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足つぼの記録 9日目 7/1

揉んだ箇所


・基本のライン
(有泉~腎臓~尿細管~膀胱~流す)
・足全体
・指の間
・心臓
・肝臓
・足指第2指~5指(目、耳)

気づいたこと


今日は、足指を揉んでいて、目の部分(第2指、第3指)が気になった。
しっかりとむくみがあり、右の第2指(=左目)は
爪にひび割れがあり傷んでいる。
『自分を愛して!』を読んでみよう。
興味関心が上回る時は、面倒だという思考がでる暇もなく、
すんなり本を手に取る自分がいる。

症状から自分の内面を見つめることを教えてくれるこの本を私が読みながら自分に関心を向けることで、
自分だけでなく、いつか誰か他の人も
身体の症状と自分を見ることで、
自分を知る機会になったら嬉しいと思っている。

******

リズ・ブルボー著「自分を愛して!」より
目のトラブル
【感情レベル】
・ある人、ものを失う危険を冒すくらいなら、それよりも目の前で起こっていることを見ない方を選ぶ。自分を守ろうとしている。
全てに目を配ることをやめてしまった。
・自分が見るものを恐れている。その恐れがあるので実際に起こっていることを見ることが出来ず、細部を歪めてみている。細部が見えなければ、
心を乱されることもなく心の平和を維持できるから。
・あなたは自分自身の未来、または愛する人の未来を見ることを恐れています。想像が過剰になり、悪いことが起きるのではないかと恐れている。
もしかすると無気力、怠惰、投げやりによって、未来を見ようとする気がなくなっているかもしれません。
あるいは、人生に失望したために、未来をみたくないと思っているのかもしれません。
・左の眼は女性原理。母親から影響を受けている。
「その人が自分の中に見るもの」。
右の眼は男性原理。父親から影響を受けている。
「その人が自分の外に見るもの。」

【精神的レベル】
目をつぶることによって現実を見なかったとしても、
人生に於いてはなにも変わらないということをそろそろ知らねばなりません。ある人やある物を失うことを恐れて事実をみないようにするよりも、
それにしっかりい直面して事態の進展とともに賢く対処すればいい。
すべてを見てしまったら、あるいは対象をあまりにもはっきりい見てしまったら、あなたは間違うことが出来なくなると考えていませんか?
もしそうだとしたら、そのような思い込みは今ではもうあなたの役にたっていない、ということを知ってください。間違いを恐れていたら、さまざまな経験をすることが出来ません。そして、様々な経験をすることなしに、
私たちは成長することが出来ないのです。
・目は魂の鏡。
目に関するどんなトラブルも非常に大切なメッセージを含んでおり、
あなたが魂の望む方向に進んでいない、本来の人生計画を実現させていない、ということを教えようとしている。
視力が悪くなるのは、あなたの強烈な思い込みのせい。

【ブロックを解明する質問】
①肉体的なレベル
 今、私の体に起こっていることを最も的確にいい表すなら?
 私は、どんな風に感じているだろうか?
→私は、自分から視力を失うよう仕向けた。
 テレビゲームやパソコンを見続け、そこにしか自分の理想とする世界は
 ない、自分にと思い込ませようとした。
 眼鏡があるから物理的には物を見ることが出来る。にも拘わらず
「眼鏡がないと目が見えない」「目が痛む、目が疲れる」と言って
 体験、経験を欲しながら、怖くてそこから逃げようとする自分がいる。

②感情的なレベル
A:この症状があるせいで、私は何をすることが出来なくなっているのだろうか?
→ものごとを見て、感じ、どんな時でも即行動すること。
(眼鏡を探す動作が必要)
B:この症状があるせいで、私はどんな人間になれずにいるのだろうか?
→ありのままを見る、細部をみる人間になれずにいる。

③スピリチュアルなレベル
②Bは、あなたが本来なりたい姿。思い込みがそれを阻害している。
→私は、ありのままのものごと、細部を見ることが出来ない人間だ。
 という思い込み。
 その思い込みを作り出すことで、私のことに無関心な両親に対して、
 自分の感じたことや考えたことを伝えるのを諦めようとした。
 ・幼少期は命の保証のために諦めた。
  大きくなってからは親からの依存から抜けたくなかったために諦めた。
 ・依存関係が愛情だと思い込んでいたため。
 ・母からよく聞いていた私への言葉(カルマ)
 「あなたは賢いね。私が同じ年の頃はそんな難しいことを考えもしなかっ 
 たわ。(これを私が何歳になっても言っていた。)」を真に受けて、
 「私は努力しなくても、体験経験しなくても、ある程度のことは出来るよ 
 うになる」と自分に思い込ませた。
 (「そんなわけないやん!」と突っ込む自分もいたが、早々にいないこと 
  にした。)

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「私は雑だから」。
 現在の私の言葉や行動、物の見方は、雑である。
 解像度が荒い。
 ただ、本来の私はどちらかというと丁寧であると思う。
 私から見て雑だと思う人間が、問題なく生きているように見えたことも何回もあるし、雑な人間の振舞や言動で、こちらが割を食っているように思って腹が立ったこともあった。見下していた。
 そんな、腹を立てている自分、見下す自分をないことにしたくて、
 私は「雑」を自分も取り入れてみて、受け入れることにした。
そしたら「雑」のもつ楽な部分もあり、自分は気が付いたら「丁寧」を忘れ「雑」なふるまいばかりするようになった。
オイ、極端だな~。
中庸ってないんかいな。

 私は、「物事のありのままをみる」ってなんぞや?ということに
 関心を持ちながら生きてみよう。

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