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interview Ambrose Akinmusire:自分自身のブルース、2020年代のブルース

2010年代後半に入ってから、アンブローズ・アキンムシーレの影響力を徐々に感じるようになっていた。数多くのインタビューを行う中で実際に名前を出されることも少なくなかったし、若手の作品を聴いたときにそのサウンドから感じることも何度もあった。日本のジャズミュージシャンと話していても彼の名前が出ることがあった。いつしか確信に変わった。

そもそもアンブローズがリリースする作品がいちいちすごかった。2011年の『When the Heart Emerges Glistening』以降、どの作品も他の誰の作品にも似ていなかったし、その後、作品を重ねても、それは変わらなかった。現代のジャズを構成する技術や理論など、様々な要素が随所に含まれてはいて、中にはラッパーが参加したものだってあるし、ベッカ・スティーブンスが参加した歌ものだってある。でも、アンブローズはそれらを比類のないものとしてアウトプットしていた。

だからこそ、世界中のあらゆるメディアがアンブローズのアルバムを年間ベストのリストに入れていた。僕も同感だったし、異存は少なかっただろうと想像する。ジャズのシーンの外からジャズを見ると、話題になるプレイヤーはその都度変わるし、トレンドのようなものもある。でも、自分にとってアンブローズの動向は「追わなければならないもの」になっていた。

だからこそ12年もの間、来日公演がなかったことはとても残念だったのだが、2024年、遂に来日することになった。直前ではあるが、彼に話を聞くことができた。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:丸山京子 | 協力:ブルーノート東京

https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/ambrose-akinmusire/

◉オークランドでの経験

―― オークランドのベイエリアという場所で育ったことは、あなたの音楽に影響を与えていると思いますか?

最初に僕を導いてくれた音楽面でのメンターは、ここ(オークランド)の人たちだったからね。彼らの多くは元ブラックパンサー党員で積極的に政治活動に関わった経験がある。彼らは偉大なミュージシャンである以上に、歴史を研究する人たちだった。だから僕も歴史を通して音楽の世界へと入り、単に音符として捉えるのではなく、“なぜそうなったのか”を学ぶことができたんだ。1958年の世界で何が起きていたか、ジャズが生まれていた1920年代、30年代はどうだったのか…。そういう意味で、ジャズの世界に入ってくる平均的な人たちよりは、その辺りに対する理解が少しだけ深かったかもしれない。

一番のメンターはロバート・ポーターというトランペット奏者だ。エド・ケリーカリル・サヒード…とてもローカルな人たちだから、知っている人はそういないだろうけどね。

――あなたの音楽にはゴスペルの要素を感じますが、教会のバックグラウンドはお持ちですか?

うん、5歳でピアノを弾き始め、7〜8年は聖歌隊と演奏をしていたよ。

◉ロイ・ハーグローヴへの憧れ

――ジャズを始めたきっかけは?

ロイ・ハーグローヴ。(壁の写真を指して)あそこにいるのも彼。

――へーー、ロイですか。

Yeah! だって彼は見た目も音もchurchで、ヒップホップだった。オークランドのインナーシティで育った自分にはそこが共感できたんだ。ジャズは決して古くなくて、今の時代にも意味があり、新しくて、新鮮なのだと、初めて教えてくれたのがロイだった。「これを仕事にしたい」と初めて思わせてくれた人だったんだ。

※アンブローズはRoy Hargrove Big Band『Emergence』(2009)に参加

――ロイもその一人かもしれませんが、これまでにコピーしたり、採譜したり、特に研究したトランペット奏者はいましたか?

ロイだけだったかな(笑)。もっと古いクリフォード・ブラウンとか、ファッツ・ナヴァロブッカー・リトルの存在も大きかった。ケニー・ドーハムテレンス・ブランチャード

◉トランぺッターについて:ブッカー・リトル

――ブッカー・リトルはそんなによく名前が出る人ではないですよね。どこが素晴らしいんですか?

