他者からの攻撃を恐れて先んじて差し出すという姑息な癖。あるいは幻想。
在り方や精神性を高める、ということは
それはすなわち、毎日の暮らしのすみずみを整えるということ
お箸の使い方ひとつ、
トイレットペーパーの取り方ひとつ
他者への声のかけかた
メールの返信のしかた
声の出し方
カバンの置き方
それは、すべてすべてのこと
一個ずつ見ていくと、それはもう寝る前に反省するとかいう時間だけでは
全然足りないな。と思う。
そして日々の刺激の中ですぐに興奮してしまい、波立つ私は
自分の精神性を見つめ直すというタスクをすぐすっとばして
配慮のかけらもない
相手にめちゃくちゃ失礼なことばかり繰り返してる。
・・・・・・・・・・・・・・
ひきつづき、わたしは
「本当の愛に絡みついて癒着しているもの」
それらを外す作業をおこなっている。
人との関わりの中で
すぐに差し出す癖。
自分が生きることを恐れるがあまり
先に何かを差し出そうとする癖。
相手から攻撃されると思い込んで
許してもらおうとしてのことなんだろう。
結局
差し出した裏には
「あなたもどうせ私を攻撃するのでしょう?」という
相手を蔑む私の声がある
愛を信じていないから
先んじて
攻撃されないようにと差し出す癖。
なんて失礼な話なんだろう
本当に愛されている
地球という存在とかもっと大きな存在に
愛されている存在ならば
何も最初から差し出すことはなく
自分の呼吸に耳を澄ませて
自分の呼吸にくつろいだらいいだけのはなし
あたまでわかっていながらにして
なぜ
「頑張らないと愛されない」というビリーフを握りしめて
それから手が離せないのか。
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