古賀園長とオランウータン
日本人学校の子供たちも、写生会でお世話になっているジョホール動物園。ここでも戦時中には動物たちが殺されたり、餓死してしまったという悲しい出来事がありました。
上野動物園の古賀忠道園長は陸軍獣医少尉として応召し、昭和17年2月末にサイゴンから昭南島へ着任。目的は天皇陛下へ献上する標本の採集です。「思い出の昭南博物館」には、古賀園長が植物園内の官舎に住み、コーナー博士とホルタム元園長の三人で鳥の鳴きまねをしたり、上野動物園や満州の話をしたりと、一緒に生活していた様子が綴られています。
3月末、第25軍の軍政顧問であった徳川義親侯爵は、伊丹ジョホール司政長官の訪問とサルタンへの拝謁のために古賀園長とコーナー博士、学術研究会議から派遣されていた三人の教授および秘書官を連れて、ジョホールバルへ向かいました。
古賀園長は、サルタンから上野動物園にいただいたマレーグマと縞ハイエナのお礼を申し上げたかったそうですが、あいにくサルタンはご病気で「ルーマニア人のなかなか美人のサルタナに面会できた」と書き残しています。
まず訪れたのはジョホール動物園。動物はほとんどいませんでした。オリは空っぽで扉は空き放し。どろっとした池の中に死んだオットセイが横たわり腐臭を放っている。こんな様子を見て、オランウータンを日本へ送りたいと思っていた古賀園長はショックを受けたようです。それでも研究者。せめて骨だけでもと、埋められた場所を掘り起こして骨を接収し、きれいに洗ったあとで東京へ送ったのでした。
ジョホール動物園のオラウータンは空腹のあまり獰猛になり、世話係を襲うようになったので、ついにエサを与えられなくなり、餓死したそうです。上野動物園へ猛獣処分が伝えられたのは昭和18年8月。日本に帰っていた古賀園長は、応召中ゆえ動物園ではなく世田谷の陸軍獣医学校の教官になっていました。伝えたのは昭南特別市長から東京都長官へ転任した大達茂雄元昭南市長。昭南時代に顔見知りであった大達長官からの指示に、古賀園長はジョホール動物園のオランウータンのことを思い出されたのかしら。
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