Interview Dairo Suga:スガダイロー:自分はジャズじゃないって思えるようになってきた、心の底から。
スガダイローがベースの千葉広樹、ドラムの今泉総之輔との新たなトリオで『公爵月へ行く』をリリースした。いまだにスガダイローのことをフリージャズのイメージで見ている人はそのサウンドに驚くことだろう。
そこにはデューク・エリントン、ハービー・ニコルス、セロニアス・モンク、ジョージ・ガーシュウィンなどの名曲から怪曲を取り上げながら、それらを斬新なアレンジで演奏するトリオがいた。
中でも今泉総之輔によるビートは現在のジャズシーンのトレンドとも繋がっているもので、それらがスガダイローのピアノと組み合わさった時にどういった作用を起こすのかというのが聴きどころだが、はっきりいって最高の相性で、21世紀の日本のジャズの傑作の誕生といってもいいだろう。
スガダイローが自身のことをどういった音楽家であるかの宣言しているようなアルバムとも言えるかもしれない。
僕は「徐々にジャズピアニストっぽくなってきてませんか?」と聞くとスガダイローは「全然ジャズじゃねーじゃんって心の底から思えるようになった」と答えた。
※柳樂が選曲したブルーノートのジャズ・ピアノ・コンピレーション『All God's Children Got Piano』に本記事で重要なモンク~ハービー・ニコルス~ジェイソン・モランが収録されているので、BGMにどうぞ。
■新しいスガダイロートリオとドラムのこと
――このトリオって録音は初めてですよね。そもそもどういう経緯で作ったトリオですか?
スガ:前回のトリオがもうけっこう煮詰まったなと思って。どうにかして逃げ道を見つけないとなと思って、ミュージシャンを探しながら、いろんな組み合わせのトリオをやっていたんですよ。それで最終的に残ったというか。
――ベースの千葉広樹さんはスガさんと共演してそうなイメージもありますが、ドラムの今泉総之輔さんは意外性がありました。
スガ:それはなんで?
――スガさんはもともとはフリー系のイメージですが、今泉さんは元quasimodeの人でもあるし、彼の作品でもグルーヴの人ってイメージだったんですよ。
スガ:たしかに。でもさ、フリージャズのドラマーって逆に言うとそんな奴いないから(笑) 結局ドラムって一番ファッションだから、ファッショナブルなドラムを捕まえるか、すげー変わった人のどっちかしかないと思ってたんですよ。中途半端にドラムが上手いとか、それって自分の音楽にはあまり意味がないなと思って、すげースウィングするとかそういうのは求めてなくて。ここでは最新ドラムパターンを知ってるとか、何が流行っているかすぐに食いつくとか、そういう視点がある人がいいなと思ってたんですよ。
――ダイローさんの口からファッションって言葉が出るのが意外な気がしますね。
スガ:ドラムに関しては前から思ってて、ドラムさえ変えれば何でもいいと思っていたくらいだったから。その前の服部(マサツグ)はファッションでも何でもないけど、とにかく得体のしれないドラムでそれが面白かったの。どのファッションにも乗らないし、ジャズ的にスウィングするわけでもないし、音楽シーンのトレンドに乗っているわけでもないし、謎のドラムを叩くやつ。池澤(龍作)もそうだし。例えば、外山(明)さんはシーンに乗ったことがあるけど、あれはまぐれって言うか笑
――たしかに。
スガ:だから、ああいうところに行くか、それかもうファッションか二つに一つかなみたいなところで。たぶん、ビバップの時代は一番ファッショナブルなドラマーが幅利かせていたに違いなくて、そいつらがヒップだったわけで。
――ケニー・クラークとか、マックス・ローチとかは確かに最先端でヒップだったんでしょうね。
スガ:そうそう、あいつすげーかっこいいよ、みたいなところじゃないすか。それは今でも思っているかな。ドラムが古臭くなっちゃうと途端に音楽自体も古臭くなっちゃうから。
――逆にドラムだけ新しくなったら、音楽が全く違うものに聴こえるっていうのはありますよね。
スガ:マイルス(・デイヴィス)はそういうことをずっと繰り返していて、ドラムを変えてるだけって言うか。本人はあまり変えてないけど、今、一番流行っているビートを叩けるやつを探してきて、それを着ればいいって言うか。フロントとか、ピアノの音はそんなに流行ってなくてもビートさえ変えればガラッと様変わりするっていうのは俺はあると思うんですよね。
――そのリズムも含めて、このアルバムは音がすごくいいと思ったんですけど。
スガ:千葉さんがコ・プロデューサーだし、ミックスも一緒にやってくれてるんですよ。ほとんどサウンドメイクは千葉さんがやったといっても過言ではない。俺は最後にちょっと聴いただけだから。エンジニアのウネ(ユタカ)さんと籠ってやってましたね。
――録音がすごく現代的なんですよ
ノイズ中村:今泉さんと千葉さんがこういう音源とか参照したらいいんじゃないとか、録りの段階でかなり話し合ってましたね。
■デューク・エリントンは8割がた『Money Jungle』
――今回のアルバムはどういうコンセプトですか?とりあえず、デューク・エリントンは重要ですよね?
