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アラサーが大学に入りなおして公認心理師を目指す理由

多かれ少なかれ「こころ」について考えたことの無い人というのは、いないんじゃないかと思います。
あの人は何を考えているんだろう?
この人の気持ちを動かすにはどうしたらいいんだろう?
自分でも前は思わなかったことを考えるようになったなあ。
とか。
それでも「こころについて考えたことなんてない!」という人だって、あらゆる行動の背景には「こころ」が存在していると考えるのが自然だと考えられる時代で、まったく切り離して生活することはできません。

そんななかで「公認心理師」という資格ができました。いうてももうできて5年くらい?なるけど。
今回はそれの取得を目指している途中の、途中離脱も大いに考えられる私なりの、この資格の意義や目指す理由について書きたいと思います。

というのも以前こんな記事を書きました

簡単に申しますと来年度実習を受けるための試験になんとか通りまして、一安心つく間もなく
今度は「一週間後必着で書類を用意して送ってね」といわれたもんでいろいろ書いたわけです。
そのなかに「公認心理師を目指す理由について」だったか、そういった項目があって、少しかっこつけたりもしたけども私なりの言葉で書きました。
改まって文章にすることもあまりなかったものだから、送る前に写真でも撮っとこうかと思ったんだけど案の定忘れてしまったので
内容を完全に忘れる前にここに残そうという次第です。

そもそもわたしは高校の頃から「ひとのこころ」とか「社会のなかの関係性」というものには興味をもっていて、心理人間学科(英語ではpsychology and human relationshipという風に表現していたと思う)に進学して卒業しているんです
ただ、そのままカウンセリングを専攻・志望できなかった、しなかった理由がだいたい2つあります
「できなかった」という方は、カウンセリング専門の学科というよりは心理・社会・教育が合わさったところだったのもあって、取れるのは人文学の学士であり、臨床心理に進むには別の大学の院を受ける必要があったこと
「しなかった」理由の方が大きいのですが、そのときは「支える」というよりも「分析し理解する」ほうに、「個人の心」よりも「社会と関係性」のほうに関心が寄っていたため、あとは臨床心理で避けて通れない医療や福祉(プラスで司法)という領域を敬遠していて教育や組織というところだけしか見られなかったので、「カウンセリングなんて大層なこと自分にはできない」とすら思っていたかもしれません。

そのまま大学卒業後就職して、通信の大学に編入したのは4年後?だったはず。
その間に見てきたもの経験したことが、それこそわたしを変えたのだと思います
授業を受けて内容が頭に入るか、成功体験とその反対が今後をどう左右するかということ
仕事のパフォーマンスや、そもそも職場に行けるかどうかということ、離職と就職
好きだけじゃどうにもならないこと、信じたり騙されたりしながら、誰かと生きていくこと
周りに心を病んでいる人やその寸前で戦っている人がたくさんいるのに、自分は平気で(平気で?)立っている状況
これらに対して疑問というか「なんとかならないのか?」という意思をどこかに片付けることができませんでした。今も。

要は、
・心理的なことが行動,決定,人生に与える影響
・環境,場所,出会いが心理に与える影響
これがものすごく大きいのではないかと感じるんです。
そしてこの二つは行ったり来たり。
なのに世の中を見ていると、「ひとのこころ」や「自分のこころ」のどちらかまたはどちらともを蔑ろにしているように思うわけです。
体調と同じように、社会からの要求と同じように、自分の気持ちに向き合い・整えることをちゃんと大事にできる世の中になってほしいと思います。

結局、国家資格とは言っても綺麗事では済まないのだとは思ってます。
だけど国がこうして「心理の専門職」をつくるということは、その人たちに世の中をどうにかしてほしいという意思の表れなはずなんです。
だから「心の健康」という方向性から世の中をどうにかしたいと思うわたしにとっては、どうしてもそこに行きついてしまうという目標が、公認心理師です。

心理について勉強するだけなら、本を買って読めばいいし、なんなら買わなくても動画とかで学べる時代です。
わざわざ実習したり院に行ったりしなくても取れる心理・カウンセリング系の資格はボロボロあります。
そんな社会で「専門職」に求められるのは、その人が見聞きして感じてきたこと、体験し考えてきたこと、経験値ではないか。
誰でもこころが気になっていて、知りたいからこそ、その経験値をもって皆がこころとどう向き合えばいいのかを導ける存在が重要なんじゃないか。
そのための実習や研究だと思います。

日頃進学や就職の支援をしていて思うのは、
ただ生きるだけでも一人分の人生は知れるけど
こうして人と出会い向き合うことでたくさんの人生のおすそ分けをもらえること
それが自分の仕事としての説得力、自信になると思いました。

だから結局今のままでもできることはあるわけだし、数年後わたしは諦めてるかもしれないけど…
またこの想いに立ち返られる限りは、(あと資金との戦いに負けない限りは)がんばっていきたいと思います。

読んでくれてありがとうございました!


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