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#13 TEC-GYM(13章全文掲載)

 須長祐二の携帯が鳴った。画面を見なくても誰からのPINEメッセージかはわかる。彼女のアユミからだ。今日も夕食前の18時ピッタリの時間だった。

 「今日もしっかり筋トレやったかな?」

 可愛らしいペンギンのキャラクターが腕立て伏せをしているスタンプのあとに、短いメッセージが添えられている。祐二は「バッチリ!」と文章を打ち、親指を立てたスタンプを返した。PINEはすぐさま既読になり、ものの10秒も経たないうちに、「偉い!」の言葉とともに、ハートマークが並んでいた。祐二も時間をかけることなく、ハートマークを添えた「ありがとう」を返信した。

 本当のことを言うと、今日は筋トレをしていない。「会いたい」を連呼する彼女を、トレーニングを理由に説得したにも拘らず、家に帰ってからは友達とオンラインのバトルロイヤルゲームに明け暮れた。1時間だけと思って始めたが、再び時計に目をやったのは、アユミからのPINEメッセージが届いた時だった。


 「必ずメンターをつけるようにして下さい。メンターとは、助言者の意味です。人は自分のことを、なかなか客観視できません。いつも接している身近な人で構いません。悩みごとの相談から、今の自分の行動に対するアドバイスをもらうことまで、信頼して相談できる相手を選んでください。メンターをつけることで、皆さんの成長に必ずプラスになります」

 Cyber FCから送られてくる最初の動画には、中岡のビデオメッセージが添付されていた。祐二は身近に相談できる相手が思い浮かばなかったため、軽い気持ちで彼女のアユミに話をした。アユミは思いのほか乗り気で、「ユウジのためなら」と意気込んだ。その依頼が判断ミスだったと、祐二が後悔するまでに、あまり時間は必要なかった。
 
 それからというもの、事あるごとに祐二の携帯が鳴った。内容はいつも同じようなもので、その大半が「会いたい」を占めるが、自主練や筋トレ後の確認メッセージを欠かすことはなかった。「プロ選手を目指す彼氏を支えている」という自負が、アユミを高揚させた。一方で、「会いたい」と言って相手の時間を削ってしまう矛盾については、一切気づいていない様子だった。

 正直言って、重い。祐二はそんなことを想うようになっていた。アユミと付き合いだしたのも、2か月前に告白されたことがきっかけだった。彼女が欲しかったわけでもないが、いるにこしたことはない。特別可愛いというわけでもないが、可愛くないわけでもない。ならば付き合ってもいいか。その程度のことで始まった関係だった。

 Cyber FCに参加したのも、「応援される自分」を楽しんでいたからかもしれない。金丸のMETUBEでの会見は、アユミと一緒に見た。どこにでもいるミーハーサッカーファンのアユミは、「元日本代表選手の会見」という文字に踊らされ、大して中身も理解していないのに、祐二に観るように薦めてきた。会見後に内容を把握したであろうアユミは、「プロを目指せるチャンスじゃん!」と眼を開いて言った。どこにそんな根拠があったのか、祐二には疑問だったが、アユミの勢いに押され、しぶしぶ応募することになった。

 サッカー部に入部しなかったことも、「比較」や「競争」に巻き込まれたくないからだ。もちろん、アユミには口が裂けても言えない。彼女は「プロ選手を目指している彼氏」が好きなのだ。定期的に、部活に入っていない友達とフットサルをし、家ではゲームに熱中する。そんな普通の高校生だと知ったら、気持ちも冷めてしまうだろう。

 でも、そろそろ本性を明かしてもいいのかもしれない。自分はどこにでもいる「普通の人間」なのだ。口ではプロになりたいと言ってはいるが、本当は自分自身が「プロを目指している自分」のことが誰よりも好きなだけなのだ。エスカレートするアユミの態度に、すべてを投げ出したくなってきている。

 参加したCyber FCも、実態は、変わった奴らの集まりだった。プライドばかりでパスも受けられないスペイン帰りの選手や、バスケットボール出身のゴールキーパー、直向きだが影響力のない青春野郎に、監督はチームの基準すら決められない人だ。「基準を決めるのは監督じゃないか?」と聞いたら、「それはお前の中の監督という価値観だ」と言われた。不快でたまらない。

