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#14 AI Hospital(14章全文掲載)

「緑が眩しい」

 こんなことを思ったのは初めてだ。これまで感じたことのない透き通った気持ち。まるで自分の心が景色の中に溶けていくようだ。淀みのない緑の先には、互いに寄り添うように重なりあう二つの山が目に入った。なぜだかはわからないが、拓真にはそれが金丸と中岡の姿のように映った。

 真言寺駅の改札を出ると、並木道に沿って白のワンボックスカーが停車してあった。リアガラスに「FC MARUGAME」のステッカーが貼ってあることが、ここからでも窺えた。間違いない、萩中が迎えに来てくれている。

 ワンボックスカーに近づき、助手席側から中を覗く。運転席には誰もいない。どこにいるのかと辺りを見回そうとしたその時だった。拓真の頬に冷たいものが当たるのがわかった。突然のことなので、何が起こったかはわからなかったが、それを行っているのが萩中だということだけはわかった。

 「ビックリした?県外から知り合いが来たら金丸さんがいつもやるやつだよ」そういって笑いながら、冷たい缶コーヒーを差し出してきた。拓真は笑顔を返し、「やられちゃいました」と言った。

 ワンボックスカー特有の車高の高さに戸惑いながらも、グリップを掴みながら勢いをつけると、案外楽に乗り込むことができた。まだ4月だというのに、車内は冷房が効いていた。恐らく、練習後にそのまま迎えに来てくれた萩中が、暑いと感じているのだ。

 「香川は初めて?東京からどれぐらいかかったの?」

 取り留めもない会話が続き、拓真は質問されるままに答えた。萩中は本当に話しやすい。些細なことにも興味を持ってくれ、うまくこちらの話を引き出してくれるので、ついついのせられて話してしまう。

 「初めての香川県のイメージは、緑色ですね。緑が眩しく感じたの、初めてです」
 「すごい感性だね。緑が眩しいなんて表現なかなか出ないよ」
 「いえ、そんな。でもそれも、Cyber FCの皆さんのおかげなんです。Cyber FCに関わるようになってから、自分の考えていることとか、思っていることが言葉にできるようになってきました」
 「そうなんだ?それはすごいことだね。でも、それわかるなぁ。僕も金丸さんや中岡さんと一緒にいることで、頭も心も研ぎ澄まされていく感覚がある」
 「萩中さんもそうなんですか?やっぱり、あのお二方が発してる気みたいなものは尋常じゃないですね。オーラっていうか。変なこと言うようですけど、改札出て正面に見えた丸っこい二つの山が、金丸さんと中岡さんに見えました」
 「えっ?それ、中岡さんも前に言ってたよ?拓真くん、本当にすごい感性だね」
 「本当ですか?なんか嬉しいですね」
 「逆に中岡さんも喜ぶと思うよ。そういえば、お昼まだだよね?もちろん、うどんでいいよね?」
 「ぜひお願いします!」

 今回の拓真の来訪には、2つの目的があった。1つ目は、プレーの評価だ。合宿から2か月が経ち、リモートトレーニングを通じてプレーが変化しているのか、客観的な意見が欲しいと思った。
 もう1つは、金丸からの提案を受けてのことだ。お互いのために、会っておいた方がいい人物がいるということのようだ。
 「今のお前が求めていることの答えに、そいつとの会話でたどりつけるかもしれない」と短いメッセージが送られてきた。

 拓真はその短いメッセージに対し、深く意味を聞こうとはしなかった。ここに来て自分の目と心で向き合えば、必ず何かが掴める。金丸の言葉を信じて、静岡駅から新幹線に乗ったのだ。

 そして、今はこうして萩中と向かい合い、「手打ちうどん小川製麺所」でうどんを啜っている。不思議な気持ちだ。ちょっとした気持ちの変化や、ふとした行動が、その後の展開を大きく変える。思い切って相談して、提案してもらったことを即断即決しなければ、この美味しいうどんの味さえ知ることもなかったのだ。

 うどんの味もさることながら、決してメカニカルではない、一連のうどん作りの工程に、目を奪われていた。自分の周囲がいかにオートメーション化しようとも、こうした風景は残っていってほしいな、と、拓真は強く思い、もう一度勢いよくうどんを啜った。


 「ごちそうさまでした。こんな美味しいうどん食べたの、初めてです」
 「それは良かった。ここのうどんんは特別だからね。大袈裟かもしれないけど、香川県の中でも一番美味しいと思うよ。じゃあ、行こうか」

 そういって萩中は、駐車場とは違う道へと歩き始めた。

 「あれ?駐車場こっちじゃなかったでしたっけ?」
 「拓真くん、金丸さんから聞いてるよね?会っておいた方がいい人がいるって?」
 「はい・・・」
 「あそこ、あそこ」

