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自分の意見をはっきり言うのは悪いこと?なぜわたしたちは「個人的な意見ですが」の前置きをしてしまうんだろう

こんにちは、どさんこ大学生RUNAです!

あくまで個人的な意見ですが、映画は家より映画館で見る方が何倍も楽しく見ることができると思っています。

「個人的な意見ですが」
「個人的に」
私は、集団の中で発言する際に、よく使っていますが、みなさんは、このような言葉をつけて話し始めることはありますか?

さまざまな言葉がある中でも、よく使われるこの前置きフレーズが対話を難しくさせるものになっているかもしれない。
今回は、「個人的な意見ですが」について考えていきたいと思います。


「個人的な意見ですが」は使い勝手が良い?

よく「個人的な意見ですが…」を使う場面を見るのは、組織・団体・役割がある人や、社会的な影響力を持った公人と呼ばれる人が話すときだと思います。
私も、普段は学校という集団に属していますが、影響力もないのに、なぜか「私の意見は」ではなく「個人的な意見ですが」と前置きしていることが多い気がします。

なぜ私たちはこんなに「個人的な意見ですが…」を使ってしまうのでしょう?
その理由を3つ考えてみました。

1つ目は、謙虚な姿勢を示せるからです。
「私は〇〇」の方は”自分自身”を強く主張しているように感じます。
一方で「個人的には〇〇」は自分の考えや立場を集団の中の一部の意見として扱うことで、控えめにしているように思います。

2つ目は、一種の接続詞みたいになっており、使いやすいからです。
「しかしながら」や「ところで」の代わりに「個人的な意見ですが…」は使えます。
個人の視点を前の会話とどのようにつなげるかという接続詞的な役割として重宝されているように思います。

3つ目は、”人それぞれ”であり、「あなたを否定するつもりはない」とういうことを強調できるからです。
このパターンで使われることが、多いのではないでしょうか?

「親的に」、「会社的に」、「男性として」、「女性ならば」など何らかのカテゴリーや規範を持ち出すと、相手を傷つける恐れがあったり、また相手に何かを押し付けたりする可能性も出てきます。しかし、「個人的に」を使うことで、相手を否定するような表現を避けることができ、さまざまな人の考え方や主義・信条を尊重していると伝えることができます。

攻撃されないように、決めつけではないと知ってもらうために、周りにも同じ考えを強いているわけではないとわかってもらうために、この前置きを使っていると感じます。

「ワタシ(私)的には…」が2000年の流行語大賞のトップテンとしてノミネートされました。今と同様に当時も、断定をさけるあいまいな表現として、その時代の若者が使う「ぼかし言葉」が多用されていました。

このように、さまざまな意味を含められる「個人的な意見ですが…」からみえてくるのは、”使いやすい"面だけでなく、逆の”使わざるをえない"状況です。

間違うことを恐れる私たち

「それは違う」と間違いを指摘され、ミスを叩かれる。
私たちの世界は、”間違い”や”ルールと違うこと”にとても厳しい。

ちょうど2年前、私は「正しさ」に基づいた「攻撃」や議論について考えていました。

なぜなら、コロナ以降、自分にとって悪い影響がなくても、マナー違反行為を激しく非難するなど、”正しさ”に過剰反応している風潮がよく見られたからです。

中学生の時、なぜか極寒の北海道でタイツをはくのは禁止という変な決まりがありました。
猛吹雪の中でもスカートに靴下で行かなければならない。
冷えによる体調不良になった私は、そのルールの意味が分からず、隠れてタイツをはいて登校して、先生に見つかりました。

先生は「個人的には寒いのは分かっているんだけど、学校の決まり、伝統だからね」と言って、タイツをはくことを許可してくれませんでした。

私は、この対応がとても印象的な記憶として残っています。
先生は「個人的には」という言葉を使って、組織のなかにいながらも私に対して中立的立場を表していました。でも、タイツがダメな理由はただ「学校という世の中のルールに反しているから」という納得できないものだったのです。

去年、「バスの運転手がサービスエリアでカレーを食べている」というクレームがバス会社に入り、そのバス会社で働いている人がクレームの内容を投稿して注目を集めました。
「クレームをつける方がおかしい」、「バスの運転手の飲食が無礼な行為だ」という意見も見られ、論争が起こりました。

また、救急隊がコンビニなどで買い物をすることについて”いろいろな意見”があるとして理解を求めるお願いを文章で投稿したものもありました。

自分にとって迷惑ではなくても、「みなさんどう思いますか?」と、多くの人が規則を決めた側かのように、世の中的に失礼だと捉えられる人や、ルールを守っていない人など、見つけた「間違い」を議題に挙げようとします。