すべてさ!ものすごいテクニックの持ち主で、1音足りとも外すことはないくせに、今にも落ちそうなギリギリのところにいる感じがするんだ。アクロバットみたいなメロディラインといい、ハーモニーストラクチャー内の音だけじゃなく、“外”にある音も吹いてしまうところといい、大好きだった。彼の書く曲は、モダンなthrough composed のクラシック曲のようだった。しかも若かった。たった23歳で亡くなったんだ。クリフォード・ブラウンも25歳で死んだ。だから、僕はいつも演奏したり練習する時、想像するんだ。「彼らが40歳、50歳、60歳、70歳まで生きていたらどんな音を出してただろう?」って。その音を自分で出そうとしてるんだよ。

――ブッカー・リトルはアルバムはそれほど残していませんが、あなたに影響を与えたアルバムや曲はありますか?

(『Booker Little And Friend』収録の)「Victory and Sorrow」

――あなたはルイ・アームストロング、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィス、フレディ・ハバードなど、あらゆる時代のトランペットのスタイルを消化したうえで演奏していて、特定のスタイルが強く出ているとは言えない演奏をする人だと思います。そんなあなたの演奏への考え方に影響を与えたジャズ・ミュージシャンはいますか?

ああ、ウェイン・ショーターハービー・ハンコックスティーヴ・コールマン。この3人かな。

――スティーヴ・コールマンとは録音に参加したり、付き合いがあったと思いますが、どういうところに影響を受けたのですか?

仕事はしたけど、それほど長い期間ではないよ。19歳の時に長いツアーを一度回ったんだ。あれは僕にとって人生の非常に重要な時期だった。夏いっぱい彼とのツアーで過ごし、学校に戻ったと思ったら9.11(アメリカ同時多発テロ)が起きた。アメリカ人のほとんどがそうだったように、僕はただただショックで…。他にどうすることもできず、彼を聴いて学んだことを、ずっと練習して過ごしたんだ。そんな人生の中でも重要な時期と重なっていたんだ。それだけじゃなく、彼が技術のために身を粉にするのを僕はツアーを通じて、この目で見た。彼は本物だったよ。「この地球に存在する理由は、自分がなれる限り最高の自分になるためだ」という人だった。そんな人の隣で演奏できたんだ。すでに素晴らしいのに、毎朝早く起きて、ギグの前に練習をするような人だ。そんな彼の技術に対する献身ぶりには、大きな影響を受けたよ。

――ロイ・ハーグローヴスティーヴ・コールマンとは接点がありましたよね?

ああ。ロイはスティーヴが大好きだった。『The Tao of Mad Phat』の1曲でプレイしていたはずだ。

――ビバップ以前、戦前のトランペット奏者もしくはコルネット奏者も研究しましたか?

ヘンリー・レッド・アレンドク・チータム…大勢いたよね。でも、僕のジャズにおける学びは、真剣にトランペットをやってる奏者に比べて、特別ってわけじゃないと思うよ。

それにジャズに限らず、他にもいろんな音楽に興味があった。ブルガリアの音楽は長いことハマってた時期があったし、北欧の音楽、マリの音楽、インドの音楽…ビョークは一番影響を受けた一人だよ。ジョニ・ミッチェルも。そういった音楽すべてが、僕の出すサウンドや音の聴き方を作り上げてきたんだと思う。ある意味じゃ、トランペット奏者以上に、そして間違いなくジャズ以上にね。

◉影響源:ビョーク

――ビョークの音楽はどんなところが好きですか?

すべての曲がそれぞれの宇宙で、彼女はその宇宙の中に住む生き物になるというか。まるでその宇宙で言葉を話せるのは彼女だけで、僕らはそこに招き入れられ、彼女に言葉を教えられるというか。その感覚が大好きなんだよ。すべてのアルバムがそれぞれの惑星で、ふわふわと宇宙の中を漂っている。マイルス・デイヴィスも、ジョニ・ミッチェルも、そんなところがあったね。

――さきほどブッカー・リトルの名が先ほど出ましたが、他に知名度は高くないけど、優れたトランペット奏者で、実はあなたがかなり研究した人がいたら教えてください。

マーカス・ベルグレイヴチャールズ・トリヴァートム・ハレルライアン・カイザー…。僕は本当にいろんな音楽も聴くし、そのどれからもインスピレーションをもらう。必ず何かいい点が1つはある。たった1音あればそれで十分。何ヶ月も「どうやってあの1音を出したんだ?」と夢中になれるんだ。ウォレス・ルーニーの存在も大きかったね…。

◉トランぺッターについて:マーカス・ベルグレイヴ

――マーカス・ベルグレイヴはどんなところが素晴らしかったんでしょうか?

