすれば、物産展で狙えるかも。

繰り出し式は何かと便利

ランチは広島の食材をふんだんに使ったみのりみのるへ。
疲れた体に和食の温かさは沁みわたる。


あれ?   
お好み焼きは?

人多すぎ問題

お好み焼き屋さんは「いっちゃん」「福ちゃん」とか色々出て来た・・・!広島駅付近のお好み屋さんを確認してみる。後ろから大勢の監視状態。忙しなく食べる様子がわかって



あっ





無理だ



引き返すことに。写真では伝わらないかもしれないが、この3倍は行列してており、想像を絶した。めちゃくちゃ食べる気で来たのに、もはや味わう情緒も、時間もなさそうであった。人工的な水色のカゴから刻んだキャベツがわしゃっと掴まれ、カウンターの皿にハイスピードで載せられていく。とにかくあの場だけ産業革命の幕開けだった。ベルトコンベアー方式だった。


いや、なんか
マジで思ったのと違ったの。
えっ
もう少しゆっくりできるかと思ってたのに。
スタッフが吉野家より動き激しいし。
本当に失礼で申し訳ないんだけど、
私の中で



なんか家畜っぽくない?


っていう言葉がループしすぎて死ぬかと思った。


恐らく地元民は別の場所に行くのだと思う。


お好み焼きは今回食べなかったが、最終日、別のグルメを楽しむことに・・・!

🍁ゆめマート

旅行に来たらスーパーに入ると、その土地のキャラクターを楽しむことができる。広島では「ゆめマート」が地元で有名のようだ。ここで二度見したのがお好みソースの異常な量。コーラかと思った。こんなボトル見たことないのだが!雰囲気から、お好み焼きが家庭でも親しまれていることが伝わる。

広島県民のお好みソースのストック量やばそう

🍁LIVE

Perfumeのファンクラブ限定ライブ
"Perfumeとあなた"ホールトゥワー2023に参戦してきた!1日目は全てLIVEの前振りと言っても過言ではない。夜、どきどきしながらホテルから一人、会場に向かおうとエレベーターに乗った時だった。

PerfumeのMV衣装で参戦



ーーYour dress is beautiful.



振り返ると外国人夫婦と目が合った。
エレベーターで自分が危険人物ではないことを示すために、外国人は敢えて話しかける説を聞いたことがある。しかし、在住の人はそんなこともないような気もしているので真偽は定かではない。純粋にマダムの方が興味持って目をぱちぱちさせているように感じた。Perfumeの衣装が褒められている…!嬉しい。


Thank you so much!
I'm going to music live tonight.

えっどうしよう嬉しいと思いつつ勢いで答えたのだが、なんか笑顔でhave a good time! って言われてバチバチにあがった。


完璧や



上野学園ホール


会場入りして電子チケットを見た瞬間、一気に血が湧き上がって心臓が止まりそうだった。


なんと


最前席だった!!!


電子チケットは会場入りしてから座席が判明する。震えながらよろよろと席に着くと、隣にいた初対面の青年が話しかけてきた。「えっこの席ヤバくないですか?!ヤバいですよね!!」「近い!!ヤバすぎですよ!」「さすがに最前はヤバい」全く語彙のない話を感情剥き出しでやり取りしていた。熱くなっているのに、お互い広島出身ではなくて笑った。県外の人を呼ぶ力が強すぎる。ありがたすぎる。

ライブ内容については触れられないものの、三人とも私のPerfume衣装に気づいてくれたのであった!特に、あ~ちゃんが衣装の襟の形を指で示してくれて、(襟!襟!)と口パクしてくれた瞬間、胸がいっぱいになった。あまりの笑顔の弾けっぷりに、これぞスーパースターだ・・・!拍手を送った。かしゆかものっちも確実に気づいてくれて、淑やかな笑顔を見せてくれる。ヤバイ!!!最高空間なんですけど。全てがファンのためにある温かい声援に包まれた空間で、ひたすら三人はキレッキレで美しかった。特にかしゆかの腹筋は心くすぐられる。実はのっちの腹筋もすごいのはここだけの話。

