【パニックになることで、「思慮深さ」と「他者への配慮」が飛び散っていく。という気づきによる懺悔】
私は、自分の「力量」をしらないまま
ずーっと全速力で 猛烈に 走り回ってきたなあ。と思う。
力量不足に気が付かなかったのは
それを、自分が認めたくなかったからだ。
「力量」。
自分の軸をどこまでしっかり保てるか。
自分の身体をどこまでケアできるか。
相手に「こうしたほうがいい」というアドバイスをするのなら
最後まで、責任もてんのか?という、自分の力の余力。
冷静に、「私、今どれだけ疲れているな」とかを、喜怒哀楽を挟まずに、冷静に判断できてる?か。とかね。
まー、してこなかったですよ。
全然見えてない。自分のこと。
今の私で、この人にアドバイスをした場合、最後まで責任を取れなさそうだ。
だったら、軽口を叩かずにまずは自分を整えよう。
・・・全然、できてなかったですよ!!!!
猛烈に「もう!疲れてるんだから!食べちゃお!」「もー!今週はいっぱい働いたからあの人に会いに行こう!」ってね。
おいおい理論破綻してるわ。
疲れてるんだったら、お風呂にゆっくり浸かって、誰とも会わずに寝てください。
そうそう。疲れてるのに人に会うっていう謎。
疲れてると、私はジャンクフードが食べたくなるのと同じ。
疲れ=やばい=どうにかしないと。これ、パニックだったんだな。
どれだけニュートラルを保てているか確認できる状態で、毎日を淡々を暮らせるか。
自分が喜怒哀楽に振り回されすぎて、周りが嫌な思いをしていないか。
人のこと、大事だったら、どこまで会わずに思い馳れるか。会わずにお役に立てることがないか。
恨みつらみを含まずにね。ただ、「元気かな」「あれからどうなったかな」「笑って暮らせてるかな」って。
今まで本当に数々の方にお会いして、
困っているのだろうと相談にのることもあった。
「ありがとう」とお礼を言われたこともあったけれど
私は相手のお礼の言葉をうのみにして
「本当に役に立っていたのか」、全く見ずに自己満足のプレイをしていたんだとおもう。
ひとみちゃんが言ってくれた言葉に愕然とした。
「周りが感謝してくれたから、できていると思い込んだのではなく、
周りの本心ではないお礼の言葉に気づかず、自分はできていたと盲信しただけです。
どちらかと言えば、相手が貴方に配慮してお礼を言ってくれていただけですよ。人のその場でのお礼や、感謝の気持ちをもって、自分が役に立てたと思い込むことはとても危険なことです。それはいくらでも嘘がつける範囲だからです。」
愕然とした私に彼女は続けた
「相談に乗った後、どれだけ相手の方の人生が好転したか、が効果があったか、役立てたか、自分にその才能があったかを示してくれます。」
・・・
自分が崩れたら、周りの人への影響は、おっきい。
無闇に、人に会うべきじゃなかったなあっておもう。
むしろ人に会いたい時は、誰かに自分がどうにかしてもらいたかったんだ。という真相を隠しながら、「やってあげたい」=「やってあげて満足したい」という承認欲求がかくされていた。
そして同時に恥ずかしいコンテストの20位には入ると思うんだけど
私は割となんでもできる人なんじゃないかって勘違いして
「自分が本当にやるべきこと」を抱えながら「人のために生きる」を並走させられるんじゃないかとおもってきた。
むしろなんなら、私いい人ですので。とおもってやってきたなあ。
恥!!!!!超絶、恥!!!!!!!!
かくれたい!!!!!!!!!!!!!
ちいさいころから さまざまに植え付けられてきて
じぶんにその資質があったり
そうすることで褒められ、成功体験をしたと「おもいこんで」
ひとにやさしくしたり、親切にしたりしてきたのだとおもう。
相手からしたら、まじで、配慮がないし奴、ありがためいわくなはなしだわ。
もう、新種の死に方しそうです。
はずか死。
もし、私、いいことしてる〜
って、悦に入っていらっしゃる方で、
思い当たるひとがいたら、こちらぜひご参考に。
相手にいいことしてるって思っても結構、ありがた迷惑なことあるので
よーく見てみてください。まじで、私が言える口じゃないんですけど・・・。
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