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Interview Gretchen Parlato『Flor』-花というテーマに込めた美しさ、生、死、目覚め、女性としての自分

以前、グレッチェン・パーラトの編集盤がリリースされたとき、僕は

「グレッチェンの声が聴こえるところに行けば、そこにはいつも新しいジャズが鳴っている。」

とコメントを寄せた。

2010年代に開花したハイブリッドなジャズの文脈において、「声」=ヴォーカリストの重要性が語られることは多いが、その中でグレッチェンの存在感は絶大だった。グレッチェンが起用されているアルバムを探して、そこに参加しているミュージシャンを追っていけば、2010年代のジャズの面白いところをまとめた見取り図が出来上がるような感覚があったほどだ。だから僕は彼女の名前を日々探していた。

そんなグレッチェンは2011年の『Lost and Found』以降、スタジオ録音のアルバムを発表していなかった。

マーク・ジュリアナとの間に生まれた2人の子供を育てながらも、世界中でライブを行ってはいたし、ライブ盤のリリースもあったし、他のアーティストの作品へのゲスト参加も少なくなかったが、スタジオ録音の自作だけはリリースされていなかった。

『Flor』はグレッチェンが11年ぶりに発表したスタジオ録音の新作だ。

テーマはブラジル音楽。基本となるバンド以外にマーク・ジュリアナジェラルド・クレイトン、更にはブラジル音楽の巨匠アイアート・モレイラらが参加している。

核となるバンドのマルセル・カマルゴレオ・コスタアルティョム・マヌキアンはLAを拠点にしているミュージシャン。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で学んでいたグレッチェンの大学時代の繋がりを起点にしたもので、ミゲル・アトウッド・ファーガソンカマシ・ワシントンティグラン・ハマシアンなどと共演しているミュージシャンたちだ。

つまりこのアルバムは、ブラジル音楽がテーマであることだけでなく、これまでのようなNYのジャズ的なサウンドではなく、LAのサウンドであることは重要なポイントなのかもしれない。(これに関しては別項のレビューで書こうと思っている。)

ここでのグレッチェンは2人の子供たちを育てる中で感じたものや、その中で得たものを歌詞やサウンドの中に封じ込めている。楽器同士がせめぎ合い、絶えず変化を繰り返すようなセッションの感覚から一転、自分の物語を語ることや、自分の音楽を通して何かをシェアすることに軸足が置かれていて、どこかゆったりとしていて、ミニマムにミニマルに流れていくように僕には聴こえた。

ピシンギーニャによるショーロの名曲「Rosa」を室内楽風にしたり、ロイ・ハーグローヴの佳曲「Roy Allan」をサンバに仕立てたり、バッハによるチェロの無伴奏演奏のための組曲「Cello Suite No. 1, BWV 1007 : Minuet I / II」のチェロ部分をスキャットに置き換えて歌ったかと思えば後半はショーロ風のアレンジにチェンジしたり、ハイブリッドで自由な発想は相変わらずだが、より内省的でパーソナルだったり、これまでにないほど開放的でジョイフルだったりと、『Lost and Found』では聴かれなかったグレッチェンが音楽が聴こえてくる。

そういった変化の含めたこの作品に込めた近年のグレッチェンの思いをこのインタビューでは聞いている。僕の印象では、彼女の思いの多くは『Flor』という様々な解釈が可能な言葉に込められていると言ってもいい。

アルバムを1周聴いて、その心地よさに浸った後に、ここに書いてあるグレッチェンの思いを知って、その上で改めてもう1周聴いてみてもらえたら僕はうれしい。ちなみにCDにはグレッチェンこだわりのアートワークが仕込んである。気に入った方はぜひ、CD(もしくはLP)で手に取ってみてほしい。ライナーノーツは柳樂が担当しています。

※取材・構成・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:COREPORT

――まず最初に『Flor』プロジェクトのメンバーについて聞かせてください。このバンドでのライブが「Live: Gretchen Parlato flor at Wellington Jazz Festival 2018」としてウェブに上がっていたので、2018年には動き出していたことになります。

プロジェクト・メンバーはパーカッションのレオ・コスタ、チェロのアルティョム・マヌキアン、ギターと音楽監督のマルセル・カマルゴ。このバンドの特徴としてはベースの代わりにヴァーサタイルなミュージシャンのアルティョムのチェロがその役割を担っていることと、レオが本人曰く"オリジナルのドラムとパーカッションのハイブリッド・セッティング"と言っているものがリズムを担っていることです。

――マルセロ・カマルゴに関しては、2014年に彼のリーダー作『Behind Jobim』にあなたが参加していますよね。知り合ったきっかけは?

