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28歳のポルトガル

旅がきっかけとなり、人生の転機となるような決断をしたことがある。
28 歳で訪れたポルトガルだ。


ポルトガルには、イギリスに住む友人とその夫、九州に住む友人と私という4人で訪れた。


首都リスボンの宿に集合した私たちは、まずはロカ岬へ。

地球がまるいことなど誰からも信じてもらえなかったころ、「地の果て」と呼ばれていた場所、ヨーロッパ大陸の西の端だ。

切り立った崖には、「ここに地終わり海始まる」と刻まれた大きな石碑がたつ。荒い波が打ち寄せる崖からは、曇ったり晴れたりを繰り返す空、そして大西洋だけが広がり、水平線がぼんやりとかすむ。まさに地の果てと呼ぶにふさわしい荒涼とした場所だった。

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続いて訪れたのはポルト。川沿いに細長く続く古い町だ。


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川岸の斜面にへばりつくように、茶色い屋根がびっしりと連なる。紫の花を咲かせたツタのような植物が家々の壁にはりついている。

ポルトワインの醸造所が多く立ち並ぶこの町で、私たちはいくつかの醸造所を見学し、私はそこで生まれて初めて、とろりと甘くて重いポルトワインを飲んだ。

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そしてナザレへ。

季節はずれの海辺のリゾート地は閑散としていて、地元のお年寄りの姿だけがあった。カラフルなブラウスに短めのスカートをはいた民族衣装のおばあさんたちの中に、黒ずくめのおばあさん。夫を亡くした女性は、黒い服を着る風習があるという。

何を観光したのかはもうよく覚えていないのだが、おばあさんたちの姿だけは強く印象に残っている。

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28歳で独身だった私は、そのころ、ずっと悩んでいた。新卒でそれなりに希望していた会社に入って、忙しく働いていたものの、一生この仕事をここで続けてよいのだろうか?と。


いま思うと、何をそんなにあせっていたのか、と自分で自分をなぐさめたくなるが、あの頃は30歳という年齢で何かを失ってしまうかのように、「30までに何か決めなければならない」、という自分で課したプレッシャーに、勝手に苦しんでいたのだと思う。


そんな中で訪れたポルトガル。


栄光の時代はすでに過ぎ去り、アズレージョと呼ばれる美しい青いタイルの壁も、荘厳な教会も、路面電車の通る狭い道も、どこもかしこも古びていて、言うならば「切なさ」が漂う町。

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悩める自分になんとぴったりなのだろうと思いながら旅をしていた。

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そして再びリスボンに戻り、今回の旅のハイライト、ポルトガル伝統菓子づくりの体験に向かった。


いまから20年近く前のこと、インターネットがそこまで普及していなかったため、「ポルトガル伝統菓子づくり体験」は、日本から国際電話で申し込みをしていた。

体験会を行っていたのは、お菓子作りを学ぶためにポルトガルに渡り、現地の男性と結婚して店を開いた日本人女性のTさん。

Tさんは、小柄ながら、エネルギーに満ちあふれた明るい女性だった。

Tさんの店へは、リスボンからフェリーで川を渡って向かった。

実は私は、観光地のナントカ体験にありがちな、おいしいとこどりな簡単なお菓子教室、をイメージしていたのだが、良い意味で裏切られた。私たちは工房に招き入れられ、Tさんの夫でお菓子職人のPさんも加わり、大量の卵を電動ミキサーと泡だて器で、手分けして泡立てることからスタートした。

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そして、「体験」だなんて冗談みたいな、大量のポルトガル菓子を次々と作っていった。

Tさんの教室は「黄色いお菓子の講習会」と銘打っているだけに、すべてのお菓子にふんだんに卵を使う。

生焼けタイプの大きなカステラ、タルト、生地を丸めただけのミニロールケーキなど5~6種類。だが材料は卵に砂糖に小麦粉にバターとほぼ同じ。味も、すべてが「たまご味」。

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ポルトガル人は食に関しては保守的で、「おいしい=昔からよく知っているなじみの味」ということで、似たようなお菓子が古くから残っているのだそうだ。

そんな話に加え、作業しながら、Tさんから「押しかけていってタダ働き」の状態からポルトガルでお菓子修行を始めたこと、新聞社に自分から店を売り込みにいったことなど数々の武勇伝を聞き、そのパワフルさにただ圧倒されていた。

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そしてTさんに「あなたたち何歳?どんな仕事してるの?」などと聞かれるままに話しているうちに、私はいまの状態から抜け出したいと思っていることも話していた。

Tさんは、「何か始めるなら30歳までだと思う」と言った。


お菓子が完成し、店の喫茶スペースで、出来たてのお菓子に加え手作りのサンドイッチまでいただく。

そうしている間にも、次々とお客さんが来てはお菓子を買っていく。入り組んだ住宅街の中にあるにも関わらず、だ。

Tさん店舗内

人気店でありながら、「本気の」お菓子教室を開催しているTさん。

そんなTさんの「何か始めるなら30歳まで」という言葉が、私の背中を押した。

30歳までに何かを始めるなんて言葉は、それまで何度も何度も読んだり聞いたりした。

でも私が突き動かされたのは、大きなことを成し遂げたTさんという女性の言葉だったからだ。


翌日、たくさんのお菓子をスーツケースに詰めて、帰国の途に就いた。
結局、29歳が終わるころ、私は転職した。



住んでいた田舎町から上京したこともあり、自分の人生の大きな転機だったように思う。

もちろん決意の背景にはさまざまあるのだが、ポルトガルで見た風景、そしてTさんの存在が、大きなきっかけだったことは間違いない。

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(text:Noriko/photo:Mihoko,Noriko,Tak)Ⓒelia



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