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2004年、ギリシャの旅

 2004年の夏、私はギリシャにいた。この国を旅するのは三度目だったけれど、真夏を過ごしたのは初めてだった。照りつける太陽に、ペットボトルの水は気づけばぬるくなっていた。

夜中のタクシーで

 その日は帰りが遅くなり、駅からのバスは既に終わっていた。タクシーがなかなか見つからず、少し歩いてみたが、かえって見つからない。でも、ちょうど車を停めた地元の人に、相乗りさせてもらえた。ギリシャではタクシーの相乗りが一般的だと本で読んでいたけれど、実際に経験したのは初めてだった。

 私は助手席に座り、片言のギリシャ語で行き先を説明した。運転手さんに「どこでギリシャ語覚えたの?」と言われ、持ち歩いていたギリシャ語の本を見せた。

 ギリシャ語会話の本を買いあさり、ほんの少しだけカルチャースクールの講座に通ったものの、そう簡単に語学が身につくはずもない。大学生のとき、選択科目でギリシャ語と中国語で迷ったことがあった。あのとき、ギリシャ語を選んでいれば……と後悔した。

 せめて挨拶と数字と、ギリシャ文字の読み方くらいは覚えようと勉強した。そんなわけで、「右」「左」「まっすぐ」くらいは言えたのだ。相乗りした人たちが先に降り、運転手さんが何かと話しかけてくれた。しかし、ほとんど聞き取れないので、想像力で補った。

 どうやら「日本人が金メダルを取った」らしい。金メダル! 2004年のアテネオリンピック、野口みずき選手がマラソンで1位になった日の夜だった。たぶんGoldと英単語も交えてくれたと思う。

 この時まで私はその事実を知らなかった。現地にいながら、というか現地にいたからこそ、日本選手の活躍を知らなかった私は、「見たかった…!!!」と日記に書き残している。

 一つ一つの言葉は理解できなくても、なんとなく言いたいことは通じ合えた。夜中のタクシーで、なんだか不思議な出来事だった。

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(写真は2004年アテネオリンピックでマラソンのゴールが設けられたパナティナイコ・スタジアム。第1回近代オリンピックの競技会場)

マラソン競技ゆかりの地、マラトン

 アテネオリンピックが開かれる年に、ギリシャを旅してみようと思い立った私は、ビザ無しで滞在できる3カ月間、街を巡り、オリンピックゆかりの地も辿った。

 マラソン競技が行われる2カ月以上前、私はスタート地点になるマラトンという街を訪ねた。ガイドブックにはアテネからバスで所要約1時間と書いてあるが、この時は1時間半以上かかった。オリンピックに向けてあちこちで工事が行われていたので、その影響もあったかもしれない。

 バスで隣の席になった女性に、途中で「ここがマラトン?」と尋ねたが違った。彼女が降りる時に伝えてくれたようで、目的地に着くと車掌さんが知らせてくれた。今回のオリンピックのスタート地点は500メートルほど離れた所だと教えてもらったのだが、結局見つけられなかった。

 街の博物館は改装中で、観光客の姿も私の他には見当たらない。街中をうろうろ歩き写真を撮っていると、タクシーの運転手さんに話しかけられた。

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 紀元前490年、ギリシャとペルシアの大軍が戦ったとき、戦場となったのがマラトンだ。ギリシャ軍の勝利を伝えるために走り続けた伝令が、アテネに着き、勝利を伝え終わると息絶えたという伝説が残る。

 この故事にちなみ、世界で初めてのマラソン競技が行われたのが1896年。アテネで開催された近代オリンピックの第1回大会だった。この時優勝したのはギリシャ人選手で、大変な盛り上がりだったという。

 第1回大会のスタート地点周辺も整備中のようで、工事車両が停まっていた。記念碑には1896と年号が刻まれていた。

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 帰りのバスの中から、今回のスタート地点かもしれない場所が見えた。それにしても、マラトンからアテネまで40km以上の道のりを走り抜けるなんて、古代ギリシャの伝令も現代のマラソン選手も、本当にすごい。

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夢に見たギリシャ

 旅立つ前に書いた文章が残っていた。

 「初めてギリシャを旅した後、戻って来てから私は夢にまで見た。再びあの国を訪れることを。紺碧の海面に翻る白い波。水面から聳える切り立った崖。陸地に広がる鮮やかに黄色い一面の花畑。ギリシャが呼んでいるのだと、私は思った。」

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 青い海に黄色い花。初めて旅した春のギリシャで目にしたものだ。今でも覚えている色鮮やかな夢だった。

 当時の私はアルバイトをしながら、「書きたい」という気持ちを抱えてくすぶっていた。30歳が近づき、このままではいけないと焦ってもいた。今読み返すと、ずいぶん気負った文章で気恥ずかしいが、私にとって人生の転機となる旅だった。

 オリンピックの期間にギリシャにいることで、新聞の地方面にコラムを書かせてもらえることになり、私はライターとしての一歩を踏み出した。行き当たりばったりな旅では、数々のハプニングが起こり、たくさんの出会いがあった。

 3カ月なんて日常に追われているとあっという間に過ぎてしまうけれど、この期間は濃密だった。オリンピックが来る度に、過ぎた年月を思う。私にとって、暑くて熱い夏だった。

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(Text & Photos:Shoko) ©️elia

※参照

日本オリンピック委員会 
オリンピックコラム アテネ1896 
アテネオリンピック2004

オリンピックゆかりの地、オリンピアを訪れたときの記事はこちら→雨のオリンピア





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