マルセロは大学生だったUCLA時代からの20年来のつきあいです。彼はブラジル人で、ブラジル音楽の知識も豊かだし、このプロジェクトにおける彼の果たす役割りがすごく大きいものになると思ったので、ミュージカル・ディレクターもお願いしました。私とアルティョムとレオとの付き合いはここ3年ぐらい。アルティョムとレオはマルセロとずっと共演し続けてきた友人なんです。このバンドで2018年からオーストラリアのウェリントン・ジャズ・フェス、ニュージーランド、メキシコ、LA、NYとライヴで回り、それが発展して2019年1月にこのアルバムを録音しました。

――では、アルバム『Flor』のコンセプトについて教えてください。

音楽的な面と、感情的・精神的な面の二つがあります。音楽的な面ではブラジル音楽を讃えるということで、私の好きなブラジル音楽のスタイルにフォーカスしています。今までジャズ・スタンダード、ブラジル音楽、オリジナル、POPSやR&B系のカヴァーもやってきましたが、その時々で、自分のスタイルに忠実にやってきたので姿勢としては今回も同じかもしれません。ここでやっているのはトラディショナルなブラジル音楽ではありませんが、フィーリングとして、或いは宙に漂うムードとしてブラジル音楽的なものがある、という感じです。私は常に元のもの(スタイルやジャンル)とは違うやり方で提示してきたし、今回もそうだと思います。

タイトルはポルトガル語で「フラワー」。なので、このアルバムの感情的・精神的な面ではまさに「フラワー」です。花が咲き始める、目覚めるというような意味合いを込めています。そこには女性としての自分の在り方もメタファーとして込めているつもりです。今まで「子育て」や「母」に専念してきて、今また音楽の世界に戻ってきて、みなさんに届けたいものがある、という自分のあり方、ですね。私にとって花は見た目もそうですし、象徴的な意味という部分でも今回のアルバムにとってしっくりきたんだと思います。

――さっきあなたが言ってたように、ここでやっているブラジル音楽はオーセンティックなものとは少し異なるオリジナルなブラジル音楽ですよね。その違い、つまりあなたのオリジナリティについてもう少しヒントをください。

これまで私がやってきたことはすべてにおいてトラディショナルではないと思っています。さっきも言いましたが、ジャズシンガーって言われている私が、今回はブラジル音楽をやっているわけですけど、私の音楽に関してはフィーリングとして、もしくは宙に漂うようなムードとして、それ(=ブラジル音楽)っぽいものがあるということであって、常にもとにあったものとは異なるやり方で提示しているんです。今回、ブラジル音楽のレパートリーの中から自分が好きなサンバやブラジルの伝統的な音楽ショーロを選んだだけでなく、他にもオリジナルやR&B、バッハのようなクラシック音楽も選んでいます。そのアルバムの中でブラジル音楽にどうやって敬意を払うという意味だと、このレオ・コスタ、アルティョム・マヌキアン、マルセル・カマルゴによるアンサンブルがもっているテクスチャーにかかると、すべてにおいて経緯を払うことができてしまうということだと思っています。

――では、ここからはそのレパートリーについて聞かせてください。<É Preciso Perdoar>はあなたが敬愛するジョアン・ジルベルトスタン・ゲッツのバージョンでも知られる名曲で、僕は彼らのバージョンで初めて聴きました。ここであなたは原曲のポルトガル語詞を英語詞に書き換えてますね。

私もこの曲はジョアンとスタン・ゲッツの演奏で覚えました。私にとってジョアンはキング・オブ・エブリシングな存在だから、そのバージョンももちろん大好きです。タイトルの意味は「許してあげよう」です。これを普段はジョアンのヴァージョンを聴きながら、ポルトガル語で歌ったりもしてますけど、私の母語は英語だし、ポルトガル語に関してはきちんと理解ができていないので、ブラジル音楽のフィーリングは醸し出しつつも自分の音楽としてしっかり伝えるのであれば、アメリカ人である私は英語で歌ったほうが自分でも納得できるし、より伝わると思ったんです。なので、オリジナルに敬意を払いつつ自分のストーリーを伝えられるようにと思い、自分で英語詞を書きました。歌詞の中で伝えたかったのは「受け入れる」「許す」或いは「観念する」ということ。身動きできなかったり、暗く悲しい状態にあったとしても、そこにいったん身を置いてみるというような感覚ですね。私が伝えたかったことは「今、自分はどうなっているかをいったんきちんと見つめて理解し、その上でどうするか」でした。

