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心身の弱さは「私が弱い」わけではない。皮膚科で倒れた私が見つけたのは自己受容できた自分

皮膚科の治療で倒れました

こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。

あなたはご自身の不調とどう向き合っているでしょうか?

今回は、私が体調不良をきっかけに自己と対話し、受容へと進んだ経験をお話しします。

かつて私は体調を崩しやすい子供でした。時々学校を休むこともあり、病院の待合室に置かれた漫画を読むのが好きだったことを覚えています。

大人になってからは滅多に風邪を引くこともなくなり、病院通いもほとんどしなくなりました。

ちょっと体調が悪い程度なら自然治癒するから大丈夫、と考えるようになったことも、病院から遠のいた一因でしょう。

私は、他人に対しては「無理しないで休んだ方が良い」「休息は大事」と本心から思えるのですが、自分に対しては「こんなことくらいで休むなんて」「まだ大丈夫」と思ってしまう面があります。

そんな私。先日、背中の小さなできものを切除するために、皮膚科で手術を受けました。

手術と言っても、普段の診察室で局所麻酔をして数センチ切開するというもので、時間も短時間で終了します。

幸い私は、これまで大きな手術を受けたことはありませんが、視力回復のレーシック手術や手術室に入っての切除治療は経験があります。それら全て、家族に付き添いも頼まず一人で乗り切ってきました。

ですから私は自分のことをちょっと過信していたのでしょう。過去の手術に比べて簡単に済む今回の件について、「楽勝でしょ」という感覚でいました。

ところが、背中の患部(ちょうど心臓の裏あたり)に麻酔をされて、処置が始まったあたりから、想定外にどんどん心拍数が上がっていったのです。

落ち着こうとゆっくり呼吸をしてみても、心臓の鼓動は激しくなるばかり。頭もキーンと固まってしまいました。

できものの切除のためにチョキチョキと器具を動かす音、皮膚が引っ張られる感覚がする中、私は激しい緊張とストレスを感じていました。自分でも「マズイな」と思う状態でした。

担当医にも私のこわばりは伝わっていたかもしれません。それでも表面上は何事もなく手術が終了し、会計のために待合室にいた時のこと。

冷や汗が出てきて気分が悪くなり、視界が狭まってきたのです。力を振り絞って会計を済ませ、外に出たところで目の前が白黒に。耐えられず地面にへたり込んでしまいました。

気力でどうこうできる状態ではなく、診察室のベッドを使わせてもらい、症状が治まるのを待ちました。

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この出来事はとてもショックでした。

これまで一人で乗り切ってきた私が、こんなことで倒れてしまうなんて…。

私は自分の思いがけない弱さがショックだったのです。

その後、ネットで調べて、私が倒れたのは「血管迷走神経反射」という症状だったことが分かりました。

強い緊張やストレスによって自律神経のバランスが崩れて血圧や脈拍が減少し、脳に血液が行かなくなることで生じます。症状が重くなると失神するそうです。

採血の後に気分が悪くなったり、朝礼で倒れたりするのも「血管迷走神経反射」の症状だと知りました。

そこで急に思い出したのです。
私は小学生の頃、朝礼で校長先生の話を聞きながら、よく気分の悪さと戦っていたことを。

全校生徒を立たせたまま、つまらない長話をする校長に理不尽を感じながら、立ちっぱなしでいることがつらくて仕方なかった私。身体を揺すったり足を小さく動かしたりして、なんとか具合の悪さをやり過ごそうとしていました。

ああ、私はそういう子どもだったなぁ。遠い記憶とともに、あの頃の感情も甦ってきたのでした。

美人薄命という文化

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「美人薄命」や「佳人薄命」という言葉があります。

美人に生まれた人は幸せになれず、病弱で早死にすることも多いという意味の言葉です。

美人薄命を理想化するような風潮もあり、多くの物語に病弱な美人キャラクターが登場します。『アルプスの少女ハイジ』のクララなどはその代表例ですね。

私たちは美人薄命のストーリーが大好きです。

『世界の中心で愛を叫ぶ』『1リットルの涙』『君の膵臓をたべたい』『余命1ヶ月の花嫁』など、病に冒されたヒロインの物語は、現代日本でも数多くヒットしています。

そして世界を見ると、特に結核は「美しい病」として美化されてきた歴史があります。

結核は、せきや痰、発熱、喀血などの症状を経て徐々に衰弱していき、重症化すると呼吸困難を起こし、死に至る病です。

1950年までは日本人の死因第一位でした。

そんな恐ろしい病であるにも関わらず、結核患者はとても魅力的かつ美しいイメージで語られてきました。

例えば、新選組の沖田総司がそうですね。

沖田総司は、志半ばで病に倒れた麗しの天才剣士として名を馳せ、彼が血を吐くシーンは物語の見せ場になっています。

結核は、天然痘のように容貌が崩れることはありません。むしろ病によって美貌が冴え渡ったのです。

衰弱し青ざめて透き通る肌、発熱による薔薇色の頬、瞳孔の開いた瞳といった結核患者の風貌は、19世紀ヨーロッパでは美の象徴のように扱われ、患者の見た目を真似する女性たちもいたそうです。