 ただ、この気持ちはなんだろう。頭の中では否定しても、Cyber FCの体験を思い出すと、少しだけ気持ちが高ぶり、身体に緊張感が宿るのが自分自身でもわかる。俺はいったい何がしたくて、どうなりたいのか。言葉にできない思いだけが積み重なっていく。祐二は、もやもやした気持ちを紛らわせるために、再びゲームの画面を開いた。


 学校から帰ると、祐二は居間でタブレットのスイッチを入れ、床に並行になるように置いた。筋トレ動画がアップロードされるのはそろそろだ。二週間前、初めてアップロードされた映像で、筋トレについての概要が説明された。映像は、中岡監督が内容を説明し、萩中コーチが実演をする形で進む。

 「最初の2週間は自重でのトレーニングがメインのため、自宅や公園など、スペースを見つけて行って下さい。2週間を過ぎたら、ジムに通ってもらいます。ジムに関してはCyber FCにスポンサードしていただいている、everytimeフィットネスさんにご協力いただいています。皆さんのお住まいを調べると、遠くても10km圏内にeverytimeフィットネスさんがあることがわかっています。正規のお値段よりも格安で使用させていただける契約です。もちろん、残りの会費はこちらで負担致します。ただし、このことに関しては他言がないようにご注意下さい」

 トレーニングジムを無料で使えることに気持ちは高まった。ジムに通うというだけで、少し大人になった気がするからだ。おまけに、最新式のAIパーソナルトレーニングジムだ。マシンが一人ひとりの筋力量や筋肉の可動域を測定し、最適な負荷量を提案してくれる。さらに、高度なセンサーが搭載されたカメラによる画像認識技術で、どんな動作をしているかを認識し、フィードバックをもらうことができる。トレーナーを横につける必要がないのだ。

 「次の2週間に進んだら、ジムでトレーニングを始めてもらいます。最初の6週間は、筋肥大を目的としたトレーニングです。デッドリフト、スクワット、ベンチプレス、フロントプレスを行い、最後に懸垂をします。重量は最大反復回数の65~80%、回数は8~12回、レストは1~2分、頻度は週2~3で行って下さい。AIパーソナルマシンのデータでもおおよそ同じような内容が出てくると思います。次の4週間は、最大筋力を向上させる目的で行います。重量は最大反復回数、1RMと言いますが、1RMの90%の重量、回数は3~5回、レストは3~5分、頻度は週2~3回で先ほどのメニューを行って下さい。大会まで1か月に迫ったあたりから、負荷量をコントロールした別のメニューを提供します」

 詳細なメニューとともに、上下動のランニングに関する体力や、試合中のスプリントに課題がある祐二には、中岡から個別のメニューが提示された。

 「サッカーで必要な持久力を間欠的高強度持久力と言います。有酸素も無酸素もどちらのエネルギー系も使用し、ダッシュとランニングを繰り返しながら90分間動き続けられることが目標です。この能力が高まれば、祐二くんの秘めたる才能が発揮されます。それらを向上させるトレーニングとしては、Repeated Sprint Training、つまり、反復スプリントトレーニングが必要です。一回の運動が6秒以内のスプリント、直線でいうと40m以内ですね、40mスプリントは20mで折り返しを6本×3セット、本数間休息20秒でセット間休息は4分。20mスプリントは7本×3セット、本数間休息10秒でセット間休息3分を継続して行ってください。もちろん、ボールのトレーニングは欠かさずに、オフの翌日は行わないようにしながら、能力を向上させていきましょう」

 ここまで専門的に、詳細に、自分の身体のことについて教わったことも考えたことも、祐二にとっては初めてのことだった。「自分の秘めたる才能?」そんなものが本当にあるのかと、疑わしい気持ちを持ちながらも、悪い気はしなかった。明日からついにジム通いだ。惰性で2週間続けてきたが、ジムに通えばモチベーションはきっと維持されるだろう。

 そんなことを考えていた時だった。祐二の耳にPINEの通知音が届き、そこに表示されたメッセージにはアユミからの短い言葉が書かれていた。


 
 「嘘だったの?」



 ファミレスの向かいに座ったアユミは、下を向いたままだった。どうやら、先日のオンラインゲームのメンバーの誰かから情報が洩れ、会う約束を破ってバトルロイヤルに興じていたことがばれたらしい。何度か謝罪の言葉は口にしたが、あまり反応はなく、黙ったきりだ。祐二は溜まっていた気持ちを吐き出すように言葉を並べた。


