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フランク・オーシャン「Moon River」とMISIA「Everything」とバート・バカラック「Close To You」のこと

フランク・オーシャンがアップしたヘンリー・マンシーニの「ムーン・リヴァー」のカヴァーを聞いて、思い出したことがある。

以前、ダイアナ・パントンというシンガーのライブをコットンクラブに観に行ったあとに「ムーンリヴァー」とMISIAの「EVERYTHING」のことを考えていた時のことだ。

MISIAの「Everything」は冨田ラボのプロデュースで、どこからどう聴いても人間が叩いているようにしか聴こえないドラムが実は冨田ラボによる神業的な打ち込みであることがよく語られているが、実は他にもなかなか面白い曲だなと前から思っている。

それはこの曲が全然力まずに歌える曲というだけじゃなくて、歌手が力(りき)めないような曲にしている気がするところだ、つまりメロディーもテンポもリズムもそういう構造になっている。ポイントは音域の狭さ。高い音域から低い音域へジャンプするような移動などを避けているところだ。

この曲は「カラオケで歌いやすい曲作りになっている」とか色々言われていて、もちろんそれもあるだろう。でも、さらに重要なのは、歌が超絶うまくて、そのテクニックをすぐに出してしまうMISIAに「全力投球させず」「声を張らせず」「極力ゆったりと力を抜いてふわっと歌わせる」みたいなことをどれだけうまくさせるできるかって曲である点な気がしている。そして、そんな部分が逆にMISIAの歌の魅力や表現力を引き出し、それが普遍性をもたらし、結果的にMISIAの代表曲になっている気もする。

それに気付かせてくれたのは、ジャズヴォーカリストのダイアナ・パントンを見に行ったから。彼女は生粋のジャズシンガーで、明らかに技巧的に歌える人なんだけど、彼女はほとんどの曲を〈ムーンリヴァー〉みたいに聴こえるようにアレンジしていたり、もともとそういう構造の曲を選んでいたように思った。つまり、歌の音域をかなり狭く限定して、その狭い範囲でどういうニュアンスをつけながら歌うかを追及していた。その表現方法だからこそ、その時の彼女の歌はものすごくキュートだったし、色気もあって、特別な空気感が出ていた。

そもそも「ムーンリヴァー」は、歌手ではなく女優のオードリー・ヘプバーンのために書かれた曲で、彼女が歌が苦手だったため、それに合わせてほぼ1オクターブで作った的な曲。つまり下手でも歌える平易な曲なんだけど、その平易さが制限となって曲を特別にしているというところが面白い曲でもある。そのほぼ1オクターブの狭い音域の中で、もともと歌がうまくて安定した歌唱力がある人がのっぺりさせずに歌うにはどうしたらいいかというところにその歌手の表現力が出るからだ。つまり、ダイアナ・パントンはそこの表現力を研ぎ澄まし、そこで勝負している歌手だったから、そんな歌唱表現を色んな曲に当てはめ、個性を出していたのがすごく興味深かった。

たった1オクターブを顕微鏡で見たように超細かく捉えたり、声色や声質自体を変えたりすることで、その狭さを狭さに感じさせないようにしるだけでなく、その音域の狭さ自体が持っているエレガンスやコンフォートをどれだけ活かすかみたいなことも含めて、ダイアナ・パントンという歌手は圧倒的に素晴らしかった。

そんな表現方法を追求する際に参照するのは、ジャズだといわゆるクルーナーと呼ばれるヴォーカルスタイルだろうし、ジャズ以外も含めるとボサノバのシンガーの歌が最適かもしれないと思ったりしている。それはシンガーだけじゃなくて、ジョアン・ジルベルトとかも含めて、ボサノヴァって言う音楽が持つ構造とそれが生み出すボサノヴァらしいメロディーはムーンリヴァー的な表現と合いそうだ。ちなみにダイアナ・パントンもボサノヴァをよく歌ってる。もしかしたら、彼女はジャズボーカル的な歌い口とボサノヴァ的な表現を共存させることで、自身のオリジナリティーを確立したのかもしれない。と考えると、メロディー・ガルドーとかもそういうタイプと捉えられるかも。

