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フィンランドって“夢と魔法の国”じゃない

Elämä(エラマ)プロジェクト代表の石原侑美です。
今回は、いまのわたしとフィンランドの関係性、フィンランドをどう捉えているかについてお話ししたいと思います。

わたしは今でこそフィンランド生涯教育研究家としてフィンランドを紹介していますが、もともとはマリメッコも、ムーミンがフィンランド生まれであることも知らなかったんです。
「北欧系女子」と言われる人たちのことも(決して悪い印象はもっていないんだけど)、かなり遠くから見ているような状態で、フィンランドに対しては悪いイメージも良いイメージもない、そんな感じでした。
大学院では韓国や台湾について研究し、学生の約6割が留学生だったので、ボツワナなどさまざまな国籍の学生たちと話をしました。でも、その頃は北欧の人とは話をしたこともなかったんです。
それが、仕事をするようになってからとあるクライアントに「フィンランドへ教育視察に行ってもらえないか」と言われたことがきっかけで、2016年5月にはじめてフィンランドへ行くことになりました。

わたしがフィンランド視察から影響を受けた2つのこと

「フィンランドだから」という理由ではなかったのかもしれないけど、この視察から、わたしが明らかに影響を受けたできごとが2つあります。
ひとつめは現地でお世話になったRiita(リータ)さんのおうちでシナモンロールを作ったことです。

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森の中にある素敵なおうちでした。スイスのようなめちゃくちゃ絵になる感じの家でもなく、どこか日本の山小屋のような親しみやすさもあり、素朴で身近に感じられる。だけど日本からすると非現実的な感じもあるような。

Riitaさんも本当に素敵な方でした。でもわたしにとっては、そこでの時間は「わぁ〜素敵!」という「トキメキ」ではなく「なるほど、いいねぇ」というような、ぬるぬると惹かれていくような感覚でした。

みんなとシナモンロールを焼いていた時、その香りが外に流れ出て、木や風の匂いと混ざっていく感じ。「家庭の匂い」というのが、視覚、嗅覚、胃を通じて体内に入ってくるというか。

「家庭で味わえる幸せ」ってこういう感じなのかなと、細胞から感じるような強烈な体験でした。
両親とも共働きで仕事人間だったため、幼少期にご飯を家族揃って家で食べる経験がとても少なかったのです。

もうひとつはサウナですね。
入ったときのここちよさと、翌日のデトックス感。特に、目ヤニがすごくて(笑)。汗をかくのと同じなのか、体内の老廃物がどんどんでてくるようでした。

飛騨高山の自宅の庭にもサウナテントを作ったんです。朝少し入るだけで、視界がクリアになり、色彩が鮮やかになる感覚があるんですよ。

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フィンランドは「超日常」

視察から帰ってから、わたしはただただ「フィンランドってこういう国だったよ」ということをいろんな人に話してまわっていました。
とくにフィンランドで何かを立ち上げたいということもありませんでした。
しかし後に、現在までエラマプロジェクトを支え続けてくれているフィンランド人のMilla(ミッラ)さんと友人の紹介で出会いました。

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彼女とは「日本にも豊かで幸せな生き方」を考えるチャンスを作りたい、という意向が似ていたこともあって、波が来たようにエラマプロジェクトを立ち上げました。

立ち上げるまでの間にたくさんの人たちと話をしてきて、北欧が好きな人、北欧に興味がある人がとても多いということに改めて気づき、マーケティングや営業、経営者の視点からもいいなと思いました。

でも、私がやりたいと思ったのはもっと「人間」を感じられること。北欧文化を紹介したり雑貨を販売したりということじゃなく、ひとりひとりにストーリーがあるということ、何を幸せと感じ、今は人生のどういう起点にいて、どこを目指しているのか。そういうことを体験して知っている人を紹介したいと思ったんです。

フィンランド政府、フィンランド教育、フィンランド社会という表面的なことではなく、わたしにとってフィンランドは「ひとりひとりのストーリー」なんです。
もちろん、マリメッコも素敵だし、マリメッコの中のストーリーも素敵です。

だけど、そこにもひとりひとりの人生がある。
マリメッコのデザイナーひとりひとりのストーリー。インスパイアされた世界中の人たち、ひとりひとりの人生も大切だと思うのです。

講座でも、わたしはこういう視点からフィンランドを紹介しています。
なぜなら、わたしが出会ったフィンランドは「人」だったから。
Riitaさん、Millaさん、視察滞在中から帰国してからも、フィンランドつながりで出会った人たち。そんな人たちから、わたし自身、たくさんの学びを得てきたからです。
わたしにとってフィンランドは、マリメッコが好き、ムーミンが好きのように「好き」からではなく、あくまでも“たまたま”からはじまりました。
だからかもしれませんがわたしにとってフィンランドは夢や魔法の国といった非日常ではなくて超日常なんです。

好き以上の感情があって、でも好きだけでは結婚できないパートナーのような(笑)、それくらいの確信がフィンランドにはあったんです。
だからといって、受講者全員にフィンランドを「わたしごとに落とす」ことを強制したりはしていません。非日常をもとめて北欧に関心をもち、そこからエラマの講座に参加してくださる方もいらっしゃるからです。