 萩中が指さした方向には、大きな病院が見えた。「香川県立総合病院」という大きな文字の方向に歩いていく背中を、拓真は慌てて追いかけた。


 正面口の自動ドアを通り、総合受付が見えた。簡易ではあるが、AI医療機器である「YDx-DI」が全国のドラッグストア内に設置されて以降、医療の状況は一変した。椅子に座り、網膜の写真を撮影するだけで、糖尿病などの初期症状を診断することができる。疾病疑いがある人や、希望者は、医師の立ち合いのもと、ドラッグストア駐車場に停められた総合検診車の中で指先から採血すれば、より高度なAI医療機器のもと、疾病の有無を判別することができる。初期症状であれば、そのままドラッグストアで医薬品が受け取れる仕組みだ。

 日本の財政を圧迫していた国民医療費に歯止めがかかった一方で、町の診療所が激減した。AI診断の精度が上がり、人々がAI医療機器を信頼しはじめた結果、町医者に頼る必要がなくなったのだ。地方では総合病院の一人勝ちの様相を呈したが、元来の「疑い」を持った患者が紹介状を握り締めて訪ねてくる機会が減り、結果的に経営を苦しめていた。

 四国で一番大きい総合病院であるらしいが、総合受付の周囲は閑散としている。自動会計アプリの使用方法がわからず、大きな声で受付の係と話をする高齢者が目立ってしまうほどだ。

 それでも、入院患者は後を絶たないのだという。「知り合いに聞いた話だけど」と前置きし、萩中が話してくれたのは、近年さらに増加傾向にある大腸がんや胃がんのことだった。

 「スポーツ選手も同じだけど、食生活って本当に大事だと思う。よく中岡さんが話をしてくれるんだけど、食べた食べ物って、半分以上は身体の中で燃やされることなく、体の隅々まで溶け込んで、自分の一部に成り代わるみたいなんだ。自動車に例えると、注いだガソリンがタイヤの一部になったり、座席の一部になったりするようにね。絶え間ない合成と分解によって、食べ物の分子と自分の体の中は交換されている。だから、食生活の乱れは、身体の乱れに繋がるんだよ、って」

 拓真の心に残っているある言葉が思い出された。

「変わらないために、変わり続ける」

 METUBE動画の最初の配信の時にあった、中岡の言葉だ。あの時はまったく意味のわからない言葉だったが、拓真の心には妙に引っ掛かった。萩中の話を聴いて、なぜだかこの言葉を思い出した。今でも正確に意味がわかるわけではないが、何か中岡の考えの奥にあるものに触れられたような、そんな感覚を覚えた。

 「何かが一つに繋がっていっている気がする。そう思えただけでも、ここに来られて良かったな」
 
 拓真が心の中でそう呟いたとき、後ろから肩を叩かれた。驚いて振り返ると、そこには笑顔で佇む金丸の姿があった。

 「金丸さん!どうしてここに?グラウンドでお会いできるものだと思っていました」
 「だから言ったろ?会わせたい奴がいるって。まずは、ようこそ香川県に」
 
 そういって握手を求められたが、拓真は依然として不思議な感情が拭えなかった。

 「病院に会わせたい人がいるってどういうことだ?」

 エレベーターに乗り込んだあとも、金丸は「着いたらわかる」と言うばかりで、詳細を話そうとしなかった。

 8階に到着した。スタッフステーションが一望できる広々とした空間だ。萩中が受付表に名前、到着時刻、そして面会の目的を記した。看護師から、806号室へと案内された。スタッフステーションから廊下を進んだ突き当りの部屋らしい。奥まで進み、金丸がスライドドアを開けて言った。
 「ヒマリ、拓真を連れてきたぞ」

 拓真が病室に入ると、華奢な女の子が目に飛び込んできた。陶器のような白い肌に、ハッキリとした目鼻立ちの、誰もが「美人」と形容しそうな容姿だ。目が合った瞬間に柔らかい笑顔を向けられ、拓真は一瞬ドキッと胸を打つのが自分でもわかった。

 「初めまして。山本日葵です。金丸さんからお話は伺っています。拓真くんですよね?」
 「初めまして。ごめんなさい、僕は逆にお話を全然伺っていなくて・・・」
 そう拓真が言った瞬間に、日葵は口を真一文字に結んで金丸を上目遣いで見た。

 金丸は、「その方が展開がおもしろいと思って」とばつが悪そうに言った。しかしながら、拓真が気になったのは、二人のやり取りではなかった。

口を開けたまま拓真が見つめた先は、日葵のベッド脇に置かれたパソコンの画面に映る、Cyber FCの試合映像だった。


「驚いた?」

 日葵が今度は無邪気な笑顔で拓真に訊いた。

 「実は全部見てたんだよね。町田大学との試合も、みんなのVRトレーニングの進捗も」
 「えっ?」

 拓真は驚きの声をあげながら、パソコンの画面から目を離し、日葵の方を見た。

 「日葵は俺が香川県に作ったFC MARUGAMEの学生コーチだった。年齢はお前と同じ、高校2年生だよ。3か月前に血液の病気になってしまって、ここに入院してる。身体は動かせるから、入院中に何かやれることはないかって日葵に訊かれてね。映像分析も得意だし、Cyber FCのプロジェクトの一部を遠隔で動かしてもらうことにしたんだ」