――<Sweet Love>はR&Bシンガーのアニタ・ベイカーの大ヒット曲です。ブラジル音楽がコンセプトのアルバムの中ではすごくユニークな選曲だと思います。

アルバムの中では変わった選曲かもしれませんね。でも、私の過去のアルバムでのやり方を踏襲している曲でもあります。私はずっといろんな音楽を聴いてきていて、その中でも子供のころからアニタの音楽も声もずっと大好きでした。過去に歌ったマイケル・ジャンクソンSWVスティーヴィー・ワンダーのカヴァーと同じように自分の大好きな曲をどうやって敬意を払いながら、他とは異なる自分ならではのストーリーとして歌えるかというのがアレンジのポイントでした。アレンジはバンドの一体感を味わいながら書きました。5拍子のグルーヴなど、オリジナルとはかなり違うと思いますが、曲の良さは大事にしつつ自分らしくできたと思います。

――この<Sweet Love>は象徴的ですが、あなたのカヴァーはアレンジがユニークなので、最初はどんな有名な曲でも「この曲なんだっけ?」ってなって聴き進めると「あ、あの名曲のカヴァーだ!」ってなることが多いんです。<Sweet Love>の原曲はドラマチックだし、アレンジもゴージャスでした。それがすごくシンプルでミニマムになっていて、色彩感も全く違う。でも、楽曲にとって必要なものは残っているからすごく美しい。あなたのカヴァーはリズムやハーモニー、曲の構成などもいつもかなり変えていることが多いですが、自分のやり方の特徴ってあると思いますか?

カヴァーをやる時も、スタンダードやオリジナルも目指すところは同じで、作っているアルバム全体のファブリックやコンテクストにフィットするかどうかです。アルバムの流れを崩さないようなヴァージョンを作れるかどうかを考えていて、アルバム全体の一貫性とか曲同士の関連性をとても大事にしています。

アルバムにカヴァーを入れる場合、まず一度全て曲を骨組みの状態まで分解して、それから組み立て直します。構成要素としてはメロディ、ハーモニー、グルーヴ、更にはシンガーがどう歌ったか等があって、その歌にはどんな装飾がついているか、どんな技術で歌ったのかがあって、私もシンガーだからそれをなぞることもできるけど、それらはいったんすべて横に置きます。まずはその楽曲をとことんシンプルなところまで分解して、いちばん大事なことは何なのかを考えます。そもそも元々のメロディはどう書かれていてどう動いているか、どのようなハーモニーが乗ってこういう仕上がりになったのかを見ながら、徹底的にミニマムなところまで分析していきます。その後に改めて組み立て直すんですけど、その時には「このハーモニーは必要なのか、残したほうがいいのか」「グルーヴは同じままでよいのか、変えるべきか」等をひとつひとつ吟味しながら、じっくりと再構築していくのが私のメソッドです。

原曲に対するリスペクトはあるので、どっちがいいかって比較は必要ないと思いますけど、自分としてはこういうやり方で良い結果が出たなって思います。

――カヴァーといえば、ロイ・ハーグローヴ<Roy Allan>。サンバになっているのも面白いし、ミニマルなアレンジの中でどんどんリズムパターンが変わっていくのも面白いです。

私はロイ・ハーグローヴが亡くなってしまったことをすごく残念に思ったんです。彼はジャズ・コミュニティの中でも重要な存在でしたから。ちょうど今回のアルバム用に曲を選び始めたころにロイが亡くなったのもあって、そういう意味でもロイの曲をここで採り上げて、敬意を払うのが相応しいと思いました。そして、この「Roy Allan」を聴いていたら、原曲とは全く違うものになると思うけど、サンバのアレンジに出来るんじゃないかなと気付いて、このアレンジを施しました。メロディや曲が持っているオープンなフィーリングも、サンバ・ヴァージョンにぴったりフィットしたと思ってます。本人に聴いてもらう機会はなかったけれど、満足してくれてるといいなと願っています。

ここではアイアート・モレイラが参加しているんです。ドラマーのレオがアイアートと繋いでくれたことでゲスト参加が実現しました。ブラジル音楽のレジェンドであるアイアートが参加してくれて、ロイという亡くなってしまったレジェンドとの橋渡しをしてくれたような感じがしています。

――<Magnus>は2015年に録音したティレリーのアルバム『Tillery』に続いて、二度目の録音です。ここでもいろんな人が参加していますが、2012年くらいに子供たちと歌っている動画がユーチューブにあるように、あなたが一人が歌う曲というよりは、みんなで歌うために書かれた曲みたいな印象があります。ライブでも観客と一緒に歌いますよね。