という流れで以前に書いた以下の原稿を思い出した。

ここであれこれ書いているが、その中でもフランク・オーシャンも歌っているバート・バカラック作の「Close To You」の部分だ。

以下引用

カーペンターズのバージョンを聴いていても感じるのだが、この曲は実に不思議な曲だ。訥々とした語り口になるようなメロディーは、その声の一音一音が強さではなく淡く曇ったような質感になり、そこに独特の情感が宿るが、そこに過度な感情を乗せようとしてもそれを拒否するようなメロディーでもあるような気がする。そのメロディーが持つ重力は、歌い手がエモーションを出そうと出そうとしても、それを無化して平坦にしてしまうようにも思える。ただ、その重力の中で丁寧に繊細に動くことができれば、この曲にしか表現しえない情感を深いところで形にすることができるのかもしれない。シンプルさが枷になり、その枷が情感や深みを生む。
ふと思ったのは、この曲のメロディーが持つ重力は、僕が何となくイメージしているような黒人的なブルースっぽさ、ソウルっぽさや、白人的なカントリーっぽさやフォークっぽさみたいなものを無化してしまうのかもしれないことだ。例えば、ディオンヌ・ワーウィックも最も適切な歌唱を選んだだけ、とも言える気がするし、曲がディオンヌにその歌唱を選ばせたのかもしれないとも思う。そして、その非ジャンル的な分類からすり抜けるようなベクトルのことを《ポップス》と呼ぶのかもしれないとすれば、完璧なポップソングなのかもしれない。そんな〈Close To You〉の在り方は、(リチャード・チェンバレンが同性愛者であること以上に)フランク・オーシャンの音楽を紐解くヒントになるかもしれないとも思う。
さらに言えば、この曲はハル・デイヴィッドによる歌詞が絶妙で、シンプルなメロディーが持つ一音一音にそのまま一つ一つの言葉が乗っていて、それがリズム的になっていて、歌う際には音列や音域だけじゃなくてリズム的にも縛られている感じがある。一音節ごとにリズムがはめられていて、歌の中で言葉がひとつづつ切れているようなイメージさえある。たまたまいろんなバージョンを聴いていて思ったのが、カレン・カーペンターが歌おうと、細野晴臣(『Heavenly Music』とジム・オルークがプロデュースした『All Kind Of People』)が歌おうと、宇多田ヒカルが歌おうと、土岐麻子(『みちしたの音楽』)が歌おうと、ジェイコブ・コリアーが歌おうと、スティービー・ワンダーが歌おうと、フランク・オーシャンが歌おうと、そんなに大きな変化が出ない。メロディーやそれに紐づくリズムの構造上、歌の言葉尻にニュアンスを込めることくらいでしか変化の出しようがないからだ(逆に、その声質や言葉尻のニュアンスだけで違いを出せるくらいのシンガーでないと微妙なものになるということでもある)。という意味では、匿名性とまでは言わないまでも、歌の記名性みたいなものがかなり希薄になる曲ともいえる。ジャンルや音楽性みたいなものだけでなく、歌う主体者の存在さえも弱めてしまう実に不思議な曲だと思う。
そんな、一音一音の連なりが様々な重力や引力を持ち、ジャンルや人種のイメージなどを無化するようなシンプルなメロディーという意味では、ジェイコブ・コリアーのような音楽家が〈Close To You〉を歌うのもよくわかるし、サラ・エリザベス・チャールズやグレッチェン・パーラトのような作曲家が自身の歌唱の技巧を全く見せないようなシンプルかつ印象的なメロディーを書くことを紐解くためのヒントになるのかもしれない。そして、それはジェイコブや彼女たちのような超絶技巧を誇るボーカリストたちが限られた音域やシンプルな音列の中に自分が求める情感をどれだけ的確に歌という形でスムース且つ自然に入れることができるかというチャレンジでもあるのだろう。声量はないが、その一声一声や吐息、息を吸い込む音にさもニュアンスを付け、細やかな情感を込めることができるグレッチェンが求める音楽はそんなところにある気もする。

この「Close To You」が持っている制約が生むジャンルやスタイルの無効化と全く同じことが「Moon River」にも言えるのではないかとなんとなく思っている。そして、フランク・オーシャンという人はそういう音楽の構造を狙って選び取っているし、自身の作曲にも取り入れているのではないかという気がする。

そして、フランク・オーシャンの「Moon River」は「Close To You」の時よりもさらにミニマムなアレンジで完成度も格段に上がっているように思える。さらに言えば、その曲が持つ平坦な情感をそのままにしながら絶妙な音響処理がされていて、えも言われるぬ感情が宿っている。「Moon River」が「Moon River」らしいまま、微かにエモいのだ。

このカヴァーを聴いてしまったら、『Blonde』を超える名盤が生まれてしまうんじゃないかと期待せずにはいられない自分がいる。フランク・オーシャン、愛してます。

追記
最後に、もしかしたら、「Moon River」や「Close To You」は、現代的なポップソングというよりは童謡やわらべ歌のようなものに近いのかもしれない。その親しみやすさも含め。フランク・オーシャンの音楽にある(明らかに新しいのに)どこか懐かしく優しく親しみやすい雰囲気と関係あるのかもしれない。

また、僕はグレン・グールドの曲の中では、『バード&ギボンス作品集』が特に好きだ。

これはウィリアム・バードとオーランド・ギボンスという16世紀から17世紀ごろの作曲家の曲集。当時は今のピアノの原型とも言われるヴァージナルという鍵盤楽器がよく用いられていて、それは今のピアノの鍵盤が88個あるのに対して、50個とかしかなくて、音域が狭かった。でも、その音域の狭さに合わせて書かれた楽曲には独特の魅力があり、グールドはそれを88鍵のピアノを使い、その素晴らしさを最大限に引き出している。もちろんグールドに関しては、バッハやブラームスも大好きだけど、『バード&ギボンス作品集』に惹かれるのは、制約がある中でその狭さゆえの表現に魅せられたからかもしれない。そして、その素朴なメロディーは、ヨーロッパの民謡が持つ懐かしさや親しみやすさに似ている気がする。

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