ライブ後に、隣の青年が「腹筋は見ちゃダメって自制したんですけど・・・」苦悶の表情で話していたので爆笑した。目に焼き付けなさい。それから昔と比べて、3人が明らかに筋トレで引き締まったよねっていうのが同意見だった。あ~ちゃんが激やせとか勝手に報道されているが、実際別に大丈夫では?という印象。引き締まってるし、パワーアップしたい気持ちなんだし、何より本人が報じられている状況を好ましく思っていないので、SNS見るメンタルもしんどいよな・・・と思った。アクティブな3人を見届けていきたい。

2日目

🍋原爆ドーム

2日目は広島市内の観光へ。街の回遊は観光バスがうってつけだ。周遊ルートに原爆ドームがあり、直行することにした。川沿いに原爆ドームと平和祈念公園、テラス席のあるレストランが見えた。あまりの外国人(ヨーロッパ系)の多さに、海外に来たような風を感じる。

原爆ドーム

運よく快晴で、白い雲のたなびく空に、原爆ドームの重厚な存在がカメラを向けにくいオーラを放っている。教科書で見た通りの形だ。中に入ることはできず、周辺を散策しながら観察することとした。

反対側に「慰霊」の石碑

慰霊碑側は、よりカメラを向けにくい。「慰霊」の黒々とした文字が結界を張っているようだ。心臓をわしゃわしゃとぞんざいに撫でられるような、落ち着かない場所。人物を入れた写真はかなり空気にそぐわないと感じる。外国人観光客も察して静かに見学しているようだった。振り返ると噴水広場にラベンダーが植わっており、計算された洋風の庭を垣間見た。日射しが非常に強い。

実際に行かなければ見られなかった部分

ドーム部分は吹き抜けになっているが、階ごとに踊り場があるのが確認できた。表面のレンガが経年劣化なのか、こぼれて芝生に散乱していた。元々の形状としては、ドームの高さと同程度の建物がドームの両サイドから腕を伸ばす、面積の広い洋風建築であった。「広島市物産陳列館」として展示販売をしていた建物だ。退廃的で、全ての時が止まっている。鉄筋コンクリートから無造作に突き出た鉄筋を見た時、軍艦島に転がっていた鉄筋コンクリートを思い出した。軍艦島の鉄筋コンクリートのマンションは大正10年に建てられたとガイドさんが仰っていたが、かなり原型を保っていた。原爆ドームも補修をなされつつも、非常に頑丈な造りであることが見受けられた。

🍋おりづるタワー

おりづるタワーは原爆ドームの隣に建てられた”新名所“と思われる。2016年にオープンしたらしい。2015年以前に広島を訪れた方は知らないはずである。おりづるタワーは私の広島旅行の中で、非常に心が凪いだ場所であった。誰もが参加できるアートともいえるであろう。詳細は後述する。

画面右の高層建築:おりづるタワー

大人一名の入場料金2200円という強気価格である。しかも、おりづる投入料金+100円がつくのだが、これはケチらない方がいい。

木のぬくもりを感じる屋上へ

原爆ドーム付近は観光客でごった返しているのに、おりづるタワーは入場料金が高いせいかほとんど人いなくてワロタ。その代わり、見晴らしが最高なのである。原爆ドームが長蛇の列だったので急遽おりづるタワーに来たが、日が高いうちに来るのが正解。原爆ドームと広島市内が一望できることを考えて建てられたものと理解する。

