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interview Miguel Hiroshi『Oníriko Orinoko』:さまざまな音楽ジャンルのスタイルはすべて同じ言語の方言のようなものだ

僕はジャズ・ピアニストのシャイ・マエストロが好きなので、彼の参加作は逐一チェックをしている。そういう時にふと見つけたのがミゲル・ヒロシという謎の名前のミュージシャンと謎の名前のアルバム『Oníriko Orinoko』だった。

少し調べたら、どうやらスペイン人で、タイトルもスペイン語だということはわかったが、世界中の様々な音楽の要素が入っていて、様々な楽器が演奏されていて、わからないことはまだまだ多かった。ジャンルも国も特定しづらく、実に自由でハイブリッド。シャイ・マエストロに加え、NYでも活動していたギリシャ出身のベーシストのペトロス・クランパニスも参加していて、その二人が参加するくらいに演奏もうまくて、音楽も明らかに高度で、タダモノでないことはすぐに分かった。

しかも、パーカッション奏者なのはわかるのだが、普通のパーカッショニストがあまり使わないハング・パンを多用していたのも謎を深めた。

とりあえず、何もかもよくわからない存在だし、一度話を聞いておこうと思ったのがこのインタビューのきっかけだ。そもそもミゲル・ヒロシとは何者なのか、ヒロシって名前はどういうことなのか、彼の音楽はどういった背景から生まれたものなのか、といった基本情報から始まったバイオグラフィー、もしくはウェブ用ライナーノーツだと思ってもらえるといいかなと思う。

ちなみに日本のみでCD化
欲しい方はお早めに。

取材・構成・編集:柳樂光隆 協力:江利川侑介(diskunion/Think!)

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(※以下、テキストの背景がグレー部分は全てミゲル・ヒロシの発言)

■日本の鎌倉生まれでスペインのグラナダ育ち

私は日本の鎌倉で生まれました。両親が鎌倉で働いていたからです。でも、私が1歳になったころ、私たち家族はスペインのアンダルシアのグラナダにあるLa alpujarraに引っ越しました。La alpujarraは魔法のような環境でした。自然はピュアなまま残っていて、空気や水もきれいでした。そこで私は、地中海文化を中心に、フラメンコやスペインのフォークロアを体験したり、山道を沢山歩き回りながら、自然の中で動物と触れ合う楽しい生活を送ることができました。

日本の生まれで、スペイン育ち。ちなみにミゲルのカホンには寛と書いてある。ヒロシは漢字だと「寛」らしい。

そんな寛はスペインでリュート奏者の祖父や音楽学者で音楽療法士のDagmar Trichtingerに音楽を学んだとのこと。

私の祖父はリュートに似ているスペインの伝統楽器の演奏者です。彼が演奏する楽器は「バンドリア」(bandurria)と「ラウド」(laud)と呼ばれています。彼は93歳になった今でもを演奏しています。私は彼の音楽に完全に影響を受けました。私が最初に音楽を聴いたのも彼でしたし、彼からとても刺激を受け、支えられたことでミュージシャンになることができたと思います。
Dagmarは、私が10代の頃に大きな支えとなった人です。私は彼女から音楽は誰もが楽しめる遊びだということを学びました。また、音楽には限界も障壁もないってことも。そして、音は本質的な情報を伝えることができ、エネルギーを変化させる最も強力な方法のひとつでもあり、すべての存在が音に反応することも学んだと思います。

ミゲルの音楽にはヨーロッパのフォークミュージックの匂いがあるし、どこかスピリチュアルな世界観がある。その辺りは10代のころの経験ともつながりがありそうだ。

■フラメンコ、キューバ、インド、ジャズetc 世界中の音楽ジャンルの音楽言語を研究

その後、ミゲルは大学ではワールド・ミュージックの学士号を取得しているとのこと。彼の音源を聴いていると、様々な地域の楽器やリズムを習得しているのがわかるが、それは大学で学んで身に着けたゆえのものなのかもしれない。

私は、フラメンコ、キューバ、ブラジル、中近東、ジャズ、インド、アフリカ、電子音楽、クラシックなど、さまざまな音楽ジャンルの音楽言語を研究してきました。長年の研究でわかったことは、これらのスタイルはすべて同じ言語の方言のようなもので、音楽はひとつの普遍的な言語だということです。