スガ:デュークはあまり意識はしてないですよ。とりあえずこのバンドで一回出したいなと思ってて、3年くらいやっていて、だいぶ形はできてるから。
あと、今年はデューク・エリントンの生誕120周年じゃないすか、もともと「公爵、月へ行く」って曲があったから、それをメインに推すことによって、記念的なところにも絡めるって言うか。
――「公爵、月へ行く」はエリントンのコラージュみたいな曲ですね。
スガ:それはこのCD用にコラージュしたんだけど(笑)、本質はもっとミニマルなメロディーのところを意識していて。ジャズの本質ってミニマルだと思うから、そっちに行きたいなと思ってる。
ジャズってただひたすら繰り返すだけだから。アドリブやって、ただひたすらコーラスを回すだけなんで、デカい形だけど32小節くらいのミニマルなんですよね。ソナタ形式っていうのは白人が考え出した最も感情が動く構成で、一回メロディーやって、その後にもう一回メロディーやって覚えてもらって、ちょっと変化させて、また最後にメロディーに戻ってくるみたいなことで物語を完結させる美しい形なんだけど、それを何十回も繰り返すことによって、つまりAABA自体を繰り返してるだけになって、ミニマル性が出てきちゃうって言うか。どう考えてもそこから抜け出せないなって思うんですよね、ジャズ・ミュージックって。
――最近は変化って言うよりは反復みたいなものに関心を持っているんですね。
スガ:そこは意識してますね。
――一方で、聴き手としてはコラージュ的だし変化も感じちゃうのが面白いですけど。
スガ:ま、そこは目くらましって言うか(笑) 餌って言うか(笑) そこは俺としてはふざけてやったところで、そこに耳が行ってしまうかもしれないすけど、そこはそんなにこだわったところではないですね。
――ミクロで見ると変化もあるけど、マクロで見るとミニマルだっていう部分にこそこのアルバムの本質があるっていうのは面白い発想ですね。
スガ:ひたすら繰り返しする面白さなんだけど、その部分に関してはちょっと分離してみたって言うか。次から次へと違うことが起きるって言うこととずっと繰り返すだけじゃん、バカじゃないのみたいな。
――ミニマルみたいなことに関心が出てきたのっていつごろからですか?
スガ:ここ1,2年。きっかけは小津安二郎(笑) あれはもう「これってほんと面白いのか?」みたいなレベルまで行ってて、俺は好きになっちゃって、こんな録り方あるんだみたいな。
――小津はミニマルですね笑。ひたすらそのスタイルを繰り返しているみたいな、キャリアがミニマルというか、人生かけてのミニマルっていうか。
スガ:映画会社なしにはあんなことができる人はいないから、自分があそこまで特殊な状態になれるとは思わないけど、自分らしくバランスをとろうとは思っていて、その中でミニマルなところを一番聴かせたいってことかな。いろんな餌を蒔いといて、でも「こいつ繰り返しだしちゃったよ」みたいなところにもっとフォーカスしたいすね。
――このアルバムには、エリントンの「Solitude」「African Flower」があって、エリントンを意識したスガさんのオリジナル「公爵月へ行く」もあるので計3曲はエリントンということになりますが、スガさんにとってエリントンってどういう存在ですか。
スガ:俺の中ではボスなんですよ。太陽に吠えろで言えば石原裕次郎。一番偉いと思ってて。
――それって作曲家としてですか?ピアニストとしてですか?