 金丸は丁寧に拓真に説明をしたが、拓真はうまく言葉を理解できずにいた。

 「驚いてしまって、色々わからないことがあるんですが・・・高校2年生でコーチ?Cyber FCを遠隔で?」
 「驚くのも仕方ないよ。初めて話す人はだいたいみんな同じリアクションだから」日葵が微笑みながら拓真の方を見た。
 「生まれつき、虚弱体質で、運動制限があったんだ。今回みたいに、ずっと入退院を繰り返してる。兄の影響でサッカーを見始めたんだけど、プレーはしたことないの。兄のプレーを見たり、テレビでJPリーグや海外の試合を見ているうちに、サッカーの世界で働きたいなと思って。ひょんなことで金丸さんと出会って話をしたら、うちで指導の勉強をしないか、って言ってくださって」
 「日葵に初めて会ったとき、ピンときたんだ。この子なら、人の心を動かせる指導者になれるとね。自分の気持ちや身体と向き合ってきた分、人の感情の揺れや言葉に対しても物凄く繊細なんだ。それは指導者にとって大切な能力だ。勉強で身につくものじゃない」
 「そうやって金丸さんが言ってくださるもんだから、私もその気になっちゃってね。FC MARUGAMEのアシスタントコーチをやりながら、中岡さんに分析や学問を教わっているの」
 「今はオンラインで栄養やコーチングの講座も受けている。午前中には英会話のオンラインレッスンも受けていて、俺は脱帽したよ。どこまで努力家なんだって」
 「身体が弱い分、何かで強みを持たないとね。もちろん、まだまだ強みって言えるほどのものは何も持ってないけど」
 日葵がまた無邪気に笑うものだから、拓真はふとここが病院だということを忘れてしまいそうだった。どこまでも努力家で前向きな日葵に、拓真の心は奪われていった。
 
 「すごいですね。体が大変な状態なのに、こんなにも努力するって。僕の周囲に、こんなにも将来を考えて努力を重ねている人、見たことないです。自分の強みや弱みを自分で理解して、芯を持って努力してる人は」
 「それを感じてほしくて、俺はお前をここに呼んだんだよ」金丸がニッコリ笑って拓真の方を見た。
 「えっ?」拓真は驚き、金丸の方を見返す。隣では日葵が優しく微笑んでいた。

 「今までのお前は、努力のベクトルが違っていたんだ。言い換えると、人に強いられたことを、懐疑的に思いながらも、その素直さゆえに受け入れて、一生懸命取り組んできたんだと思う。試合中のスプリントの数、首振りの回数、どれをとっても努力のあとが覗える。それでもユースに昇格ができなかった。そこに相当劣等感を持っただろう。しかし、お前は変化した。身長も伸び、考え方も変化してきた。現にこうして自分の足でここに来ている。もともと持っていたお前の良い感性に、色んなものがやっと追いついてきてるんだよ。だから、これからは、お前の持っているその感性に従って、自分で努力のベクトルを決めていけばいい。そうすれば、お前は間違いなく日本を代表するプレイヤーになれる」

 「金丸さんがよく私に言うの。論理的に考えられたり、知識が豊富なことは大切だ。でも、知識なんてものはCoocleに敵わないし、論理的に考えられたって、説明が巧くなったり、解答に近づけるだけだって。でも、感性は何歳になっても売り切れない。自分の経験や思考に裏打ちされて、実体が伴っているって。曖昧な言葉だけど、曖昧さの中にしか創造の可能性はないんだって」

 「拓真、お前はその大事なものを既に持っている。それがお前にとっての何よりの武器だ。だから自信を持っていい。お前が取り組んでいること、お前の行動や発言、どれをとっても、まったく淀みがない、お前の透き通った気持ちから発信していることが俺にはわかる。それは日葵ともたくさん話してきたことだ。そして、やはりおまえはここに来て、日葵と話し、自らそれをキャッチした。あとはお前が自分に必要なものを見極めて、大会本番までに掴めたら、俺はそれでいい」

 「金丸さん、日葵さん、ありがとうございます。俺、ようやく自分がなんでCyber FCのプロジェクトに惹かれたか、わかった気がします。そして、自分に今何が必要で、何をすべきかも。結局は、自分の感性に対して自分が一番懐疑的だったのかもしれません。俺はもう大丈夫です」
 
 拓真の晴れやかな顔は、金丸と日葵を安心させた。

 今後の人生が大きく変わる。拓真にはそんな素敵な予感がした。

【著者プロフィール】

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映画監督を志す小説家。日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップをきっかけにサッカー強豪国の仲間入りを果たすためのアイデアを考え続けている。サッカーとテクノロジーが融合した物語、 11G【イレブンジー】は著者の処女作である。

Twiiter: https://twitter.com/eleven_g_11


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