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interview Wolfgang Muthspiel:私の気持ちは縦に連なるコードではなく、ヴォイスの並び、つまりラインにある

90年代以降のジャズ・ギターが好きだったリスナーにとってウォルフガング・ムースピールは特別な存在だろう。パット・メセニージョン・スコフィールドビル・フリゼールらの時代とカート・ローゼンウィンケル以降の時代を繋ぐような存在だからだ。

ヴィブラフォン奏者ゲイリー・バートンのグループにパット・メセニーの後釜として加入しているが、ムースピールの後には2000年以降はジュリアン・ラージがその席に座った。

またドラム奏者ポール・モチアンエレクトリック・ビバップ・バンドにも加入している。このバンドの歴代ギタリストはカート・ローゼンウィンケルベン・モンダーからヤコブ・ブロまでとコンテンポラリー・ジャズの重要人物がずらりと並んでいる。

ベース奏者のマーク・ジョンソンはずっとジョン・アバークロンビーとの共演が多く、ビル・フリゼールを起用することもあったが、90年代以降、マークが度々共演したのはムースピールだった。ムースピールは時代の挟間に様々な場所で大きな貢献をしていた。

そんな名ギタリストが成熟していった2010年代、彼はECMとの契約を選び、新たな段階へと歩を進めた。2013年にはムースピールの影響源のひとりラルフ・タウナーとオーストラリアのクラシック系ギタリストのスラヴァ・グレゴリアンとのギタートリオ『Travel Guide』を2013年にリリースし、レーベルに仲間入りする。

翌2014年には盟友ブライアン・ブレイド、ブラッド・メルドー・トリオでお馴染みのベース奏者ラリー・グレナディアとのトリオで『Driftwood』を録音し、ECMリーダー作デビューを果たした。

そして、2016年には前作のトリオのピアノ奏者のブラッド・メルドーとトランペット奏者のアンブローズ・アキンムシーレを加えたクインテットで『Rising Grace』

2018年にはクインテットのドラムをブライアン・ブレイドからエリック・ハーランドに変え『Where The River Goes』

2020年には再びトリオに戻し、ドラムをブライアン・ブレイド、ベースをスコット・コリーに変えた『Angular Blues』発表している。

今や、ムースピールは(同じモチアン門下の)ヤコブ・ブロと並びECMの看板ギタリストとなっている。

そんなムースピールのオリジナリティはどこからきているのか。このインタビューではそこに焦点を絞って話を聞いた。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美

◉オーストリアのフォーク・ミュージック

――あなたは自身の出身のオーストリアのフォークミュージックからの影響があるって話を昔からよくされていますが、それってどんな影響なんでしょうか?

父がアマチュアのミュージシャンでクワイアの指揮をしていたし、男性だけのヴォーカル・カルテットで歌っていたこともあるんです。父がやっていたのはいわゆるアルペン・フォーク(アルプス山脈周辺のフォークミュージック)って呼ばれているもの。ヨーデルのことはみんな知っていると思いますけど、ヨーデルは早い曲が多いんですよ。私の父が歌っていたのはああいうタイプのフォークソングをすごくゆっくりなテンポにしたような音楽だったと言ってもいいかもしれません。しかも、すごくルーズな音楽だったので、ブルースみたいな部分もあるんです。これは遡れば何百年も昔に起源があるところまで辿り着きます。なんでも一生懸命聞くものは自分のランゲージになるので、子供の頃から家でよく聴いていたアルペンフォークは私の影響源のひとつになりました。クラシック音楽に興味を持ったのはその後です。

――アコースティックのギターもかなり弾くのはフォークミュージックからの影響とも関係があるのでしょうか?

どうなんでしょうね。最初の楽器は6歳で始めたヴァイオリン。その後、アコースティックのクラシックギターを弾くようになりました。だから、アコースティックのギターはジャズにのめり込む前からやっていた楽器なんです。父親の影響かはわからないですけど、アコースティックのギターの響きは最も馴染のあるものの一つだと思います。

◉ギター弾き語りによる2つの作品

――2012年に『Viienna、Naked』、2015年に『Vienna, World』と、あなたは弾き語りのアルバムをリリースしています。これはどこからきたものなのでしょうか?

そもそも私は作曲をするのが好きなんです。だから毎日、曲を書いています。そうすると「ソング」が出てくることがあります。「ソング」とは歌詞とメロディが一緒に出てくる曲のこと。そういうものが出てきたときに「この曲は誰が歌んだろう?」って思ったことがありました。「この曲では誰に歌を頼むべきなんだろう?」と。少し考えているうちに「だったら自分で歌ってしまおう」とひらめきました。そこからシンガー・ソングライター的なものがどんどん出てくるようになったんです。とはいえ自分がグレイトなシンガーだとは思っていません。シンガー・ソングライター的な世界はジャズの世界とはずいぶん違いますから。でも、これはこれで楽しいから、続けているって感じです。

――「ソング」の作曲に関してはどんなアーティストから影響を受けていますか?