彼とは個人的に知り合いだった。マーカスとクリフォード・ブラウンはどちらもロバート・”ボイジー”・ローリーに師事して学んだんだ。本当に多才で、レイ・チャールズともプレイするけど、ビバップも吹ける。

僕は何度か彼の家に泊まったことがあった。僕が寝た後も、彼は飲んだりパーティをしてたのに、翌朝起きるともう練習してるんだ。その頃、結構歳をとっていたのに朝から起きて、下着のまま、シャツを羽織って、技を磨くことに専念していた。そんなふうに、自分の技を磨くことに身を捧げるミュージシャンたちが周りにいて、その後ろ姿を見てこられた僕はラッキーだったと思う。今もインスパイアされ続けているよ。

◉トランぺッターについて:チャールス・トリヴァー

――チャールズ・トリヴァーはどんなところが好きでしたか?

彼の作曲、トランペットのプレイはもちろんだが、70年代にコミュニティのために彼が行ったこと、たとえば自分のレーベル(Strata East)を立ち上げ、ミュージシャン同士が演奏し、サポートし合える環境を作ったこと。僕にはやれていないことだが、それを70年代にやったのは、とても素晴らしいことだと思う。チャールズ、スタンリー・カウエル…など、奏者や作曲家としてだけでなく、コミュニティに根差した感覚は素晴らしいよね。。

――あなたは本当にオタクというか…(笑)。すごくマイナーなトランペット奏者のアルバムの話をしていますよね。ギリギリCD世代のはずのあなたが、どうやってそういう音楽を知ったんでしょう?

ディグったんだよ。高校時代も学校が終わると毎日レコードショップまで歩いていって、レコードを漁り、クレジットを読み、トランペット奏者が入ってれば、とりあえず買う。トランペット奏者を聴いていても、気になるピアノが聴こえたら、そっちにも行ってみる。そんなふうにディグってディグってディグりまくった。

今は同じことをSpotifyやYouTubeでやってる。お勧めがあったら送ってと知り合いにも言うし、Smallsやジャズクラブのストリーミング配信を見るし、そうやって常に新しいサウンドを自分から探しに行くんだ。

――トランペット奏者以外のプレイヤーも好きだと言ってましたが、特にフレーズとかをトランスクライブした人はいますか?

もし他の楽器のプレイヤーということであれば、バド・パウエルの影響が大きいよ。

――意外ですね。

人はバド・パウエルというとビバップを連想するけど、彼がやってたことはチャーリー・パーカーとは全然違う。自分のスタイルを貫いてたよ。モンクに似てるんだ。モンクもビバップをやってたけど、ビバップじゃなかった。彼だけのスタイルだった。「Un Poco Loco」「Tempus Fugue-it」…彼のサウンドの全てが好きだ。あとは「Glass Enclosure」も本当に美しい。

他にはコルトレーンの影響も大きい。リー・コニッツもそうだね。ドラマーならエルヴィン・ジョーンズ。あとはハービー・ハンコック

――コンセプチュアルなアルバム、メッセージのある曲…とあなたは作品の世界観を非常に重視していると思います。その部分でインスピレーションを得た作曲家は誰でしょうか?

ジョニ・ミッチェル、そしてマイルス・デイヴィス…どちらも素晴らしいアルバムを作る人たちだ。素晴らしい曲を書く素晴らしい作曲家は大勢いるが、それを一つにした時、何を語りかけてくるかということ。

写真家も同じだ。1枚のいい写真なら撮れるだろうけど、手に取りたいと思う1冊の写真集を作るのは難しいんだ。

だからビョークのような世界観を作り上げられるアーティストに僕は興味がある。ジョニ・ミッチェルビョークマイルス

ジョン・コルトレーンもそれが得意だったね。『Crescent』『Love Supreme』…『Giant Steps』は皆が知ってるアルバムだけど、その楽曲と言ったらどれもすごいんだ。違った視点から同じ一つの物語を語っている。素晴らしいアルバムを作る人、だね。

◉影響源:ジョニ・ミッチェル

――何度も名前が出ているジョニ・ミッチェルだったらどのアルバムや曲に特にインスパイアされました?