スガ:どっちもですね。ジャズ界のボス感。大統領と握手(エリントンは1969年にホワイトハウスで70歳の誕生日を祝うパーティーが催され、そこでリチャード・ニクソン大統領からアメリカ自由勲章を授与されている)してて、あんな黒人なかなかいないじゃないですか。アメリカの文化の中でもすごいし。もちろん作曲も面白いし、ピアニストとしても、おもろいピアノ弾くし。そういう中二病的な大将みたいな。
――この「Solitude」「African Flower」を選んだのは?
スガ:俺にとってデューク・エリントンは8割がた『Money Jungle』で、このアルバムだけ突出してすごいなと思ってて。そこから2曲選んできたんですよ。
――その中から「Solitude」「African Flower」選んだのは?
スガ:たまたま。『Money Jungle』の他の曲でもいいっすよ、繋げるんだったら。
――「Solitude」「公爵月へ行く」「African Flower」は3曲セットみたいな感じなんですね。
スガ:別にそこも変えてもいいっすよ笑 別の『Money Jungle』の曲なら組み合わせとか、どこにフォーカスするのかに関しては、その日その日で変わってもいいと思うし、単純に今回切り取った瞬間はそこだったんですよね。
――『Money Jungle』のエリントン、チャールス・ミンガス、マックス・ローチのトリオはスガさんにとってどういうトリオですか?
スガ:あれこそアメリカを体現していて、ワクワクしかないって言うか。デュークは先輩なわけじゃないですか、2人は若造で。デュークは「ドンと来い」みたいな、で、二人が「ドンと来る」っていう笑 マジでドンと来て、うわーみたいになってるっていう笑 日本ってああいうことってたぶん「ドンときたまえ」とか言われても委縮しちゃうというか、先輩とやるとかなると忖度とか起きちゃうけど、いきなりドンと来るっていうのが感動だったんですよ。今聴いても感動する。マッカーサーの「老兵は死なず」ってそういう美意識かなと思うんですよ。アメリカ人かはわからないけど、老人たちは若者たちに負ける美意識を与えるっていうか、勝たせてあげるって言うか。それも本気でやるんだけど。そういう美しさを今でも感じるんですよ。日本人にできないと思うよ。老人が殴り合いでぼこぼこにされるみたいな姿ってなかなかできないでしょ。
――そもそも明らかに重量級の強いやつを二人連れてきてるわけですからね。
スガ:で、いっきなりめっちゃくちゃになっちゃってるし、それがおっかしいし、面白いし。
――あれって昔からこれはどう解釈したらいいのかなって思ってましたけど、めちゃくちゃになってますよね。
スガ:めちゃくちゃになってますね笑 ほぼ失敗といっていいんだけど、それが俺の中でのジャズだな。最もジャズ的な要素って言うか。
――独特の変な気持ちよさがありますよね。ああいうの他になくて。
スガ:わかる。俺はハマった。
ノイズ中村:あれは世界的にもフリージャズの名盤として…
スガ:いや、あれはフリージャズじゃないから笑 でも、俺はやっぱりフリージャズを感じてしまうけどね。
ノイズ中村:僕らが勝手にそうやって聴いてるだけなんですね。
スガ:そう、いろんな聴き方ができる作品だと思うよ。
――ま、フリージャズとしか言えないとも言えますよね笑 リスナーもこれはなんなんだろうと思って聴いてるし、聴いていると演奏してる人も何が正解かよくわからなくなっちゃってる感じもあって。つまり、なにもわからないのにかっこいいのがいいんですよね。
スガ:究極のバランスだよね。ああいうものはデュークにしかできないし、他にあんなアルバムないし、聴いたことない。そのあとにコルトレーンと録る(※『Duke Ellington & John Coltrane』(1963年)んだけど、それはもうほんとに酷いっていうか(笑)。だから『Money Jungle』はほんとにいいバランスだったんですね。デュークもすげーやり返すし、めちゃくちゃになってるんだけど、なんとか着地するみたいな。奇跡的な瞬間が録れてる。その奇跡的な瞬間がちゃんと録れてるっていうのもジャズの面白いところで、あれをライブでやってももう成功しないだろうし、あのアルバムでしか成功しなかっただろうし、そこもジャズの面白さですよ。
――ピアニストとしてのエリントンはどうですか?