ビートルズキャット・スティーブンスレナード・コーエンジェフ・バックリィ。ソングのマスターピースは3分や3分強の短い時間で、すべてを表現しています。ジョニ・ミッチェルもそうですよね。ジョニは僕のアイドルのひとり。あとはやっぱりプリンス。私がソングの世界に対して持っている多大なリスペクトはクラシック音楽に対するものと同様のものなんです。

――ギターは歌との相性がいい楽器だと思います。自分で歌うための「ソング」を書いて、その曲を自分でギターを弾きながら自分で歌った経験はギタリストとしてのあなたに影響を与えたりするんでしょうか?

影響はあります。自分の歌の伴奏をすると、シンガーとしての自分が伴奏者の自分に対して具体的に求めるものが出てきます。相手が自分だと、歌い手である自分は伴奏者である自分に対してすごく厳しくなります。具体的にこうしてほしいってことがあったら、それを自分がやればいいということになるので。

◉「歌うこと」が変えたギター演奏の意識

実際にその曲を演奏することになると、ギターのインプロのパートではシンガーの自分はすることがないなと思っていたんです。つまり、その間、シンガーはいなくなってしまう感覚がありましたひとりで両方をやって、片方に集中してしまうとどちらかが消えてしまうこともあります。

実は私は歌うにあたって、ヴォーカルのレッスンを受けていたんです。その先生から「さっき、あなたの表情を見ていて思ったんだけど、今、ここの部分ではシンガーとしてのあなたはいなくなったでしょ?」と指摘されたことがありました。「いえ、そんなつもりはないです」「いいえ、あなたの顔を観ればシンガーがいなくなっていたのがわかる。シンガーは歌っていなくてもそこにいなければならないんですよ」ってやりとりがありました。

そこで私が学んだのは、シンガーがきちんとそこにいることで「曲の中の一貫性(Continuity)」が生まれるということです。そして、歌っていなくてもシンガーがそこにいないと「ソング」にはならない。私は歌うようになってから、それを意識するようになりました。私がギタリストの存在だけになってしまうと自分の音楽は「ソング」にはならないことをレッスンで学びました。

――歌うようになって明確に意識が変わったと。

さっきの質問に答えているうちに音楽が頭の中で鳴り始めたんですよ。まだテーマがひとつ浮かんだだけですけど、シンガーとしてギタリストの傍らにいる自分を思い浮かべたから、音楽が鳴ったんだと思います。

歌に寄り添うような曲を作り上げることは自分が目指すところだと思います。だから、自分の楽器にはそういう風に「歌って」ほしい。それが一番のアチーブメント(実績)だと思います。その意味で私はジェフ・ベックが大好きだったんです。彼の楽器はすごく歌っていた。演奏はまるでパーカッションみたいで、かなりパーカッシブにもなるのに、突然、シンガーのようにギターが歌いはじめたりります。ジェフ・ベックの演奏は私に大きな影響を与えたし、今でも私の理想だと思います。私はあんな風にシンガーのようにギターを弾きたいんですよ。

――今のあなたのトリオのドラマーのブライアン・ブレイドも弾き語りのアルバムを出したりしている「歌うミュージシャン」ですよね。

ブライアン・ブレイドは教会の出身で、彼の父親は牧師でした。彼のキャリアは歌の伴奏から始まっているし、しかも、神を讃える歌のための伴奏が起点。だから、歌とは密接だと思います。でも、それを言ったら、スコット・コリーもベースを弾きながら歌うんですよね。だから、「歌」や「メロディー」に関するクオリティは私たち3人に共通する部分だと思います。そして、私たち3人がその部分を楽しんでいるのも重要だとも思っています。

◉ルネサンス期のクラシック音楽への傾倒

――ここから少し話題を変えます。あなたはクラシック音楽からの影響が強いって話をよくしています。その中でダウランドの名前を出すこともあります。ダウランドはリュート奏者です。リュートのような古い弦楽器のための音楽もあなたのギター演奏に影響を与えているのでしょうか?

僕は「あの時代」に興味があるんです。つまり、ルネサンスの時代のことです。

そして、私はダウランドのことをソングライターだと思っています。最初のシンガーソングライターみたいな存在と言えるかもしれない。しかも、ダウランドはすごく人気があって、ポピュラーな存在でした。もちろん私はダウランドのリュートから影響を受けていますし、ダウランドがバッハをリュートで奏でたバージョンを私はギターで演奏していたこともあったくらいですから。

それに私は当時のコラール・ミュージックにも関心がある。ダウランドはもちろんですが、トーマス・タリスオーランド・ギボンスモンテベルディオルランド・ディ・ラッソも好きなんです。彼らは初めてポリフォニーを探訪した音楽家たちでもあって、私はその部分にすごく関心を持っています。あの時代の音楽はすごく自由だったと思うんですよ。その後、音楽は変化したけど、そこからベターになったかどうかはわからないなって感じます。今、やられている音楽が持っている要素は既にルネッサンスの内にかなり出揃っていた部分もあると思うんですよね。

◉垂直なコードではなく、ヴォイスの連なりへの意識

――あなたがさっき言及した音楽はポリフォニーかつモーダルだったりすると思うんですが、それはあなたが作るジャズにも通じる気がするんですが、どうですか?