「Jericho」だよ。大好きなラヴソングなんだ。彼女は「愛している」とは言わない。「私は何があっても頑張ってみる。失敗するかも知れないけれど失敗しても頑張る」と歌っていて、僕にはとても誠実だと思える。寂しくてスローな曲ではなく、ミッドテンポ〜アップビートな曲だという点もね。

あとは「Both Sides Now」。彼女のキャリア初期の作品だけれども、キャリアのずっと後になっても歌っている。歌詞の一言一言が聴こえ、全ての音節が違う意味を持って聴こえるようなんだ。それって本当に美しいと思う。もしマイルス・デイヴィスが歳を取ってから時代を遡ってビバップを演奏していたら、どうだったろうか?というのと同じ。きっと視点も違ってくるだろうから。

◉『On the Tender Spot of Every Calloused Moment』のこと

――ではここからは近年のアルバムについて聞かせてください。まず、『On the Tender Spot of Every Calloused Moment』(2020)のコンセプトから。

ブルースだよ。

「自分のブルースって何だ?それをどう表現すればいい?」と考えたんだ。僕のブルースは200年前のブルースと同じであるべきじゃない。だったら、僕のブルースの音は?それを音楽の形で表すにはどうする?経験や条件は当時とそう変わらなかったとしても、生活そのものは大きく変わった。今はテクノロジーやインターネットで世界中の音楽にアクセスできる。それでいて、そういうものがなかった頃のブルースと、何も変わらない音をしてるはずがないじゃないか。そういうことだね。

――あなたが今言っている「ブルース」は、音楽的な形式としてのブルースではないってことですよね?

うん。音楽としてのブルースを作り出した”感情”ということ。そもそもブルースというジャンル自体に違和感がある。(ブルースとは)人間が置かれた状態の一つの時期を表現してるだけなんだ。ブルースが感情なのだとしたら、今の感情を表す音楽は?もし音楽としてのブルースが存在してなかったとして、僕が一度もブルースを聴いたことがなかったとして、僕が自分の悲しみを表現して別の名前で呼ぶとしたら、それはどんな音なんだろう?と。ジャンルとしてのブルースそのものに疑問を投げかけているんだ。

――あなたが考えるブルースを最も感じさせるモノ、人…何がありますか?

ヒップホップだ。ヒップホップから生まれる物語とエネルギー。

――ラッパーやプロデューサーの名前を挙げると?

もちろん。The King…ケンドリック・ラマーさ。

※アンブローズはKendrick Lamar『To Pimp A Butterfly』収録の「Mortal Man」に参加

――「Tide of Hyacinth」ではヨルバの言葉によるチャントが聴こえます。この部分にはどんな意味を込めたのでしょうか?

僕自身がヨルバなんだ。それは父がヨルバだからだ。あのチャントを入れることは、僕だけでなく、アルバムや音楽に”祝福を与える”ような…幸運という言葉を使いたくはないが、幸運をもたらす、一種の場を清める意味だった。

――お父さんは西アフリカにルーツがあるんですか?

生まれも育ちもナイジェリアだよ。

――子供の頃からナイジェリアの音楽や文化に触れていたということですか?

家ではフェラ・クティキング・サニー・アデなど、ナイジェリアのトラディショナル音楽がたくさん流れていた。

――音楽以外のナイジェリアの文化を体験したエピソードってありますか?。

あぁ、難しいな。というのも、僕にとってはそれが日常だったから、比べようがないんだよ。でもおもしろいのは、母はミシシッピ出身なので、その比較においてなら話すことができる。ブラック・アメリカンであることと、ナイジェリア人であることの意味が理解できたのは、とても面白い経験だった。アメリカにいる多くの人間は「自分はアフリカン・アメリカンだ」と言うが、僕は常に「自分はブラック・アメリカンでありアフリカンだ」と感じてきた。自分のルーツの半分は少なくとも、特定の場所(ナイジェリア)に辿れるし、その伝統をここアメリカでも実践する人間が近くにいた。だからナイジェリアの料理を食べ、ナイジェリアの音楽に合わせて踊り、父がヨルバ(のこと)を話すのを聞いて育った。でも母方は、アフリカとはなんの繋がりもなかった。ある種のプライド…見た目は同じ…いや、同じではないが、肌の色は同じかもしれない…というようにね。僕は僕以外になったことがないので、その比較でのみしか語れないね。

――アキンムシーレという名前はとても珍しいですが、西アフリカに由来するのですか?

