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ジョホールの王とよばれた人

10年くらい前にGeocitiesのブログにあった記事なので、今はもう見ることができないのですが、昭和6年10月から12月のできごとについて紹介していたページで「ジョホールの王が養老院に」という記事がありました。

(以下抜粋)
マレー半島のジョホールの王、川島烈之助(73)はかつて星亨、板垣退助や烈士筑陽組の隊長もしており、犬養毅首相とは昔の政友だった。ところが昭和6年12月29日の在京紙朝刊は川島が北豊島郡板橋町の東京市養育院2号男室にいることを報じた。

養老院じゃなく東京市養育院ってのは誤植じゃないか?と思ったんですが。現在の東京都健康長寿医療センターの前身だそうで、初代院長はあの澁澤榮一さんがされていたそうです。

では、なぜ「ジョホールの王」なんだろうか?聞いたことのない名前だし、ググっても写真すら出てこない。そもそも。ジョホール王国にはサルタンがいらしただろうに。

同記事によれば、ジョホールとの関わりは以下の通りです。
明治30(1897)  年 ジョホール王イブラヒムから開拓権を入手
大正2(1912)年 渡航して15万エーカーの土地を開拓
大正5(1917)年 帰国
昭和4(1929)年 7月に政友会の仙波兵庫元衆議院議員が東京市養育院で
         川島を見つけて退院させた
昭和5(1930)年 5月に赤坂で車に轢かれてまた入院

最近、イスタナの初代茶室の寄贈者のリストを見るために入手した文献に、「川島烈之助」の名前が載っていて、冒頭の記事を思い出しました。

それによれば、川島烈之助は、ムアー近くのChohongという場所の99年間の開拓権を、サルタンイブラヒムから許可されたそうです。ってことは。最近まで開拓権は生きていたってことでしょうか?なお。米作および商品作物を目的とした開拓権だったようですね。

「南洋の五十年」では、石原哲之介の失敗についてはちょこっと触れていますが川島についての記述はありません。もっとも川島の渡航は1912年のことで、滞在もたった3年です。それでもジョホール政府の記録には彼の名前が残っていたのですから、まったくありがた山の時鳥でございます。 




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