静寂が心まで浄化させてくれる
ここまで木々や街並みが復活していることを当時の人々は想像しただろうか
折り紙のデザインがモダンで可愛い
おりづるが優しく見守る

おりづるタワーは平和への願いと希望を込めて建てられた。展示物は原爆ドームに関するものやアート作品等が豊富で、おりづるを自分で作るコーナーが非常に楽しかった。あと、菅田将暉のサインがあった!「ミステリと言う勿れ」の聖地らしいので、聖地巡りで楽しむのも楽しそう。あまりネタバレするとつまらなくなってしまうのでここまで。それに、実際の風景は写真の画角ではとても収まらない、息を飲む美しさである。360度を見渡すと、空の広さを感じられた。(ていうかあまりに天気よすぎて・・・!高円寺の気象神社の晴れ守り最強な気がしてきた)

🍋平和記念公園

広い

想像はしていたが、遮蔽物が一切ないアツい公園である。外国人は皆サングラスをして歩いていた。地元民の犬の散歩コースにもなっているようである。精密に整えられた公園の真ん中に、独特な曲線を描く慰霊碑がある。広島サミットで映っていた景色だ。解放感が日常生活では感じられないから、こういった場所で、腹の底から深呼吸するのが旅の醍醐味である。

この公園、歩かせるね・・・!

いや


めっちゃ歩くじゃんっていう印象が強い。


かなり運動だった。

🍋平和記念資料館

2日目のメインとなったのが平和記念資料館だ。

原爆の子の像というより「禎子さんの像」の方が個人的には身近に感じることができる

資料館にほど近い、禎子さんの像。
空ばかり映しているのは、像の下で小中学生が学校ごとに、
平和のセレモニーを10回は繰り返していたからである。
「平和のセレモニーを始めます!」
「平和のセレモニーを始めまァす!」
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・

えっ


こんなにやるんかい!



間髪入れずに次の学校のセレモニーが始まるので、余韻どころか忙しない。平和とは。
10月の平和記念資料館は、修学旅行生などで相当込み合っていることを覚悟した方が良い(天気は素晴らしい)。私は修学旅行で広島に来たことはなかったので、興味深い景色であった。子どもの頃に来ていたら、観光できる範囲も時間も限られていただろうな。大人は自由に予定が組めるけれど・・・旅の形は色々あって、今見ている形が当たり前ではないって、当時の自分に教えたかったな。この子たちは近県から来ているのだろうか?そういえば、おりづるタワーに学生いなかったな・・・さまざまな想像を巡らせていた。

人の波とざわめきが少し穏やかになった頃、平和記念資料館に入った。

平和記念資料館の内部は想像以上に新しい造りであった。原爆投下前の広島から終戦、そして現在に至るまでの歴史の変遷を歩きながら追っていく。遺品展示を追いながら痛ましい事実を淡々と眼前に突きつけるのだ。私は原爆資料館の内部がどうなっているのか、あえて事前知識ゼロで臨んだ。行く前は「戦争はいけない!」「政治が悪い!」といった何かしらの主義・思想も強めに入ってくるかと思いきや、そういう感じではなかった。当時の日本の新聞記事、アメリカの報道状況、広島市民の我が子の無事を祈る手紙、爆風で引き裂かれた服など、ひたすらに事実を見せることで入場者に現代をどう考えるか問いかけている。

原爆資料館はヨーロッパ系の観光客、修学旅行生でごった返していた。あまりに凄惨な展示物にショックを受け、途中ぐったりとして床に座り込んでいる外国人、お手洗いで涙を拭いている外国人が何人かいた。修学旅行生の方は「怖い、怖い」と言いながらも落ち着いているイメージだった。というのも、日本人については、8月に毎年放送される原爆のドキュメンタリー映像や平和学習とか、何かしらの機会で展示物に既視感を覚えた瞬間があると思う。私も覚悟していたのだが、(これが、あの・・・!)とか、見たことあるものが何点か眼前に現れたため、少し冷静になれたように思う。初見の外国人にはキツイものがあったに違いない。


正直、原爆資料館を観光で見にくる外国人偉くない?って思った。
東京とか観光で行きそうだけれど「広島に行こう!」と思い立って、原爆資料館にはるばるやってきて涙する。ガチで熱心で行動力すごくない?絶対良い人たちじゃん。


印象的だったのは、被爆して白血病を発症し、入院した禎子さん(先述のおりづるの像)が、看護師に「折り鶴を千羽折れば、願いが叶うわよ」と言われて折り鶴をおり始めたエピソード。その折り鶴の現物が1㎝程度の大きさであることに衝撃を受けた。病床で起き上がることが難しくなり、針やピンセットを使いながら、徐々に折り鶴は小さくなっていったらしい。


それにしても



この子はとても器用だったのだ・・・!