そうだよ。ナイジェリアのヨルバの名前だ。

――どんな意味ですか?

Child of Godさ。

――美しい名前ですねぇ。次は「Mr Roscoe」です。ロスコー・ミッチェルに捧げた曲ってことですよね?

ロスコーとやってた時に書いた曲だ。彼から連絡があり、何回かのギグを一緒にやった。実はオークランドに住んでいた頃、すぐ近くに住んでいたんで、何度か彼の家に行き、プレイすることもあったんだ。ここでは自分が必要としていた時期に現れてくれたメンターたちのことを歌ってる。彼はそんな一人だからね。4年前くらいの話さ。その頃の僕は息子が生まれ、アーティストとして、父親としてどう生きていけばいいか、ちょうど考えていた時だった。彼のような年長者が自らの技を極める姿を近くで見られたのは、タイミング的にもすごく良かったんだ。同時にいくつかのことを行うのも可能だと教えられた。だって時間は直線的ではないのだからね。

◉『Beauty Is Enough』とワダダ・レオ・スミス、ロスコー・ミッチェル

――ロスコー・ミッチェルはAACMの人ですよね。AACMのシカゴのコミュニティの音楽はあなたに影響をあたえていますか?

もちろん!AACMのミュージシャンの多くと共演をしたよ。彼らは皆「個人よりも一丸となった方がコミュニティは強い」という信念を持っていた。ロスコー・ミッチェルとも、アーチー・シェップジャック・ディジョネットともプレイしたよ。スティーヴ・コールマンもAACMだ。ワダダ・レオ・スミスともやったよ。

実際、彼らと過ごしたことがインスピレーションになって、僕も一人だけのアルバム『Beauty Is Enough』(2023)を作ったんだ。彼らは共通して、ソロというフォーマットを追求していた。それで僕も作ったのさ。あれはロスコーやワダダと過ごしたことの影響が形になったものだ。

――ワダダ・レオ・スミスのどんなところが好きですか?

ロスコー同様、自分の技を極めることに身を捧げている点さ。彼は「自分にはこういう音楽が聴こえる」と言って、それを実践する。商業的に成功するかどうかなんて心配していない。ただ自分の道を前に前にと進んでいる。僕は運良く、ずっと関心を持ってもらえている。でもワダダやロスコーや、ヘンリー・スレッドギルのような…僕にとって大きな影響を与えてくれた人たち…そんな彼らですら、全く仕事がない時期があったんだ。それでも彼らは音楽を作り続けた。その姿は本当に美しくて、インスピレーションを感じるんだ。

――ところで「Mr Roscoe」ではトランペットの音が遠ざかって、戻ってくる瞬間があります。「4623」ではトランペットがすごく遠いところから聴こえてきます。『On the Tender Spot of Every Calloused Moment』では少し変わった録音をしている曲があると思いますが、どんなことを考えて、その音作りをしたのか聞かせてください。

「Mr. Roscoe」に関しては…僕はスタジオの中で動き回ることがあってさ。それがそのまま録音されてるってこと。でも実際、ああいうふうに僕(の頭の中)には聴こえたんだ。音が遠ざかって、また戻ってくるみたいにね。もう1曲「4623」は…僕がiPhoneで録音した音だったからああなったんだ。

――へええ?スタジオじゃないんですね。

昔住んでたLAのアパートでだよ。オークランドに引っ越すために、アパートを引き払う前日とかそのくらい。パートナーが妊娠中で、僕は部屋で練習をしててね。記念に録音したんだ。

――「Blues(We Measure Our Heart With A Fist)」の前半部分ではトランペットに奏でられる限りの不思議な音がたくさん入っていますね。

わはは(笑)

――この曲はどんな曲なんですか?