私もこの曲はみんながいっしょに歌ってくれる曲であってほしいと思っています。だから、ライブではお客さんを巻き込んで歌ってもらうことにしているんです。この曲を書いたのはかなり前ですね。当時5才だったマグナスという男の子がいて、その時、彼のお母さんのアシュレイ(グレッチェンの友人)が弟を身ごもった状態でした。そのお母さんのお腹にむかって、マグナスが生まれてくる弟のためのオリジナルのララバイを歌ってあげていたんです。この曲はそのメロディがそのままコーラスになっています。そこにその他のヴァースやベースラインは私が加えて曲にしました。なんだかんで10年くらいは歌っている曲ってことになりますね。ティレリーでもこの曲は録音しましたが、今回はもう14才になったマグナスと当時母のお腹の中にいた弟サディウス、そして、母親のアシュリイ、みんなが揃って参加したフルヴァージョンをようやく収録できたんです。

――<What Does A Lion Say?>はオリジナル曲です。ベーシストのクリス・モリッシー(マーク・ジュリアナ、マーガレット・グリスピー、アンドリュー・バードなどと共演するベーシスト)が作曲、歌詞はあなたがつけています。ライオンのことを歌ったすごく不思議な歌詞ですよね。

この曲は私が母になりたての頃のことを歌っているんです。まだ息子が赤ちゃんで、当時のことを思い出してようやく曲にすることができた曲ですね。今、息子は6歳になったんですけど、当時、赤ちゃんだったので言葉を知らないから会話が出来なかったんです。彼はただ声を発するだけで、あとはアクションを起こすだけ。そんな自分の子供と格闘していたころのことを歌っています。あの頃の息子って声を出しながら大きく口をあけたり、舌を出したり、私にとってはまさにライオンみたいに見えました。で、「このライオンは何を言っているの?」と(笑)。

親の立場から、ライオンのような子供と過ごしたあの時の時間は本当に貴重だったと感じたんです。一日がすごく長く感じられたり、逆にあっという間に過ぎたり、その間に子供はどんどん変化していって。今、振り返ると、そんな時間のことをようやく素敵な時間だったと思えるようになったから、その気持ちを曲にすることができたんだと思います。「母」を仕事にしていた時期があって、そこからこうやってまた新しい気持ちでアルバムを作って発表して…というところまでたどり着いて、あの子育ての時間も私にとって重要だったんだと今、感じられている思いをこの曲には込めています。

――このアルバムに収録されている曲だと、もうひとつのオリジナル曲<Wonderful>って曲があります。この曲は「みんな素晴らしいよ」ってことを歌っている人間賛歌や人生賛歌のような曲で、その生きていてくれてありがとう的なメッセージは<Magnus>にも通じるものなのかなと感じました。

そうですね。これも母に専念していた自分をふりかえって書いた曲ですし、息子のために書いた曲でもあります。そして、私の息子に限らずあらゆる子供たちや子供時代をふりかえる大人たちにも贈りたいです。小さな子供だった頃って自分は無敵で何でもできると思ってるし、自信もあったと思います。本来は歳を重ねて大人になってもそうあるべきなんですよね。「私はワンダフルなんだ」って思えるべきだし、そう言えるようでもあるべきだし、また、その気持ちを皆で分かち合うべきだとも思うんです。<Wonderful>ではその思いを歌っています。

ここではアルティョムの娘さんや、マグナスたち、友人やミュージシャンの家族など、私の周りの人たちを総動員してます。例えば、NYのジャズ・ギャラリーのリオ・サカイリさんの子供たちもここで歌っていたり。この曲をみんなへのギフトとして届けて「自分は素敵なんだ」ってことをみんなに思いだしてもらいたいと思ってます。

――全体的には愛情やハピネス、生きることや人間そのもののすばらしさを歌っているようなアルバムだと僕は感じましたし、実際に今、話を伺ってもそういうことを表現している曲が多いと思います。にもかかわらず、アルバムの最後には、そういったムードとは真逆と言っても過言ではないような、とても哲学的で、ダークなデヴィッド・ボウイ<No Plan>のカヴァーが入っていたのが印象的でしたし、この選曲はどんな意図なんだろうとも思いました。

この曲は美しくてダークなところのある曲で、そこに魅かれました。ボウイが亡くなる前に録音した最後の曲のひとつ(2017年にリリースされたEP『No Plan』に収録)ですね。夫のマーク・ジュリアナがバンドの一員としてボウイの録音に参加したという繋がりもあります。ボウイが亡くなる前にこの曲について、きちんと語っていたかはわらない(から合っているかはわからない)けど、私はこの曲はどうやら「死」について歌っているんじゃないかなと思ったんです。ボウイは「死を受け入れる」というか、「死を目前にして捉えどころのない空間に自分が置かれいている状況」を歌っているように私は感じます。