近年、病弱さを強調した「病みメイク」が流行ったことを考えると、やっていることは今も昔もそう変わらないのだなぁと感じます。

結核は多くの小説にも描かれました。堀辰雄『風立ちぬ』もその一つです。

『風立ちぬ』には、主人公の「私」と結核を患う婚約者・節子による、こんなやり取りが出てきます。

「私がこんなに弱くって、あなたに何んだか(※編集部注:原文ママ)お気の毒で……」

そう言う節子に対して「私」は、

「お前のそういう脆弱なのが、そうでないより私にはもっとお前をいとしいものにさせているのだと云うことが、どうして分からないのだろうなあ……」

と応じるのです。

『風立ちぬ』は静かな気持ちで時折読み返したくなる名作ですが、私はこのやり取りには引っ掛かりを覚えていました。

当事者に向かって、君が病弱だからこそ一層愛しいと告げているわけです。

主人公の「私」がそう思う心理は分からなくないですが、自分が患者側だったとしたら、こんなこと言われたらつらくなるだろうなぁと感じていました。

私の場合、弱さを愛されても惨めになるだけだからです。

でも、今回皮膚科で倒れた出来事をきっかけに、少し考えが変わりました。

心身の弱さ=エラマ(生き方・人生)の弱さではない

皮膚科での手術を終えた晩、私はショックを引きずったままベッドに横たわり、気づけば自己内省を始めていました。

すると、子ども時代の思いも浮かび上がってきたのです。

小学校の全校朝礼では、まれに失神する生徒が現れました。

「血管迷走神経反射」は軽度ではふらつき、めまい、頭痛、吐き気などが起こり、重度になると失神します。

私は朝礼の際、かなりの頻度で気分の悪さと戦っていましたが、失神したことはありません。失神するほど症状が悪化する前に、具合の悪さに耐えきれなくなり自主的に座り込んでいたのです。

そして失神して倒れる生徒が出る度、私は得体の知れない後ろめたさのようなものを感じていました。

その後ろめたさが何なのか、当時は良く分かっていませんでしたが、今、考えてみると、私は自分を卑下していたのです。

「あの子は失神するまで立っていたのに、私は我慢できずに座り込んでしまう。私は心が弱い奴だ」

幼い私はこんな風に考えていました。

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当たり前のことですが、体調の悪さと精神の弱さは直結しません。しかし小学生の私は、「このくらいを我慢できない自分は駄目な奴だ」と自分で自分をいじめていたのです。

今回、皮膚科で倒れた際、「こんなことくらいで倒れるなんて」とショックを受けた根底には、小学生から続く自己卑下があったのでした。
自己内省することでそのことに気づき、私は唖然としました。

元々、自己肯定感がとても低かった私。エラマプロジェクトとの出会いや様々な経験を通じて、だいぶ緩和されたと思っていたのですが、まだまだこんな卑下が潜んでいたことに驚きました。

しかし、一度自覚できたなら、自己対話によって受容することができます。

ネットを見ると、「血管迷走神経反射」は症状が出たら、重症化しないうちに横になって安静にするのが良いと書かれてありました。

だから、小学生の私が取った行動は、何一つ悪いことではなく、むしろ適切な対応だったことになります。

「私はちゃんと適切な行動していたよ」「偉かったね」

私は胸に手を当てて、そっと自分に言い聞かせました。

すると、すっと心が楽になったのを感じると同時に、こんな考えが湧き上がってきました。

体調の悪さや体の弱さを認めることは、私という人間が弱いと認めることではないのだ。

身体が弱る時も、心が弱る時もある。

でも、それで自分の生命の輝きが損なわれるわけではない。だから自分の弱さを認めることは、怖いことではないのだ。

エラマプロジェクトの「エラマ」は、生き方・人生を意味するフィンランド語です。心身の弱さ=エラマ(生き方・人生)の弱さではない。だから弱くてもいいのだ。

私は今回の件で大切なことを学びました。

倒れたのは自己対話が進んだから!?

それにしても、どうして私は具合が悪くなったのでしょう?

例えば、過去に経験したレーシック手術は、眼にレーザーが当たる瞬間も眼を見開いている状態でした。今回よりも緊張を強いられたはずです。

あの時と今回と、一体何が違うのでしょう?

単純に、年を取ったことが影響しているかもしれません。今回、実はもともと体調が悪かったのかもしれません。

でも、私はこう考えました。

かつてと比べて、私は自己対話をするようになりました。対話を通して、自分が何を感じているか、自分の体が何を知覚しているか、以前よりもずっと敏感になった自覚があります。

それに、私が持つ香司(お香の調合師)の資格も、嗅覚をはじめ、五感を研ぎ澄ませる仕事です。

このように、私は以前よりも感覚が冴えているからこそ、術中の器具の音、皮膚が引っ張られる感覚、できものを切る感覚、担当医の息遣い、そういった多くの情報を過剰に受け取ってしまったに違いありません。

その結果、極度に緊張してしまったのです。

手術によって具合が悪くなった部分だけを見れば、マイナスの出来事と言えるでしょう。しかし、私が自分と向き合うようになり、自分の感覚に鋭くなった結果、起こったことだと考えると、プラスの出来事のようにすら思えてくるから不思議です。

突然の「血管迷走神経反射」によって、こんなにも考えが深められるとは思いませんでした。

皆さんも、一見マイナスと思える出来事があったとしても、ぜひ見方を変えてみてください。思わぬプラスの発見があるかもしれませんよ。

Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)

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