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「できればやりたくないこと」は山のようにある。手放した時にきづいた小さな成功体験

こんにちは、あいすかです。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
新学期、新生活に突入しましたね。年度末からの疲れはでていませんか?
東洋医学の仕事をしていた亡き父が生前、春になるとよく言っていた言葉があります。
‘’春は風の季節。揺らぎの季節‘’
大気の安定しないとき、人の身体(自律神経)はそれに対して正常に反応し、特に精神面が安定しなくなります。
季節の変わり目、年度の変わり目、コロナ後の静から動への変わり目。
変化が重なり合っている今だからこそ、「3つの‘よ’」を意識してみましょう。
①余白 ②余裕 ③予防
 
そして、深呼吸して、スタートダッシュの時期こそ、ゆっくりペースでいきましょう。
今回もかあちゃんに少しお付き合いくださいませ。

いつも頼まれ事を引きうけてしまう人って損なのか問題

あなたはよく周りの人からお願い事をされる人ですか?
かあちゃんが新卒で入社したての頃は、ちょっとしたコピーや雑用を先輩や上司からお願いされることはありました。それは「新人の仕事」みたいな感じでしたが、現代ではもう紙媒体でなくて電子化されているところがほとんどですから、さすがに新人の雑用=コピー取り、は昔ほどではないかもしれません。

人からお願いされることって、日常生活の中で山のようにあって、誰がやってもできることであったり、頼まれる人と頼んだ人との関係性によって、内容も質も種類も多様です。

ここでは、ちょっとしたお願い、ではなく、自分にとって、精神的にも肉体的にもけっこうヘビーなお願いだとイメージできることをお願いされたとき、引き受けるか否かについて、みなさんに問うてみたいと思います。
1分くらい考えてみて下さい。

(チッチッチッチッチ・‥・・・時計の針( ´艸`)) 

例えば、親友や親戚からお金を貸してほしい(がんばったらどうにかなりそうな金額)と言われたとき、自分ならどうするか。

頼んできた本人はとても困っている。貸さないこともありだけど、絶対に彼、彼女なら返してくれるだろうと信じているから貸す。

いや、友達でもお世話になった血縁の親戚であっても、きちんと自分の中で一定の線引きをして付き合う。相手との関係性をこじらせないためには、断ることも大切だ。

どちらも間違いではありません。

コピー取りのように、ちょっと面倒くさいな、と思えるレベルの頼まれごとなら、一瞬イラっとはしてもやれてしまうもの。
ただ、自分の生活に影響が大きいであろう頼まれごとに関しては、当然熟考しますよね。答えは頼まれた方に託されていて、その人の身体面、精神面、生活面からみて受容できる範囲によって左右される。
その代表的なものの一つに、ボランティアがあります。

ここでは、自ら手を挙げて自発的におこなうものではなく、やるつもりはなかったけど、やれないわけでもない、そう思っている人が、つい頼まれてしまった場合について書いてみたいと思います。

みんながやりたくないことをやれる人って、かっこいい?

代表的なボランティアとして、ここではPTA役員をあげてみたいと思います。
PTAというと、この言葉を聞くだけで拒否反応を示す保護者もいるほどの、小学生の子どもをもつ保護者にとってはボランティア活動の極みだと思っています(笑)。

学校や地域によって活動内容や組織形態は様々です。だからこそ、役員経験者にしか分からないことが山のようにありました。

はい、私も昨年度まで、約2年間、保護者会本部、PTA本部役員をしておりました。自薦ではありません。推薦委員さんから声をかけていただき、引き受けました。
最初に対面でお願いされたとき、「ちょっと考えさせてください」と即答しました。
その場で断ることもできたのですが、なぜ、私は断らなかったのだろう。今になって分かったことがあります。
コロナ禍で、保護者の学校への立ち入りも規制されていました。子どもたちの学校の中のことが全く保護者には分からない。何をしているのかも、学校がどういうところなのかもわからずに過ごしていました。
それなのに、私は毎朝わが子たちを 「いってらっしゃい」 と笑顔で送り出している。
「義務教育である小学校へ行くことは当たり前」と思っていたわけではなく、公立小に不満があったわけでもないのですが、なぜか徐々に不安が募っていったのです。

‘’学校のことをもっと知りたい‘’