「さまざまな音楽ジャンルのスタイルはすべて同じ言語の方言のようなもの」という考え方は彼の音楽を知るための鍵になるような発言だと思う。それはヨーロッパ、アフリカから中東を経てアジア、ロシアへとすべて地続きのヨーロッパの音楽を考えるためにも重要な考え方だ。そして、スペインはヨーロッパの最西端にあり、そんなスペインで生まれたフラメンコもまたそのヨーロッパの音楽の特性と無縁ではないのは間違いない。

ミゲルは超絶テクニックのフラメンコ・ギタリストのアンドレアス・アーノルドやフラメンコとジャズを融合するBvRフラメンコ・ビッグバンドといったフラメンコの技術や文脈を理解したうえで、ハイブリッドなサウンドにチャレンジしているプロジェクトに起用されていて、ミゲルの音楽活動の中心にはフラメンコがあることがわかる。それは必然的にそういったヨーロッパの音楽の特性がミゲルの音楽にも入り込んできていることになるだろう。

フラメンコの音楽を身近に感じることができたことは、私が受けた最高の芸術的な祝福だと思います。フラメンコの文化はとても特別なもので、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの音楽から強力な要素が集まっているため、音楽情報の爆弾のようなものだと言えます。音楽の豊かさに加えて、フラメンコにあるダンスとの密接な相互作用は、他の芸術分野やヴィジュアル・アートと音楽的にコミュニケーションをとる方法について多くを教えてくれだと思います。

フラメンコに続いて、ここからはミゲルが学んできたジャンルについて個別に言及していこう。

まずはインド音楽。ミゲルはインド的なサウンドが中心にあるような音楽もやっているし、リズムなどに関してもかなりインド音楽からの影響を受けている。2020年にはインド要素がかなり濃厚な楽曲「Tani Avartanam」を発表しているほどだ。

インドの音楽は洗練されていますし、とても進化しています。私の個人的な経験の範囲での認識ですが、インドの音楽家による音楽研究、作曲や演奏に関するビジョンは、幅広く、賢く、首尾一貫していて正確なんです。自分の音楽を表現したり、他の人に教えたり、音楽についてより多くのことを学んだりするのにインド音楽で得たことはとても役立ちます。私はインド音楽からは大きなインスピレーションを得ることができたと思ってます。

音楽を教える立場でもあるミゲルにとって、インド音楽は音楽だけでなく、教育や伝承を含めたその体系そのものからの影響を受けているようだ。

次はキューバ音楽。彼はインド音楽をインドのミュージシャンから学んだのと同じように、キューバ音楽をキューバのミュージシャンから学んでいる。キューバ音楽と言えば、ルンバやサルサなどのリズムとダンスを想像するが、中にはサンテリアのような宗教由来のスピリチュアルな音楽もある奥深い音楽だ。

どのような文化であっても、その根底にある強い音楽は、その音が私たちの意識状態を変える力を持っているため、スピリチュアリティと関係が深いんです。だから、アフリカやアフロ・キューバンの音楽は、私たちを急速にトランス状態に導き、とてもパワフルなんです。リズムと反復は、宗教的な習慣に関わらず、私たちを神性と結びつける状態に入るための最も重要な要素なんですよ。

それ以外にもミゲルはトルコやイスラエルの音楽をそれらの地域のミュージシャンから学んでいる。中東やバルカン半島の音楽を学んだ理由が興味深い。

フラメンコには地中海の音楽の要素が多く含まれています。おそらく、トルコやイスラエル、モロッコやエジプトなどの北アフリカの音に惹かれるのは、DNAの情報によるものでしょう。

これらの音楽はスペイン生まれでフラメンコを身に着けたミュージシャンとしてのミゲルの音楽性にそのまま繋がっているわけだ。ミゲルはそのフラメンコの中にある様々な要素をひとつづつ取り出して、それらを個別に学ぼうとした、ともいえるかもしれない。彼の音楽から聴こえる豊かさはこういった部分に関する知識や技術が詰まってるディテールの豊かさに由来しているのかもしれない。それに、もしかしたら、インドやキューバ、キューバの音楽のルーツにあるアフリカなどもそれぞれのジャンルへの理解だけでなく、ヨーロッパ大陸上の大きな繋がりの中で捉えているのかもしれないとも思う(それはロマが媒介になり様々な音楽がヨーロッパ中に届き、そこで融合し生まれた新たな音楽がまたほかの土地へ運ばれることで新たな音楽が生み出されたような話と同じことだろう ※以下のジプシーブラスの記事参照)。だからこそ、中東イスラエルのシャイ・マエストロや、バルカン半島のギリシャのペトロス・クランパニスとも完璧な相性を生み出せるのだろう。

