うつの素質。2
幼稚園に入るまでの間、本当に色んな本を読んだ。
母親が塾の先生だったこともあり、家には様々な本が存在していた。
書くことは難しくとも、読むことは出来た。
誰に教わるわけでもなく、分からなかったら辞書を引き、また分からなかったら違う辞書を引いて貪るように言葉を摂取していった。
入園の日取りが決まり、母親が説明をしてきた。
幼稚園というのがどういう所なのか、何をする場なのか、どんな人間がいるのか。
特に興味は湧かなかった。
行きたくはなかった。だって本を読んでいた方が楽しいに決まっているし、本が、言葉だけが俺の味方で友達だと信じて疑わなかったからだ。
入園当日になっても、俺の意志は固く、迎えに来たバスに乗ろうとはしなかった。
それを見かねた母親が俺の頬をビンタした。
恥をかかせるな。
行ったら楽しいって何度言わせるんだ。
さっさと行け、鬱陶しい。
殴られることにも痛みにも暴言にも慣れていたから、特に何も思わなかったが、ビンタされた時に母親の指が目を掠めてそれがとても痛くて泣いてしまった。
もちろん、そのいざこざが家の中で起こっていたことなど幼稚園の先生は知る由もない。
玄関の前まで先生がやってきて、母親に連れられてきた真っ赤な目をして泣いている俺を見て
そうだよね!お母さんと離れるの嫌だよね!
でも大丈夫!幼稚園にはね、お友達がたーくさんいるから!
すぐに仲良くなれるよ!ね!
一緒に行って、皆と楽しいことしよ!
何を言っているんだろうこいつは。
誰に話しかけているんだろう。
そんなことを思いながら、強引に先生に手を引かれてバスへと押し込まれた。
バスの中には小さな人間が沢山いた。
ごちゃごちゃと何か言っていたかよくわからない。
多分、おはようとか、そんな類いの言葉だったのだろう。
その時はそんなことよりも早くヘルマンヘッセの車輪の下の続きが読みたくてしょうがなかった。
幼稚園は集団行動について学ぶ場だと、何ヶ月かしてから気付いた。
折り紙をしましょう!
何の為に?
お遊戯をしましょう!
何故?
絵を描きましょう!
何で?
問うても、
いいからやろうねー!
と封殺される。
本で読んだ。
エドガーケイシーが言っていた、物事には必ず理由があると。
どうして理由が説明できないのか。
納得が出来れば、行動に繋がる。
半端に飲み込んだままじゃどうにも気持ちが悪い。だから、逐一何故かと先生に聞いていた。
心の底から疑問に思って、答えが欲しかったからだ。知識と知恵と言葉に飢えていた。
しかし何もかも軽くあしらわれ、その理不尽さに、何かを求めても届かない無力さに、俺は初めて消えたくなった。
三歳と半年くらいだったと思う。
日に日に、幼稚園に行きたくなくなっていき、俺は喘息と心臓病を患った。
喘息は生まれて以来ずっとだったが、顕著に酷くなっていった。
発作が起きると息が出来ない。
気管が狭まり、苦しくて肩が上がったり下がったり。ヒュー、ヒュー、とまるで笛の高い音のような声を出しながらかろうじて呼吸をする。
病院に行き、吸入器(ネブライザー)を口に当てて、腕には点滴をし、落ち着くまで入院。
退院の許可が出ても、帰宅途中に発作がぶり返して病院にトンボ帰りということもあった。
今思えば家が嫌いだったからかもしれない。
このまま死んでしまえばチャトランに会えるかもしれない。
それも悪くないな。
なんて思っていたら、母方の祖父母がお見舞いに来てくれた。
時々家に来てくれていたが、まともに会うのはこれが初めての記憶だった。
二人とも泣いていた。
こんなに小さいのにこんな目にあって。
管だらけで、可哀想に。
俺が代わりになれたらいいのになぁ。
つらいだろうに。
人は、誰かが死んだ時涙を流す。
だが故人を偲んで泣くのではなく、その人を失って可哀想な自分に対して泣くのだ。
悲しみもそう。
他人は他人でしかないことを本能的に人間は分かっているから、自分以外に興味がないから、自分のこと以外で涙は流さない。
そう本に書いてあった。
だけど、この人たちは何で俺を撫でながら泣いているのだろう。
俺の姿を見てつらいのかな。
俺の存在は邪魔でしかないんだろうな。
ごめんね、じいちゃんばあちゃん。
意識が朦朧としている中、ひたすらに心の中で謝っていた。
謝りながら泣いていた。
俺の手に、頭に触れてくれている手の温かさに安心して、自然と泣いていた。
これは何の涙なんだろう。
変なの。
そしてそんな入退院を繰り返しながら幼稚園に行って、帰ってきたある日、自宅の敷地内に新品のコンパクトな焼却炉が新しく置かれていた。
父親が買ってきたらしい。
大きなゴミをさっと燃やして、すぐに処分できるからだそうだ。
便利だね、とだけ言っておいた。
この時、壊していればよかった。
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