スガ:俺はすげー好きですね。
――基本的にはコンポーザーでビッグバンドのために弾いてる人なんですけど。
スガ:ピアノもたいがい上手いっすよ、今の人でもそんなに弾けるとは思わないけど。ああいう風には弾けないと思う。音でかいし、豪快に間違える。全然違うときもあるんだけど、それも良さで、デュークだと「間違えるって概念はあるのか」ってところまで来ちゃうから。だって即興演奏なわけだから。
――すごい不気味な不協和音を丁寧に書くコンポーザーですごい気持ち悪いビッグバンドのアンサンブルを鳴らす人じゃないですか。だから、ピアノもそれと同じように狙ってる感じもありますよね。
スガ:ほぼほぼ狙って弾いてると思うけどね。ただ、デュークは間違えるときの間違え方がすごくて、普通の人はもっと誤魔化せるんだけど、もうこれはひどいみたいな間違え方をするというね。
――それも含めて魅力ですもんね。
スガ:おれはすごい好きだね。
――このアルバムには『Money Jungle』性は?
スガ:そんなにはないね。『Money Jungle』性も出るかなと思ったんだけど、出なかったから、そこはいずれね。一生のうちにあるかないかのチャンスなので、あれは。俺にもいつか『Money Jugle』チャンスが巡ってくるかもしれないから、それは焦らず待つしかない、もうちょい年取って若いやつで変なのが出てきたら、訪れるかもしれないし。
■やればやるほどムカつくハービー・ニコルス
――では、次はここで「Wild Flower」を取り上げてるハービー・ニコルスについて聞きたいんですけど、なんか謎の勉強会「M&N’s lab」をやってましたよね。
スガ:最近自分でちょっと勉強が足りないなと思って(笑) たまには勉強しないとダメだなと思って。他人がやってることをやってもダメだけど、ハービー・ニコルスだったら、誰もいないなと思ったんですよ。日本では大西順子さんくらいじゃないかな。ちゃんとコピーしたりしてるのは。
――勉強してみてどうでした?
スガ:すげー嫌いになった。やればやるほどムカついてきて。なんでこの音なんだよみたいのが「うわ、こんなにひねくれてたんだ」みたいなのがだんだんわかってきた。自分が今まで勉強してきた音楽理論がほとんど成立しないんですよ。
――理屈はあるんですか?
スガ:まだ理屈はつかめないんだよ。でも、既存の音楽理論とは絶対に違うことだけはやりたいって言う意思を強く感じてて、そのまま来そうなところをわざとぐっと違うところにいったり、そこに意思を感じて、だから自然ではないね。セロニアス・モンクはそうやって聴くと自然な音の使い方なんだけど、ハービー・ニコルスはすさまじくて、こんなにひねくれてるんだみたいな。
――でも、ぎりぎり成立してて、かっこいいんですよね。
スガ:そうそう、俺は美しさは感じるし、慣れてくると弾けるようになっちゃうし、自然に指が動くようになっちゃうんだけど、結局、なんか、慢性的に曇ってて、すかっとしないし、わざとすかっとさせないようにドミナントモーションとかありとあらゆるクラシックの王道に反逆して曲を作ってて、特にブルーノートのやつ(『The Prophetic Herbie Nichols』『Herbie Nichols Trio』)ね。ベツレヘムのほう(『Love, Gloom, Cash, Love』)はシンプルで軽快に作られてるけど、ブルーノートのやつはひどいですよ。
――何も解決しないジャズって感じがしますよね。
スガ:聴いているだけでイライラしてくるし、弾いててもイライラしてくるし、みたいな。若いからかなりムキになって、誰も聴いたことがない音楽みたいなものを意識してたんじゃないかな。すごいなとは思うけど、辛かったね。「Wild Flower」はその中でも最も意味が分からなくて。シンプルなコード進行に全く意味不明なメロディーをつけてるんだけど、音の付け方に関してはセロニアス・モンクよりも全然めちゃくちゃですね。
――演奏してみてもやりづらいですか?
