記事一覧
ジョホールの王とよばれた人
10年くらい前にGeocitiesのブログにあった記事なので、今はもう見ることができないのですが、昭和6年10月から12月のできごとについて紹介していたページで「ジョホールの王が養老院に」という記事がありました。
(以下抜粋)
マレー半島のジョホールの王、川島烈之助(73)はかつて星亨、板垣退助や烈士筑陽組の隊長もしており、犬養毅首相とは昔の政友だった。ところが昭和6年12月29日の在京紙朝刊は
こうのとりのゆりかご
ジョホールバルに本部があった歩兵123連隊に、蓮田善明という陸軍中尉がいました。「文藝文化」の発行人であった国文学者の蓮田善明は、三島由紀夫の思想形成に大きな影響を与えた人物として知られています。
そもそも16歳の三島由紀夫の「花ざかりの森」が「文藝文化」に掲載されたきっかけは、同人でもあり蓮田善明の大学の友人だった清水文雄が学習院で教鞭をとっていたからだそうです。
昭和20年8月19日。イス
スレンバンの大貫醫院
すわっジョホール王国か?という記事を見つけて、実際はスレンバンだったというオチなのですが。興味深かったので書き残しておきます。
明治の女医さんには、荻野吟子医師(第一号)を筆頭に矯風会や築地バンドに関わられた方が何人もいらっしゃり、先月から本多銓子医師(第四号)と岡見京子医師(第五号)についてのリサーチをしています。その過程で「マレー・ジョホール国スレンバン」にて大貫せんという女医さんが開業して
コタティンギのからゆきさん
渡辺治水(知頼)のゴム園についてのリサーチのために「南洋の新日本村(大正8)」という本を読みました。ジョホール河沿いにある日本人経営のゴム園について詳しく書かれている本です。
著者の佃光治氏が、船中から同道した吉井信照元大尉とマワイ園の當房氏とコタティンギに着いたのは午後1時頃。中華飯店に飛び込んだものの臭いが嫌だとかで、行った先はコタティンギ唯一の邦人娼家だったそうです。
「親切な日本ムスメ
タイに活動写真を伝えた人
渡辺治水(知頼)という人は、日露戦争勃発時に戦争映画の興行があちこちで大歓迎されているのを知り、吉沢商会(のちの日活)から映写機、フィルム一式を購入し、店員の映写技師まで同伴してタイへ巡業に出かけました。
なぜタイへ?という理由は、タイの初代公使だった稲垣満次郎と個人的に親しかったからとのこと。第一次大戦の勃発によって生ゴムがブームになるまで、10年間もタイで活動写真に関わっていたことになります
イスタナ・ブサールの茶室
「皇太子同妃両殿下(=上皇ご夫妻)からのご贈呈」との伝説がまことしやかに伝えられているイスタナ・ブサールの茶室。恐らく1970(昭和45)年のジョホールご訪問から連想されているのでしょうね。イスタナ・ガーデンが立ち入り禁止になって以来、ますます伝説に磨きがかかりそうなこの茶室。ジョホール日本人会との関わりをご紹介しましょう。
初代の茶室(四阿とも)は、スルタン・イブラヒムのご在位40年と62歳の
徳川夢声と戦跡ドライブ
昭和17年11月5日。「エール」の古関裕而と一緒にNHK派遣の南方慰問団に参加した徳川夢声は、昭南へ到着しました。
ステーションホテルへ投宿。広い部屋に急製の粗末な寝台が並んでいる、とがっかりされましたが、コーヒーは砂糖入れ放題で素晴らしかったらしい。(マライ半島のコーヒーは全部大したものだったとも褒めています)
幸いなことに第25軍の大久保宣伝部長は、東京府立一中の同級生。明るいと思われた前
ジョホール日本人学校の校歌
年が明けたら、早い時期にシンガポールに行こう。そこからクルマで、マレーシアのジョホールに行こう。なぜなら、そこにある「日本人学校」の校歌を作曲したから。私の作品を、赤道の近くの、たくましくひやけしているであろう子供たちが、元気いっぱい、うたう姿を見たいから。(毎日新聞 1998年10月29日)
ジョホール日本人学校の開校は1997年。その年の11月に「ジョホールバルの歓喜」があり、皆で学校名の横
古賀園長とオランウータン
日本人学校の子供たちも、写生会でお世話になっているジョホール動物園。ここでも戦時中には動物たちが殺されたり、餓死してしまったという悲しい出来事がありました。
上野動物園の古賀忠道園長は陸軍獣医少尉として応召し、昭和17年2月末にサイゴンから昭南島へ着任。目的は天皇陛下へ献上する標本の採集です。「思い出の昭南博物館」には、古賀園長が植物園内の官舎に住み、コーナー博士とホルタム元園長の三人で鳥の鳴き
上野動物園への贈り物
昭和9年3月、ジョホールのサルタンよりマレーグマとシマハイエナ各1頭が、上野動物園へ贈られました。上野動物園百年史によれば、マレーグマは初来園だったそうです。
昭和9年3月、サルタンイブラヒムは伏見丸でアメリカへ向かう途中、約二週間を日本で過ごされています。シンガポールでのお見送りぶりはたいそうなもので、船のメインマストには月と星のジョホール王国の旗が翻っていたそうです。この時に天皇陛下より旭日