このように少しでも「間違い」を言ってしまったら、容赦ない追求にあうかもしれない。
そう思うと、攻撃されないための予防線として「個人的な意見ですが…」を使う必要が出てくるのです。

「私」=属性とセットで認識される存在

そして、「個人的な意見ですが…」をよく使うのは、「私の意見は…」を伝えても大丈夫だと感じられる場がないからかもしれません。

本来「私は〇〇だと思います」とはっきり言えることは素晴らしいことですよね。しかしそれができない。そもそも対話を試みている場がどのようなものか見たことがないので、どうやって対話を行うのか分からないと思っている人も少なくないと思います。

討論・会議・議論・話し合いは、どれも違いがあります。しかし、対話とそれらの大きな違いは、対等な立場で話ができるかどうかだと思います。

議論などでは、集団に属しているひとりとして発言する際の暗黙のルール、例えば、意見がまとまっていること、急いで進めること、正しく決めること、勝つこと、結論を出すこと、相手を傷つけたり怒らせたりしないことなど…”しないといけない”、”するべき”みたいなものがあると感じるのです。

私は、中学生から始まる部活など集団行動の中でパワーバランスの存在を見てから、規律や常識、上下関係を優先させた上で話すことが大切だと学びました。
その頃から、集団の中で若輩者が話せる雰囲気ではないと感じ始めたり、発言するのが怖くて言葉に詰まったり、わかっていないのに理解したふりをしたりするようになりました。

なので、私の意見を主張するよりも、「個人的には」を使って、その場では波風を立てないように進めるのを最優先するのです。

また、SNSのプロフィールや投稿で「発言は個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではありません」という一文を目にしたことがあります。
この言葉が必要になる理由は、あらゆる人がその人単体で認識されることはなくて、職場や立場などの属性とセットで認識され、自らもその所属組織の一部であると意識せざるを得ないからです。

自分を集団の中から独立した存在だと思えたら「私の意見は」と言えるのかもしれませんが、私たちは自分が周りとの関係で存在していると認識しているので、「個人的には」を使うべきだと考えてしまうのだと思います。

「私の言葉」を伝えても大丈夫だと思える場

自分の主張を控えめにして、人それぞれであることを強調する「個人的な意見ですが…」が、わかり合うための対話では、逆に使いづらい言葉になると思うのです。

なぜなら、謙虚な姿勢を見せることで逆にえらい人の意見じゃないから気にとめなくても良いという意味にも捉えることができたり、人それぞれと言うとそこで話が終わってしまったりするからです。

ただ自分の想いを話して、相手を見て、言葉を聞いて、本音を交換できる場所のある人が、今どれだけいるのでしょうか?

一時期、「それってあなたの感想ですよね」、「そういうデータあるんですか?」など、他者を言い負かす「論破」という言葉が注目を集めました。スピード勝負で主張し、相手の意見や主観を否定する姿勢をとり、根拠を提示して追い込む。

そんな会話や議論は、メディアで取り上げられ、言葉を交わし合うことがすべて勝ち負けとつながっているように感じさせる様子が、小学生から大人にまで流行しました。

大学生になって議論する時には、「〇〇の観点によると…」、「〇〇氏によれば…」など根拠になるものを示した上で、自分の考えを言うようになりました。
そしてミスが攻められる議論の時こそ、「個人的な意見ですが…」は、間違いかもという心配な部分に保険がかけられるので使いやすいのです。

「間違い」を恐れると、「わからない」を共有することはできません。なぜなら、「わからない」は「負け」すなわち”弱さ”の印の1つだと思われているからです。

勝ち負けという優劣の関係ではなくて、対等な立場で感情や考え、想いを対話して共有する。それは、自分のことや弱さをさらけ出すことなので、すごく怖くて難しいことだと思います。

完全にオリジナルではなくても、言葉が見つからなくても、分かり合えなくても、誰かと対話することで”私の言葉”がつくられるかもしれない。
私の話をしても大丈夫だと思える安心できる場を築けるかもしれない。

周りの誰かが本当の想いを話そうとしてくれた時は、ただ真剣に、共感できても、できなくても最後まで聞いていきたいと思うのです。
そして、たまには「個人的な意見ですが…」ではなくて、「私の意見は…」と、受け取ってくれる誰かがいるかもしれないと思いながら、”私の言葉”をつくっていきたいと思うのです。
なぜなら、”私の言葉”を言える・聞ける居場所があること自体が、私にとって幸せだと感じるからです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Text by どさんこ大学生RUNA

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