スガ:ピアニストだから指は一緒だから弾けちゃうけど、フロント奏者はつらいと思う。まったくよくわからないから。モンクは音楽理論上のことでやっていることが多いけど、ハービー・ニコルスみたいなあんな変な人は他にいないかも。ハサーン(The Max Roach Trio『Featuring The Legendary Hasaan Ibn Ali』の一枚しか録音がない伝説のピアニスト)とかももうちょっと意外とシンプルなメロディーを使ったり、もうちょっとモンクっぽいシンプルさがあるけど、ハービー・ニコルスみたいな陰鬱としたハーモニー感覚は他にないかな。
――その研究って今もやってるんですか?
スガ:やってますよ。そのうち限界が来たら辞めるかも。とりあえず全曲はコピーしようかなとは思ってるけど。でも、みんなすげー嫌がるんすよ、フロント奏者が。「なんなんだよ、これ」とか怒られちゃって。
ノイズ中村:藤原大輔さんとかマジで嫌がってましたもんね。
スガ:そうそう、すげー怒ってたもん。「何このコード進行、おかしいよ」とか言って。石川(広行)とかも「このコード進行はおかしいっす」とか言ってて、なんかみんなショックを受けるみたいで笑
――ブルーノートはそんな奇才をよくリリースしましたよね。
スガ:あれこそジャズだよね。アーカイブってことだから、ハービー・ニコスルも含めて、とにかく全員録っておくってことだよね。商売とかじゃなくて、その時に何が起きていたかってことをアーカイブしようって言うことだと思う。ブルーノートはそこがすごいね。
■自分はジャズじゃないって思えるようになったこと
――あと、ここでは「Off Minor」をやってますが、スガさんはセロニス・モンクの曲は前からよくやってますよね。
スガ:モンクはバド・パウエルとかよりも明快な感じがするし、キャッチ―ですよね。モンクやっておけば大丈夫って言うか。モンクは一番好きかな。
――昔から研究してたりしたんですか?
スガ:昔から弾いてたけど、研究するようになったのは最近かな。モンクはようやく自分流に弾けるようになってきたって言うか。だんだんそういう曲を消化できるようになっていたかな。昔はなかなかできなくて、どうしてもつられるって言うか、あの面白さで弾いちゃうっていうか。
――モンクってテーマとかにモンクのピアノの奏法も入っている感じがするから、つられちゃうってのはわかりますね。
スガ:あれを面白いと思っちゃうとずっとつられるのはある。だから、モンクの曲をやるときは逆にモンク的なアプローチから離れて表現したいみたいにはなっちゃいますね。新しい視点をあたえらえられないんだったら、弾く価値がないんだろうなとは思っちゃうから。だって、同じアプローチの演奏だったら本人が弾いているのがいいに決まってるし。どれだけ違うことができるかですよ。
ジェイソン・モランが「モンクの曲を弾くのは簡単で、うまく弾くことはできるんだけど、どうやって自分の音楽として処理するかってことが自分の課題だ」って同じことを言ってましたね。
――どういうポイントが見つかって自分らしく弾けるようになってきたんですか。
スガ:ほんとにどこが好きかみたいなところにフォーカスすることによって、ですね。あと、既存のジャズのフォーマットから離れることすね。テーマがあってアドリブやってみたいなところから離れることによって、気楽に演奏ができるようになったかな。ジャズのフォーマットに入っちゃうとどうしてもジャズ上手いやつのうまい方がうまく聴こえちゃうし、結局アメリカ人の方がいいってなっちゃうから。
――スガさんはもともとフリージャズやってて、そこからいろんなことやってジャズから離れようとしていた感じもあったのが、むしろ最近はジャズとの距離がより縮まっているようにも見えてたんですよ。だから、ジャズピアニストっぽくなったという見方もできると思ってたんですけどね。
スガ:そういう風に見えるかもしれないけど、俺の中ではもっと離れられたって言うか。ジャズって言うものをメタな状態で、「ちょっとジャズっぽく弾いてみようか」みたいな気持ちができる、そういう余裕があるって言うか。だからジャズって言うものに関して気が楽になってて。「ジャズのモノマネやります」みたいなことが言えるっていうか。自分がジャズピアニストだとしたら、なかなか言えないんですよ。今は「これはモノマネでいいのか」とか「ほんとに自分がジャズでなければいけない」みたいに思うことがなくなってきた。それでかもしれない、ちょっとジャズっぽく聴こえているのは。
――そこまで客観的にジャズを見ているというか、離れた視点から俯瞰してるってことですよね。
スガ:俺の中ではすごい距離があるから、自分はジャズじゃないって言う風に思えるようになってきたって言うか、心の底から。「全然ジャズじゃねーじゃん」って。
――自分がそういう状態にあるって気付いたのはいつ頃ですか?