アルバム冒頭の<É Preciso Perdoar>について、「状況を受け入れる、そこに身を任すことを歌っている」と話しましたが、<É Preciso Perdoar>から始めて、最終曲のノー・プランという状況、つまりある意味で「あきらめて今の状況を受け入れる」ような歌詞でアルバムを終わらせることは、(最初と最後が繋がって)1周した感じになると思うんです。「人間という存在のあり方」みたいな意味でひとつのサイクルを回ったようなイメージです。どちらの曲にも通じることですが、人間は苦しむことを避けて通ろうとする、或いは見ないようにする人もいるかもしれないけど、それは本当はしてはいけないことなんだろうなと思ったりします。苦しみや悲しみ、困難な状況というものを実感して、じっくりそこにいる自分を眺めて、その困難さを受け入れることが大切な気がするんです。このアルバムはそれを伝える曲で始まり、同じようなことを伝える曲で終わる、という作りになっています。

――死をテーマにした曲を最後に持ってきたって話を聞いて今、思ったんですが、アルバムのタイトルはFlor=花ですよね。花は美しく咲くだけでなく、その後、必ず散ってしまう儚い存在でもあります。そして、種を落とす。そういった花が持つ生のイメージだけでなく、死のイメージも含めた意味のタイトルが『Flor』なのかなと思いました。

その解釈はすごく刺さりました。花のイメージってその通りで、私もあなたと話していて今、気付いたんだけど、自分の声も花のようなものなのかもしれないと思うんです。私は声を楽器のように使っているってことをよく言いますけど、それに対して「声量がない」とか「空気を含んだ声ではっきりしない」とか批判的に言われたこともあるんです。私はステージ上で歌う時も割と内向的で、目を閉じて、自分の世界に入り込んで歌っているようなところがあるので、それを好意的に見ていない人がいるってことが聞こえてきたことがある。そういう部分でも私は「花」なんだなって思いました。道端に私はこうなんですよってひっそり咲いているんだけど、それに気が付かないで通り過ぎていく人も多い。でも、中にはそこに気づいて、愛でてくれる人もいる。そんな存在なのかなって。花の脆くてデリケートな部分もそうだし、シンガーとしての自分の声もそうだと思うんだけど、そういう花のようなものを楽しむには見る側、聴く側もじっくり時間をかけないとわからないこともあるかもしれないってことも。

――なるほど。それも面白い解釈です。

それに皆さんが過ごしている時間も花のようなものかもしれないですよね。赤ちゃんだった子供たちももう赤ちゃんではなくなってしまっているわけで、あの頃の時間はもう取り戻せない。その時々を、今、この瞬間を大事に生きましょうねっていうのがこのアルバムを通して私が伝えたかったことなんじゃないかなって、今、気付きました。このインタビューの時間もすごく素敵な時間だったと思う。私が自分ひとりだったら考えつかなかったことを考えさせてもらえたから。

――死を知ることで生の美しさがより際立つというか。それは子供が目の前で日々どんどん成長していて、ライオンが人間になっていくみたいな過程を日々見ていたから作ることができたアルバムだってことがよくわかる話ですね。常に彼らは成長して大人としての自分を得ながら、子供だった自分を失っていく。子供たちは日々トランスフォームしているわけですから。そして、花もまた種から芽が出て花を咲かせて、と形を変える。それはデヴィッド・ボウイのイメージとも重なるかもしれないですね。

たしかにそうかも。それに子供たちがトランスフォーマー(※アメコミ)の大ファンだからぴったりだし(笑)。その時々を大事に、成長も含めた変化を受け入れていくことを私がここまでありがたいことだと感じられるようになったのは子供を育てたからかもしれないですね。意識してはいたし、自覚もしていたつもりだったけど、ここまで高いレベルで、深みをもってそれを理解するように、実感できるようになったのは絶えず成長していく、トランスフォームしていく生き物が目の前にいるからかもしれない。

今を大事に、今を生きるってことを花に喩えている話で私が好きな言葉があるんです。それはティック・ナット・ハン(Thick Nhat Hanh)というベトナムの僧侶が言っていた「No Mud、No Lotus」って言葉。「蓮の花は泥の中に埋まっていて、その泥から栄養を得て美しい花を咲かせる」って意味。その泥に当たるものが努力であったり、困難や苦しみであったり、とすると、そういうものがあってこそ美しい花が咲くと。その両方があってこそ、人間の存在だってことを伝えているんだけど、今回の私のアルバムで伝えたかったことはまさにそういうことだなってこのインタビューで気が付きました。

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