あの最初の部分で僕は自問しているんだ。「このサウンドがブルースの音なのか?」「それともこれ?」と。We Measure Our Heart With A Fist(僕らは拳で心をはかる)ってこと…ブラック・パワー、ブルース、ブラックのブルース…そんなことを考えてる曲だよ。

◉『Owl Song』のこと

――自問自答のプロセスがそのまま曲になっているのってすごいですねぇ。では『Owl Song』(2023)のコンセプトがあれば教えてください。

ただ一つの理由のためだけにやるバンドを持ちたかったんだ。そしてこの時のバンドは、メンバー全員が”美しさ”にコミットしているから成り立った。他のどんな理由でもうまくいかない。

――なるほど。

ビル・フリゼールハーリン・ライリーマッコイ・タイナーのギグで1度共演しただけ。つまり二人は数年前にあるプロジェクトで一緒になり、それを除くと一度も共演経験がなかった。そもそも僕はハーリン・ライリーとは共演はおろか会ったこともなくて、最初のギグのサウンドチェックで初めて会ったんだ。

――まじすか!?

でも、音を合わせてすぐにハーリンは「どうしてうまく行くんだ?」と不思議がってたよ(笑)。「なぜうまくいくとわかった?こんな演奏は僕はしたことがないよ。だって、こういうクリエイティヴな音楽で呼ばれたことがないから。普段はスウィングすることだけを求められるし」と。つまり、それがコンセプトなんだ。このプロジェクトがうまく行くのは、ただ一つ、全員の美しさに対するコミットメントがあるからだったんだ。

――この3人の組み合わせは、率直に言って、とても不思議な組み合わせですよね。僕も謎だなって。

僕もそう思うよ!でも、今回はスペース(空間)がほしかったんだ。人生にはあまりに音がありすぎて、うるさすぎる。だから、聴く人のためにスペースを作りたかった。自分自身にもね。居心地の良い空間を作り、その真ん中に座って、ただ息をつきたかったんだ。「SNSやインターネットやあれやこれやがあるけれど、そんな中でリラックスした気分にさせてくれるアルバムがあったらどうだろう?」と思ったんだ。『Kind Of Blue』みたいに、僕らが立ち戻りたくなるアルバム。心に安らぎを与えてくれるアルバムだよ。そんな作品を自分も作ってみたい、作ってみよう、とって気持ちが少なからずあって、だからチャレンジしたんだ。

――ちなみにトランペット、ギター、ドラムという編成、しかもベースレスという珍しい編成は、あなたの演奏にどんなものをもたらしましたか?

編成というよりは、プレイヤー自体なんだと思うよ。だって、もしラッセル・マローンジェフ・テイン・ワッツを雇っていたら、ストレートアヘッドでインテンスなものになってただろうし。つまり編成じゃない。「人」なんだよ。

――そうなんですけども、ベースレスのトリオ編成って変わった編成ですよね。この編成の参照源になった作品はないんですか?

ないよ。なかった。

――例えば、ビックス・バインダーベック、フランキー・トランバウアー、エディ・ラングのトリオのように戦前にはベースレスのトリオが多かったですし、ビル・フリゼール、ジョー・ロヴァーノ&ポール・モチアンロン・マイルス、ビル・フリゼール、ブライアン・ブレイドの例もあります。これらのトリオはどうですか?

わお!正直、考えたこともなかったよ。もちろん、それらのアルバムのことは知ってるけど、そこでの演奏は普通にベースがあるのと同じように演奏している音がするんだよね(笑)。そうじゃなくて、僕はベースがそこに存在しようがない、もしくは必要がないサウンドのアルバムが作りたかったんだ。その意味ではロン・マイルズのは例外かもしれない。ポール・モチアンのバンドはよりフリーでオープンだったよね。

僕の場合は、自分で書いた曲だった…でも実は1枚、すごく影響を受けたアルバムはあったんだ。本当は言うべきじゃないのかもしれないんだけど!(笑)別に今回のために聴いたわけじゃなくて、若い頃に、ものすごくよく聴いていた1枚なんだけど、『Angel Song』だね。参加ミュージシャンはケニー・ウィーラーリー・コニッツデイヴ・ホランドビル・フリゼール

――へー!ECMの?