スガ:アメリカにいた頃から、薄々自分とジャズいうのがほんとは関係がないんじゃないかと、ただ自分がジャズって言う音楽が好きなだけで、っていうことは気付いてくるわけですよ。それまではすげー勉強したし、ほんとにジャズになろうみたいな、なりたいものはジャズですみたいな。でも、だんだん見えてくるわけじゃないですか。その中で葛藤していって、それでフリージャズみたいなところにいって、フリージャズにすればそこから逃れられるわけなんですよ、フォームがないから、黒人だろうが白人だろうが何人だろうが関係ないから。それは山下洋輔さんが「フリーフォームにすれば国民性が出るから。ジャズってことから解放される」って言ってて、俺もそういうところで実践していたって言うか、フリージャズになったら黒人とか関係ないじゃないですか。黒人的なかっこよさとかをどんどん排除していくわけだから。一時期はそういうところにいたんだけど。
ジェイソン・モランにそういうスタンスに近いところを感じて、彼の演奏って完全なジャズとは距離があると思うんです。もう少しアーカイブ的なジャズを演奏していて。こんなジャズもありました、こんなジャズもありました、でも、自分は全然違うみたいな。完全にブラックミュージックにハマっているとも思えないし、あれを見た時に、黒人でもこうなっちゃうんだと思ったし、自分はジャズじゃないみたいな姿勢の人がいるんだと思って、それで気が楽になった。ジェイソンはジャズに誇りを持っているし、ジャズだと思っているかもしれないんだけど、聴こえがジャズっぽくないんですよね。もうちょっと上から俯瞰して見ていてメタな状態ですよね。
――ジャズは好きだし、身についてて、自然に出てくるくらい身体化されてるけど、全然ジャズじゃないものを感じる演奏をすることが多いですよね。
スガ:どっぷりジャズの中に入っている感じがしないって言うか。
――アフロアメリカンを代表している何かって言うか、黒人性みたいなものはそんなに強く感じる音楽でもないんですよね。
スガ:出すと出るんだけど、それを敢えて出してシーンを作っていこうみたいなところもないし、ふっと変なことになっちゃったり、いきなりクラシックやオペラや映画音楽が出てきちゃったりとか、変なところがあるでしょ。ああいう姿勢で救われたって言うか。黒人でもこんな人がいると気が楽になるなって。
――「ジャズのコスプレでもしてみるか」みたいな時もありますよね。
スガ:なんか、ふざけてるというか。だから、俺もデューク・エリントンとかにも触れるようになったというか。気負いがなくなって、挑むんだみたいにムキにならなくても、ちょっとやってみようかとか、ちょっと触ってみただけですみたいな感じ。
――それを聞くとここでガーシュウィン「I loves you porgy」を敢えて今やってるのも納得出来ました。
スガ:ちょっと触っちゃえばいいんじゃないのみたいな。ちょっと触ってみて「おぉ」みたいな感じ。気楽な感じ。
■もっと音楽はミニマルな状態に、もっとつまらない状態にいってもいい
――ちなみにガーシュウィンはこの曲が好きなんですか?ガーシュウィンが好きなんですか?