そうだと思います。私はルネサンス期の音楽の「ヴォイスの一つ一つが独立している在り方」に惹かれています。それが私にとっての理想の音楽なんです。私の気持ちはいつも「ヴォイス」にあります。だから、縦に連なる(=ヴァーティカルな)コードは意識していないんです。もちろん縦のコードも優れていなきゃいけない部分はあります。ただ、それよりもヴォイスの並び、つまりラインを重視しています。つまり、ヴォイス・リーディングへの関心が強いということですね。
私はアルト、ソプラノ、テナーが縦に並んだ時にどんなコードになっているかどうかは重視していなくて、それよりもひとつひとつのヴォイスがどう進んでいくのかに関心があります。そして、それをギターで演奏するにはどうしたらいいかを追求しています。だから、私はコードだけを追って演奏するような曲作りをしたことがないんです。コードを考えるにしても、それが何かに繋がっていて欲しいし、何かに連なってコネクトしていないと意味がないと考えていますから。ヴォイスひとつひとつの連なりと、ヴォイスがもつトーンが生むムーブメントが大事だってことですね。

ちょっとギターを弾いてみますね。ーー(実演)ーー 今、2つのラインを弾いたんですけど、私はこれがハーモニクス的にどうなっているかを全く気にしていないんですよ。

――今語ってくれたことはあなたの音楽のオリジナリティを紐解くヒントだと思いました。あなたは変わった考え方でジャズをやっていると僕は思うんですけど、あなたが共感するような、近い部分があると感じるミュージシャンはいますか?

共感する人はたくさんいますよ。偉大なミュージシャンはみんなヴォイスがどう繋がっていくのか、ハーモニーやリズムがどうなっているのかを考えているし、それをいかに自由に、恐れることなく演奏できるかどうかってところを追求していますから。そのために練習をすることになるんですけど、練習したことをライブで上手くやれたとしてもそれはすごいことではないですよね。それは安全パイみたいなものにすぎません。練習で完璧なら、安心して臨めるとは思いますけど、音楽にとっては安心しすぎることは決していいことではないと思います。人前に出た時に、何にも捉われずに自由に弾くことができるというのは大変なこと。客席にいる人は「こいつどのくらい弾けるんだ?」とジャッジする部分もありますしね。自分自身にだってエゴもあるからうまく弾きたいと思ってしまうこともあるし、気分良くやりたいと思うこともある。演奏家はみんなそこの挟間で戦っています。

その中で私にとってインスピレーションになったのはキース・ジャレット。彼はセーフティー・ネット無しで、リスクを背負って、それでいて自由に演奏します。そして、ウェイン・ショーターも最良の例ですね。彼はいつもその瞬間瞬間を演奏している。これはクラシックでも可能なことなんですよね。クラシック音楽では譜面に全部書いてあるから次に弾くべき音は決まっています。でも、その瞬間に演奏者が決められること、判断できることは実はたくさんあります。クラシック音楽の演奏家はある意味ではインプロヴァイズしていると言えると私は思います。音楽を創ってはいないかもしれないけど、その時だけのヴァイブスやひらめきやタッチやトーンは演奏家が選択していて、その時々で変えることができます。ただ、真のマスターはもう一度同じ解釈を演奏しろと言われてもできるんじゃないでしょうか。本当に優れているクラシック音楽の演奏家はそういう人だと私は考えています。

◉ミック・グッドリックへの想い

――最後の質問です。あなたは偉大なギタリストで教育者だったミック・グッドリックと特別な関係性だったと思います。彼の話を聞かせてもらえますか?

ミックは私にとっては私が探し求めて見つけた先生でした。一方で、ミックにとっては彼が探し求めていた生徒が私だったと思います。本当にすぐに意気投合しました。もちろん先生と生徒としての間柄でも多くのことを学びました。ミックは教育者としてはとてもダイレクトな先生なんです。フィールグッドで楽しければ感覚的でもOKみたいな考え方は全くなくて、上手くやれていない部分、まだできていない部分に関しては容赦なく指摘する人でしたね。またミュージシャン同士の付き合いでは、私とミックはデュオを組んでツアーに行って多くのギグをやりました。私はそこで学んだことがとても多かったですね。それに、ポール・モチアンマーク・ジョンソンに私を推薦してくれたのもミックでしあ。だから私のキャリアにとってもすごく大きな力になってくれた恩人でもあるんですよ。
私たちは90年代にかなり録音を残しています。あの頃、ライブのたびに誰かしらが録音していたから、そのテープが残っているんです。最近、それを聴き直しながら、彼のことを思い出したりしていました。その音源を聴くと、私たち二人の演奏は全てが網目のように繋がり合っているのがわかるんです。「どちらかがソロで、どちらかが伴奏」というような演奏ではなく、2人で一緒に何かを織り上げていくような演奏をしていました。それを聴きながら、彼に会えて良かったと感じたり、改めてミックの存在に感謝しているところです。自分にとってのマスターは常に胸の中にいます。(自分の胸を押さえながら)ミックはいつもここにいてくれているんです。

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