そうそう。あれを聴いた時「嘘だろ、ドラムが入ってないじゃないか!」と驚いたんだ。でも同時に「ドラムがあれば良かったのに…」とは思わなかった。むしろ「ドラムはあるべきじゃない」と思えた。(ドラムレスを)試す人は多いけど、聴くと「ドラムが入ってた方がいいんじゃない?」って思える時もある。あの曲には、その楽器が入っていない編成で、その楽器がいる必要が感じられない曲を書く…という意味で影響を受けたね。

――おもしろいです。そして、音数の少ない、ちょっと変わった即興性の強いセッションにハーリン・ライリーが入っているのはすごく珍しいです。先ほどもちょっと仰ってましたが、ハーリンとのやり取りをもう少し聞かせてください。

ずっとやってる間「本当にいいの?これでうまくいくの?本当に?」ってそればかり!スタジオに入る前に2回ギグをやったんだけど、初日、ソールドアウトの会場が総立ちになる中、最後のお辞儀をしながらハーリンが僕に言ったよ、「こういうのが気に入られるのが信じられない」って。「客がいるなんて信じられない」ってショックだったみたいだ。

※ハーリン・ライリー:アーマッド・ジャマルやウィントン・マルサリスのドラマー。地元ニューオーリンズのルーツを感じさせることもあるオーセンティックなスタイルで知られる

――こういうサウンドのハーリンを聴けたのは珍しいので、変わったことをしたなと世界中の人が思ったと思います。

ああ、誰よりも彼がそう思ったらしい(笑)。でも美しいものは美しいんだ。クリシェのような歯の浮くことを言いたくないが、人間だってそうじゃない?そこに美しさと思いやりがあれば、すべてのことは解決できるもんだよ。

――ところで『Owl Song』における作曲はどんなものだったのでしょうか?

すべて譜面にして書いてあったよ。ハーリン・ライリーとのデュオ「Mr.Riley」だけは違ったけど、それ以外は譜面にしてあった。書き方、というのは別に他のどんな人ともそう変わらないよ。あくまでもそのプレイヤーを念頭において書いたのであって、楽器ではない。例えば「Waited Corners」ではビルのこと、ビルのサウンドが念頭にあった。「彼だったらこういう時はこういうことをすることが多いな」と、相手を理解してね。

――『Owl Song』における曲はテンポが遅い曲が多いのですが、このアルバムにおけるこういった曲はどのように呼ぶのがふさわしいのでしょうか?バラード?アンビエント?

(しばらく考え)自分でもはっきりわからないよ。僕にとっては同じ一つのムード(気分)を探求した結果だった。だから1曲をバラードと呼ぶのだとしたら、全曲がバラードだ。でも、『Kind of Blue』のような…あれをバラードと呼ぶのかな?それよりは色彩というか、ある種のムード…うーん

――あなたはジャズの歴史についてかなり勉強してきた人だと思います。一方であなたは自分なりのオリジナルの音楽を作ってきた人でもある。新しい音楽を作るために歴史を学ぶことはなぜ必要だと考えますか?

その質問に対してはいろんな答えがあるんだけど…。新しい音楽を作ることが必要なんではなくて、自分が何者であるかを知ることが重要なんだ。だって僕らは皆、“新しい”わけで、自分自身を知るためには、“今の前に何があったか”を知らなければならない。要は新しいものを作るには自分の前にあるものを知らなきゃならない。特に先駆者たちを学ぶのは大切だ。一見ゼロと思える中から何かを作り出した人たち、初めての音を発見した人たち。彼らはなぜ、どうやってそれを成し遂げたのか。大抵、彼らのたどったプロセスはどれも似ている。音にこだわり、過去に何があったのかにこだわり、それを理解していた。哲学と一緒で、他の哲学者の本を一冊も読まない哲学者なんていない。「私にはこういう新しい信念がある」と言うことはできても、重みが違ってくる。他の人間の考えを理解することは、自分の言葉がどう相手に響き、認識されるかを知る手助けになる。それもとても重要だと僕は思うんだ。

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