そこに驚いた。超ミニサイズの折り紙芸術があるが、その先駆者みたいな薫りがした。看護師は本人に病状を隠していたようだが、禎子さんは看護師の目を盗み見ては、自分の血液検査の値をしっかりとメモしている。本当は自らの状況を把握していたのである。病気を本人に伝えず隠し通すという文化は、私は賛同できないのだが、自分の体内で何が起きているのか知りたいという気持ちが禎子さんにはあったのではなかろうかと思料する。結局、禎子さんは僅か12歳で亡くなってしまう。しかし、学校の友達やあらゆる人々が「禎ちゃんがかわいそう」と声を上げ、像が作られた経緯がある。

展示の最後に、日米の報道資料をまとめたコーナーがある。広島・長崎で落とされた原爆の開発にいたる詳細が綴られていた。とても全てに触れることはできないものの、読んだ上での私見を述べたい。(面倒な方はスルーしてください)

原爆資料館の展示を見終えて、最初に感じたのは、今の日本は全然防衛できてないじゃんという絶望感だった。平和への祈りとか、綺麗ごと抜きで祈ってる場合じゃないよという感想・・・。考えたくもないが、はっきり言って3回目落とされるリスクと常に隣り合わせである。防衛の状況としてはあの頃と変わっていない。原爆が落とされる前に、新潟市や京都市も候補に挙がっていたのも恐怖だったが、実験の検証のためにアメリカに”使われた”という報道資料を読んで受け止めるのは非常に酷であった(アメリカ側の記事)。皮膚や体内への影響、胎児への影響、生存率などを長期的に取り纏めたレポートが残されていて、背筋に寒気が走った。


中心の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている

ーーーー過ちは繰返しませぬから
とあるが、繰り返さないために日本で具体的に何を実行するのかという議論になると、原爆を持つ・持たない、自衛隊を軍隊にすべき・するべきではないといった意見がぶつかり合い、最終的に必ず憲法論争に行きつくわけである。1946年にGHQが憲法草案を作って、日本の軍事力の去勢(日本の弱体化)をさせてから今日までずっと論争中・・・

1946年が大昔で・・・今2023年と考えると、これに従い続けるのが正しいのか、さすがにアップデートが必要ではないかと考えさせられる。(読者各々意見はあると思います)海外で武力行使ができないために拉致被害者はなかなか取り返せない、離島に巡視船がウロウロするのは注視するしかない。これだけ凄まじい展示を見せられて、我々のできることが”祈り”か・・・って、資料館出た瞬間に奈落の底に突き落とされた。切り札が”祈り”と”交渉(各国首脳との対話)”しかないのか?当時原爆で亡くなった人たちに日本の現状を説明するとしたら、がっかりされると思いませんか。資料館を見てから、現状のヤバさを再認識させられた。

資料館自体の構成は素晴らしかった。実際に見て知ることが多く、広島に来て良かったと思えた。

3日目

🍊宮島の入口


打って変わって、鹿のグラビアをどぞ!