スガ:ガーシュウィンも一時期やったことがあって。ガーシュウィンはモチーフの面白さだね。ガーシュウィンはシンプルなメロディーをうまく使う人で、そのシンプルなメロディーに西洋的なハーモニーをつけるっていうのがアメリカって言うか、白人の面白さなんですよ。でも、シンプルなメロディーで、そのままシンプルなコードにしたらどういうことになるかっていう逆実験をしてて、一発にしてメロディーだけ動かしてみる、そうするとメロディーのシンプルで幾何学的な部分がより見えるんです。一時期、そういうことをやっていたことがあったんですよ。白人たちは逆のことをやっているじゃないですか。シンプルな民族音楽のメロディーに複雑なハーモニーをつけてるんだけど、それはメロディーがシンプルなほど、ハーモニーは複雑なものが可能になるから。そういうことをやってきた人たちの逆で、ほどいてみようかなみたいなことで、「I Love’s You Porgy」はそれを意識して、一発にして、Eマイナーしか使ってない。
――そうやってシンプルにすることでリズムの面白さも際立つというか。
スガ:この曲に関してはリズムのこともやってて、それも混ぜてみて。15拍子で始めてるんですけど、一拍足すと16拍子だから、すげー普通に聴こえるものを一拍だけ少なくしてる感覚で、ちょっとだけ気持ち悪いようにずっと進むみたいな。あまり気付かれないかもしれないところだけど、(マウリッツ・)エッシャー的な耳の錯覚みたいなことができるかなみたいな。
ベートーベンって嫌いだけど、好きで。なんかしつこい感じなんですよ。ガーシュウィンも繰り返すことの面白さと怖さを知ってる人って感じがするんです。ユダヤ人の怖さって言うか。ジャズってほぼユダヤ人が作ったといっても過言ではないっていうか、ガーシュウィンもそうだし、クルト・ワイルもユダヤ人だし。クルト・ワイルはジャズにすごい憧れちゃってドイツから亡命してアメリカに来ちゃったわけじゃないですか。ユダヤ人への興味もあって、ガーシュウィンを研究してみた。
――繰り返すことやミニマルみたいなところはテーマとしてあるんですね、全体的に。
スガ:まだ入り口みたいな感じだけど、自分的にはもっと進めてみたいと思ってますね。市野元彦さんの「Oceanus」もすごいミニマル性を感じたから。日本人ってそういうところに意識が行くと思うんですよね、今、日本も文化が成熟してきているし、もっと音楽はミニマルな状態に、もっとつまらない状態にいってもいいと思うんですよ。今、音楽が面白過ぎるから、人が作ると。
――シンプルにしたりミニマルにして削ぎ落とていくと、そこではじめて浮き出てくるものとかがある面白さってあって。市野さんの曲ってそういう魅力がある印象がありますね。
スガ:憧れもするけど、ちょっとできないなと思って。この曲は自分の曲にしたいですもん。くれかけたたんだよ、市野さんが。「あげようか」って。でも、「それはダメ」とか周りに止められてた(笑) ってくらいこの曲好きなんですよ。これを聴いたときはショックでしたね。
自分の曲でも全体的に派手なメロディーみたいなものは少しづつ減らしてきて、ほとんどメロディアスとは言えないことにはしていこうかなと。そのうち、どんどん地味になっていきますので笑 俺はマル・ウォルドロンとか好きだから。もうおなか一杯にしたくないんですよね。歳だし、だんだんいい加減になっている。
――最後にダイローさんってどんな音色でピアノを弾きたいと思ってます?
最近はもっと弾かなくしたい。真っ暗闇。もっと音を減らして、ポーンみたいな。諸事情によって弾いちゃうんですけど。一音で染みるみたいなところに行きたいかな。ジャズとは対極だよね。ガチャガチャがジャズの面白さだから。そういう点でもジャズとは離れてきたかもしれないなと。
――このアルバムを聴いてて、スガさんの特徴は音色ってのもあると思ったんですよ。フレーズっていうよりは音色に特徴があるから、いきなり聴いても「あ、スガダイロー」って思う時があるんです。
意識しないと出ちゃうのかもしれない。意識しない状態が一番だから。意識しないことによって維持ができるわけじゃないすか。たとえば、鹿が飛び跳ねる姿が美しいみたいなのって、意識して人に見せようと思って飛んでるわけじゃないから。こういう音色が出したいと思って、練習したこともないし、弾いたこともないんですけど、だからこそ出てるのかもしれないですね。最終的にピアニストって、みんな同じ楽器を弾くから違いは音色しかないですけどね。弾けるものはみんな一緒だから。
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