上記のような様々な地域の音楽を学んだだけでなく、ミゲルはオランダのアムステルダム音楽院でアメリカの音楽でもあるジャズの修士号を取得している。彼の中で“ジャズ”はどんな意味を持っているのだろうか。

さまざまな楽器、音楽ジャンル、演奏技術、音楽的アイデアを駆使して演奏しているうちに、自分の中の選択肢と情報が増えすぎてしまいました。でも、私はこれらの多数のパラメーターのすべてを使って、様々な組み合わせを作ることに楽しさを感じていました。大学院での私がやったのは、複数のパーカッションのセットアップやドラムセットを作成するために、これらのパラメータに基づいてアルゴリズムを作成し、ワールド・ジャズ・ミュージックの文脈で技術的にどう演奏することができるかという研究でした。

世界中のパーカッションを学び、その技術を高めつつ、それらを機能的かつ自在に組み合わせ、ジャズの方法論をベースに即興演奏にも取り込んでいく。あらゆる要素を共存させるためのプラットフォームとしてのジャズという方法論、もしくはシステムを使っていると考えれば、それは正に現代のジャズ・シーンで行われている音楽と近いものと言えるはずだ。ミゲルの音楽は表面的にはジャズには聴こえないかもしれないが、そこにはジャズが積み上げてきた仕組みや考え方は明確に入っている。

■21世紀に生まれた打楽器ハンドパンとの出会い

そういった音楽を追求する中でミゲルはハンドパン(ハングパン、ハングなど名称は定まっていないがこれらは全て同じ楽器)という楽器に出会う。

ハンドパンとの最初の出会いは、2004年のバルセロナ。すぐにこの特別な音に惚れ込みました。パーカッシブな面でメロディーやハーモニーを奏でることができるというのは、まさに天賦の才でした。ハンドパンを深く使おうと意識して決めたわけではありませんが、その情熱と興味は年々増していますね。

ハンドパンは歴史の長い楽器ではない。素手で叩いて演奏するスティールパンというコンセプトで2000年にスイスのパンアート社が開発した楽器で、そこから他社も同じような構造の楽器を発売し始めて今に至る。楽器そのものも演奏法も、音楽性も確立されてはないだろうし、発展途上の楽器と言っても過言ではない。

どんな楽器でも直感的に演奏することは素晴らしい練習になりますが、ハンドパンでそれをするのは特に気持ちの良いものです。私は自分の打楽器や音楽のやり方の多くをハンドパンにオーガニックに適用して、それはかなりうまくいっていると思います。ハンドパンのために作曲するのも楽しいですし、同時にハンドパンで即興演奏をするのもとても楽しいです。現在、私は多くの人々にハンドパンの演奏方法についての私のビジョンを教えていて、ハンドパンの学習プログラムを含む、音楽のための新しいオンライン・アカデミーを立ち上げることも考えています。

そして、私の音楽の一部はハンドパンの音と繋がっています。でも、それだけじゃないんです。私が音楽を表現するのに一番適しているのは、パーカッシブな共鳴面の上に直に手を置いて演奏するんということなんです。ハンドパンなら、リズム、メロディー、ハーモニーという音楽の3つの側面を集約することができるんです。ハンドパンのその性質こそが私にとって理想的で快適なんです。

ミゲル本人が語っているように彼の音楽はパーカッションが中心にあるが、パーカッションをリズムだけでなく、メロディや音響のための役割としても使っている。それはパーカッションの役割を拡張していると言えるし、パーカッションは地域やジャンルによっては必ずしもリズムだけの役割ではないので、ミゲルはパーカッションが持つ本来の能力をきちんと発揮させているともいえる。

パーカッションは、おそらく世界で最も大きな楽器群。身の回りにあるものでも素晴らしい音を奏でることができるし、多様な音とテクスチャーがあります。そのため、パーカッションは音楽にとって非常に強力なツールであり、パーカッションが他の楽器とどのように相互作用するかによって、音楽の最終的な色が全く変わってきます。パーカッションは音楽にとって、料理における塩やスパイスのようなものだと思うんです。味を引き立てることも、より繊細にすることもできる。

また、パーカッションの音には、人間を振動させ、踊らせ、エネルギーを感じさせ、地球とのつながりを感じさせるような、先祖代々の原始的な性質もありますよね。

■デビュー・アルバム『Oniriko Orinoko』のこと

ここからはミゲルのデビュー・アルバム『Oniriko Orinoko』の話に移ろう。このアルバムはここまでに書いてきたミゲルの音楽観や演奏観みたいなことが反映された現時点での彼の集大成でもある。