 「あのさぁ、自分が嘘ついててこんなこと言える立場じゃないんだけど、正直言って、重いんだよね」
 「えっ?」アユミは驚いて顔を上げた。
 「なんつーかさ、ありがためいわくっつーか、プレッシャーっつーか」
 「なんで?私はユウジに頑張ってほしくて応援してただけなのに?何が悪かったの?教えてよ、直すから!」
 「直すとかじゃないんだよ。考え方の違いだから。だから、友達に戻ろ?」
 「そんな・・・」


 あまりに身勝手な祐二の言葉に傷ついたアユミは、もう一度黙って下を向いた。その目からは大粒の涙が落ちていることが、祐二の位置からでもわかった。


 「あー、めんどくせぇ」 

 どうやって話を切り上げて帰ってきたのかは、ハッキリ覚えていない。ただ、晴れて自由の身になったこと、そして、明日から始まるジムでのトレーニングに心が躍った。


 「新しい出会いでもあればいいな」


 
 祐二のやましい心とは対照的に、ジムの雰囲気は無機質なものだった。各々がワイヤレスイヤホンを装着したまま、マシンを使って己と対峙している。とても他人に話しかけられるような空気ではない。トレーナーがいないということは、それに伴う会話もない。施設内に響くのは、空調や機械音、マシンを動かす音と、身体データを通知するアナウンス音だけだ。


 とんでもないところに来てしまったな。祐二は焦りを感じた。中岡に指定された通りのメニューを一通りこなす。思っていたよりも、軽くこなせた。これなら明日以降負荷をもう少し上げてもいいかもしれない。


 変化が訪れたのは、5日目を過ぎたあたりだった。ジムに向かうために自転車にまたがる。足が重い。筋肉痛のそれとは違う、気持ちからくる重さだった。行きたくない。ゲームをしていたい。


 祐二は深いため息をひとつ吐き、家の中へと戻った。部屋に戻り、ベッドに横たわるころには、不思議とゲームがしたいという気持ちも薄れていることに気がついた。あれ?なんで今日はジムに行かないんだろう?


 次の日も、祐二の気持ちの重さは変わらなかった。「筋トレして何になる?自分はプロになんかなれない」そんな考えが頭の中を巡り、暗示のような言葉となって、全身にまとわりついた。


 「そういえば、あれ以来だっけ、こんなにもやる気がなくなったのは」


 学校で1度だけすれ違ったアユミは、目線を逸らして足早に歩いていった。無理しちゃって。そう思ったが、祐二の視線は遠くなっていくアユミの背中を追いかけていた。


 「あれ?もしかして、俺、気にしちゃってる?あんな重たい女のこと?」


 そんなはずはない、と何度も自分に言い聞かせてみる。しかし、言葉を唱えれば唱えるほど、余計に彼女の顔が浮かんできてしまう。一体俺は何をやっているんだろう。


 俺は本当に身勝手だ。自分の時間を犠牲にしてまで、相手に尽くそうとする人を、「重い」という一言で突き放してしまった。そんな彼女に、もう一度会いたくなっている自分がいる。なんで今までは頑張れたのか。もしかしたら彼女のお節介があったからではないのか。目標を見失っていた自分に、もう一度頑張るきっかけを与えてくれた。彼女がいなければ、Cyber FCの存在を知ることもなかった。


 祐二はようやく理解した。人は、誰かのためじゃないと最後の最後は頑張れないのだ。


 取り返しのつかないことをしてしまった。アユミは許してくれるだろうか。


 短いPINEのメッセージを送る。「もう一度会えないかな?」

 既読にならない。

 1時間経って、ようやく既読がつく。

 「何勝手なこと言ってんの?もう二度と連絡してこないで」

 「心から謝りたいんだ。もう一度会ってくれない?」

 それから二度と、既読がつくことはなかった。


 「ねぇ、sari、彼女との関係の戻し方を教えてよ 」


 「残念ですが、そのお手伝いはできません」


# 14  AI Hospital   https://note.com/eleven_g_2020/n/n5fb99a59143d


【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11

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