ポージングわかってる・・・
目もうるうるで可愛いいいい!
鹿も猫みたいに香箱座りするんだね!
しかも日光の鹿より断然大人しい。鹿せんべいが売ってないからか、突撃されることはない。バッグに軽く顔を突っ込まれたが、だめだよ、と諭すとスンとして切り替え、のしのしとゆっくり歩いて行った。


宮島はグルメも含めて想像以上に楽しめた。
広島からフェリーで向かう。

遠景の厳島神社

本当に水に浮かんでいる。柱腐らないのかな?ってずっと考えていた。

満潮からそれ程時間が経っていない時

瀬戸内海は少し緑みがかっている。青色と混ざって奥行が出ているのが幻想的。まさか波打ち際を歩けるとは思ってもみなかった。

厳島神社

宮島全体が神聖であると認識されていたことから、海の上に鳥居が立てられている。風は穏やかだ。揺らめく波から磯の香りがふわりと運ばれてくる。

のんびりしている
「杓子の家」

宮島の特産品である「しゃもじ」。飯取る=敵を召し取るという意味に転じて、必勝祈願の縁起物となっている。禁酒ってなんかじわじわくる。

宮島の商店街はとても賑わっていて、お土産選びや食べ歩きをするには飽きない。江の島の商店街や、鎌倉の小町通りに近いものを感じる。そこまでの人混みではないが、とにかく過ごしやすい場所だ。

🍊焼きがきのはやし

宮島に到着してまず向かっていったのは焼きがきのはやし。
人生初の生がきを食べてみることに。

牡蠣はあたったら旅行が終わるので、実はずっと警戒していた。ところが、知り合いから「大昔、牡蠣にあたったことがあるが、焼きがきのはやしはノロウイルスを一度も出したことがないと聞いて、30年来に克服できた」という体験談を聞いたのである。これは期待できる!と思い、オープンとともに行ってみた。

大粒の生がき。口に入れた途端に海が広がった。深くまで潜水して、海にいだかれている感覚になった。あまりにも美味しすぎる・・・!やはり生き物の源は海なんだ・・・魂が・・・海に帰りたがっている・・・!強烈な味わい深さに脳内で波のしぶきが上がっている。広島で生がきを食べられてよかった。過去の一人旅も含め、旅行のグルメでは個人的にNo.1だと思う。衝撃が大きすぎた。

こういうの食べたことないから、どうやって食べるのかわからない

宮島に来たのは生がきが一番の目的だった。
また是非訪れたいお店である。


穴子丼

穴子丼も美味しかったのだが、圧倒的な生がきに霞んでしまった感があり・・・でも美味しかった。


ここで再び厳島神社へ。

この景色、旅行サイトでよく見るけれど、実際眺めがとても良い。工事を繰り返しているのか、随分柱が新しいのだなと驚いた。

厳島神社のおみくじ。良いことが書いてある?
わかめ?

地面に降り立つと、厳島神社周辺は干潮を迎えていた。これまで見えなかった。わかめ(?)やフジツボが顔を出し、シオマネキや貝が乾いた大地をうごめき始めた。この地面の様子が意外と面白くて、観察し甲斐があった。
海の下はこうなっているのか・・・!という発見が多い。

牡蠣?!

先程まで歩いていた厳島神社近くの岸壁に、牡蠣がびっしりと貼り付いていた。「焼きがきのはやし」は付近の大黒神島の海で牡蠣を獲っているようだが、この辺りでは牡蠣が豊富に獲ることができるのがうかがえる。獲り放題・・・ってコト?!広島県民は美味しい牡蠣がいつでも食べられる環境でいいなと思った。

奇跡的に干潮の厳島神社も観光することができた。一斉に鳥居の下に向かっていく人々。見た目より深くて靴が水没しかけるので、こちらから撮影。

鹿の毛は硬めだった
水が引いた境内
やっぱり水に浮かんでいる方が映えるかも?
粋な鳥居のラテアート

宮島のおしゃれな純喫茶で〆。

今回の旅行は深く考えさせられる旅だった。尾道ラーメンやお好み焼きも気になるところではあるが、広島は一度ではとても回り切れない場所である。特に宮島は時間が止まっているかの様にのんびりできたことが大きい。リフレッシュ要素がかなり高い。

回遊しやすいまちなので、また別の地域も観光してみたいと強く思う。

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