『Oniriko Orinoko』は、私の音楽世界への小さな旅であり、音楽家が歩む音楽の道への賛辞であり、夢への賛辞でもあります。このアルバムは私の夢(オニリコの世界)とかなり密接な関係があります。私は音楽のアイデアや新しい作曲のきっかけを夢から受け取ったことが何度もあるんです。このアルバムの音楽の一部は、そのようにして夢の中で現れたものです。特に、ベネズエラとコロンビアを結ぶオリノコ川の夢を見たときは、頭の中でメロディーが鳴っている状態で目が覚めました。それがこのアルバムに収録されている「Oniriko Orinoko」の曲名の由来で、(その言葉の並びが)私にはとても音楽的に聞こえました。後で調べてみて気付いたんですけど、「オニ リコ オリ ノコ」という音は日本語でも何かを意味しているように聴こえますよね?

作曲は、マドリード郊外の美しい川の前の自然の中にある、私が住んでいた美しい家の中で行われました。そこですべての音楽を想像し、書き上げました。レコーディングは、その家とニューヨーク、バルセロナ、メキシコのスタジオを行き来しながら行いました。

音楽的にはミゲルのパーカッションの多彩な響きを活かしたミニマルなサウンドだ。そこには現代音楽的なミニマルでもあるし、世界中の音楽の中にあるミニマルも聴こえてくる

私は音楽でも人生でも、ミニマルなアプローチが好きなんです。でも、特定の音楽を参考にしているというわけではなく、民族音楽や電子音楽のシンプルなアイデアを利用しています。例えば、スティーブ・ライヒを挙げることができますね。彼の音楽は好きなんです。それに、日本の文化には、最小限のディテールという美しいアプローチがあると思いますし、それは私にとてもインスピレーションを与えてくれています。

ミゲルの面白さは世界中の音楽の要素をジャズの方法論でまとめ上げるだけでなく、現代的な要素や感性もあることだ。ミゲルが参加していたMeropeAukaiといったプロジェクトにはアンビエント・ミュージック、エレクトロニカのような要素が明確にあるし、『Oniriko Orinoko』にもそういった要素は入っている。

エレクトロニックなテクスチャーとアコースティックなサウンドの組み合わせは、とても良い組み合わせだと思いますし、私自身も惚れ込んでいるので、私の音楽もその方向に向かっています。私の新しいプロジェクト「Kinam」は、そのゲームに没頭するためのものです。

私に影響を与えたアーティストとしては、Sigur RosNils FrahmOlafur ArnaldsSquarepusherDaft PunkAlva NotoThom YorkeJon Hopkins などですね。

そして、ミゲルの音楽にある特徴といえば、スピリチュアル、もしくはメディテーションの要素だろう。ジャズであれば、古くはアリス・コルトレーン、今ならカルロス・ニーニョ辺りと比較される可能性がある音楽だろう。そこにはセルフケアにもつながる機能性みたいなものがあるのを感じさせる。

私は音楽を作ると、特定の周波数と繋がる傾向があります。特定の音や反復するリズムを使うことで、それらが発生するのだと思います。また、私の音楽に対する意図(Intention)は、そのような高揚した状態と共鳴します。それに私は、木、金属、水、土、火という5つの要素の振動(Vibration)の影響を探るのも好きです。

■音楽を作ること、音楽を演奏すること、音楽を教えること

最後に、ミゲルにどうしても聞きたいことがあった。それは彼が教育者であることについてだ。音楽家であること、教育者であること、そして、その二つの関係について。それはミゲルのことを知るために必要なことだと思った。

私は、音楽制作、音楽演奏、音楽教育は、いずれも音楽が主な対象であっても、全く異なる道だと考えています。でも、私のキャリアにおいては、これらは非常に密接に関係しています。私はこの18年間、大学、ワークショップ、リトリート、プライベート・レッスンなど、さまざまな方法で音楽を教えてきました。私は、自分が知っていることを分かち合い、他人が夢を実現するのをサポートしたり、刺激したりするのが好きです。

現在、私はミゲル・ヒロシ・ミュージック・アカデミー(ハンドパンや世界中のパーカッション、そして、様々な音楽をオンラインで教えるためのプラットフォーム)の準備をしていて、2022年に立ち上げる予定です。

私は教えることは音楽に奉仕する美しい方法であることを発見しました。そして、教えることは人々に種を植えることであり、(生徒たちが)楽器を演奏することで自分自身と向き合い、自分自身の本質に近づき、彼らが花を咲かせるための方法であることを発見したんです。


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