それだけが、私がボランティアを2年間も引き受けたモチベーションでした。

先生方のことを信頼していなかったわけではないのです。
保護者の役員問題だけでなく、会社のなかでも同じようなことはあると思います。

労働組合の役員をお願いされるということもあるでしょう(これも私は経験済み)。
企業を超えた同業種の連合会など、さまざまな場面において普段の業務以外でやらなければならない仕事(ボランティア)も山のようにあります。
有償か無償なのかということよりも、経験値(知)として、個人を成長させてくれるものなのかどうか、本業でもプラスになるかどうか、で判断していることが大半だと思うんです。

これは私なりの結果論ですが、やってみないと分からないし、経験した人にしか語れないことがあるんです。
私も、PTA役員を引き受けた後、当初はあまりの業務量の多さに、引き受けるんじゃなかった、と後悔したこともありました。自分の時間は後回しにしてしまうし、「3つの‘よ’」とはかけ離れた生活をしていました。
最初からお断りできる人を(お声がかからない人も)羨ましい、とさえ思っていました。

でも、本部メンバーと校長先生、教頭先生との毎月の会議から、学校の中を知りたいという願望は達成されましたし、先生方の人柄や、保護者の知らないところでの子どもたちの活動や配慮、地域と学校のつながり、さまざまな編み目がくっきりと見えてきて、自分自身がいま生活していることに直結している、と実感できたのです。

メンバーにも恵まれたので、現代に合わせたPTA改革も始められましたし、企業さんとのイベントなど様々なチャレンジもできました。PTAだからできたことを、今になって実感しています。

結果論ではありますが、担任以外の多くの先生方とも顔見知りになりましたし、毎回会議をして議論・相談していた校長先生や教頭先生とも、ざっくばらんに対話できるくらい距離が近くなりました。(ここだけの話、打ち上げも予定しています(笑)。

先日、娘に言われたことがあります。

「お母さん、今年はPTAお疲れ様!人がやりたくないことを引き受けるって、かっこいいよね」

あ、やりたくないこと=PTA役員っていうイメージを、いまの子どもたちも持ってしまっているのか、大人たちがSNS上で流している情報の影響かな、と反省しつつ、私なりに娘にこう答えました。

「やりたくないことも“イメージ”だからね。やった人にしか分からないことがあるから、なんでもそうだけど、経験した人にしか語れないことがあるって、お母さんも勉強したよ。やらないで批判することのほうが、かっこ悪いからね。でも、カラダやココロが悲鳴をあげるようなことはやらない方が良い。まだ、わからない先のことを考えて不安になるより、その後、まわりがハッピーになるか、自分も達成感を味わえるかって、必死に想像するチカラが発揮されるんだよね。その過程も、かっこいいし、クールよね」と。

はふーーん、と言いながら、何やら自分の世界のなかでどうするかを想像していたようでした。

半径3メートルの小さな活動を見守ってもらえていたありがたさに気づく

ここまで、ボランティアのことや「やりたくないこと=イメージ」だったという気づきを書いてきました。これは、あくまでも私の体験から得た知見です。

ボランティアや学校の保護者役員はみんながやった方がいいのよ、というようなことを声高々に発信したいわけでは決してありません。
学校の役員活動もボランティアも、対価をいただく仕事と同様に、人間関係で成り立っています。ご縁があって引き受けたり、活動をしながらやりがいを感じていったり。

でも、正直、奉仕活動は自分の生活の基盤の上に成り立つプラスアルファの活動になるので、体力的にも精神的にも余力がないとできません。
そういう意味でも、私の中ではやり切った感があり、今回、数年つづけてきた全てのボランティア活動をいったんお休みすることに決めました。

すると最近、地域のママ友やご近所さんから、労いの言葉をたくさんいただくようになりました。
あれ?この人だれだろう?っていう方からも声をかけてもらったりありがたいな、と感じる毎日です。
自分がボランティアをやってみて、歴代の人たちがこれまでしてきてくれた活動内容にも気づくことができたりしました。

そう、感謝の循環をまわしていたんだな、と思います。

時代に合わせてやめる、何を残すか選択する、そういった決断力も身についたかもしれません。
多くの情報や思想にさらされている現代ではありますが、自ら身体をつかって経験したことは事実であり、説得力があります。
だからこそ、まずは動いてみる。半径3メートルでいい。誰かの役に立てているかどうかは考えなくていいので、やってみる。そして考える、動く。その繰り返し。

それを見ていてくれる人は本当にいますから。
また、ご意見ご感想などをいただけたら、うれしいです。

では、次のお手紙まで、みなさまお元気でお過ごしください。
 
Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)




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