また、オンラインサロン「エラマの森」の住民のみなさんに対しても同じです。自分と向き合う場であるということを大前提としているので、無理に他者との交流を促そうともしていません。
個人主義を尊重し、排他的にもならない、という空気感を大事にしています。
それは、フィンランド人の人付き合いもそうだなと思うことがあります。

フィンランドは「ツール」

Millaさんとエラマプロジェクトを立ち上げる前から話していたことがあります。
それは「フィンランドは夢や魔法の国ではないし、豊かで幸せな生き方を伝えられるなら、フィンランドである必要はない」ということ。
たまたまフィンランド出身のMillaさんとフィンランドで影響を受けたわたしの共通がフィンランドだっただけなんです。

その想い(軸)は今も変わっていなくて、講座を通しても、受講者の方には日本とフィンランドのつながりを意識してお伝えするように心がけています。
たとえば、フィンランドって本当にすてきな国ですよね、で終わるのではなく、日本でできることは何だろう?日本で実行するのであればどういう文脈でできるだろう?、というような問いを投げかけてみたり。
また、これはフィンランドの問題、日本の問題と切り離すのではなく、ひとりひとりの問題であるということを意識してお伝えしています。

フィンランドのことをお伝えする際も、資源が少なくまだ歴史の浅い国であること、失業率も日本に比べてずっと高いという現実的なことも含めて話をするようにしています。

もちろん、フィンランドにしても北欧にしても、関心となる題材はその人の生きる価値観によるものなので否定はしません。でも、わたしはエラマプロジェクトに来てくれる人たちには、北欧の事象を自分ごとに落とし込んで、自分で思考するということを伝えていきたいし、それを楽しみとしているんです。
コロナ禍になったこともありますが、ここ2、3年で「自分を見つめること」を求める人がより増えてきていると実感しています。

日本のほうが夢と魔法の国=非日常なのかもしれない

エラマプロジェクトでは「Elämä(エラマ)」という言葉が意味する、人生、生き方、命を連想するようなものを体感し、帰結できるよう、いつも意識しています。
おそらく、フィンランドでなくても、オランダや飛騨であったとしても、わたしは、そこ(Elämä=人生、生き方、命)を扱うだろうなと思います。

つまり、フィンランドという遠い国、非日常へ行くのではなく、日常にあって、より命を感じられること。わたしがエラマプロジェクトで本当にやりたいことは、そこなんです。

フィンランド教育の話をすることで人生を見つめるということもあるだろうし、オランダから見つめるでも、飛騨から見つめるでもいい。
いけかよさんにも哲学バーやライティングをやってもらっていますが、いろんな側面があっていいんです。
エラマプロジェクトにとって、フィンランドは「自分を見つめる」ということのメタファーなのかもしれません。

そう考えたら、日本のほうが“夢と魔法の国”感があるかもしれない。
どれだけわたしたちのほうが“非日常”のなかで生きているか。

つまり、フィンランドは疲れたら休んでもいい国だけど、日本は疲れても休まないことを良しとしている国。
でも、疲れたら休むなんて当然のこと=日常ですよね。だから、人間としてこっちのほうが自然、という生き方を実践しているフィンランド人に魅了されてしまうんだと思います。

フィンランドへ行ったとき、現地の方から「なんで日本人はそんなに忙しくしているの?」と聞かれたことがあります。
わたしたちが日常って思っていることのほうが非日常なんですよ、きっと。

いま、日本でもこれまでの凄くストイックな働き方から週3日休みやリモート勤務、フレックス制など、少し緩めるような体制に見直されてきていますよね。
人間が人間らしく生活する、人間が人間らしく呼吸できる環境っていうのが、いまやっと整えられつつある。
でも、北欧はもともとそういう環境だったから、日本人から見たら夢のような国に見えてしまったんじゃないかと思います。

自然との対話、そしてElämä(エラマ)人生、生き方、命

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飛騨に住むようになってからもフィンランドに対する見方は変わっていなくて、むしろ確認している感じがします。
フィンランドの人たちが目指している生活や考え方って、きっとこういう感じなんだよね、って。
例えば、1時間仕事した後、15分休憩で裏山に登りに行ってきてまた作業、みたいに。

今はフィンランド的な生活の実験をしてみたり、家族を巻き込んでみたり、それをすることでみんなの幸福度がどう変わっているんだろうと確認をし続けている感じです。

わたしは東京から飛騨に越してきてまだ1年なので、いろんなことが新鮮に見えます。
例えば、天気予報では晴れるといっていたけど、義父が「たぶん雨降るよ」って言ったら本当に雨が降ってびっくりしました(笑)。義父は自然と対話ができるんです。
あと、飛騨にいると普通にシカはいるし、夏にはカエルの死骸がそこらじゅうにある。
命を感じることが日常なんですよね。

でもわたしたちの環境って、「死」という言葉が消されていったり、命を感じる場所がどんどん減ってきている。そういう意味でも非日常なのかもしれないと思います。

言葉からみても、フィンランド語のElämä(エラマ)は人生、生き方、命が包摂されていますが、日本語はその性質上「人生」「生き方」「命」は別であって、隣接していない。
わたしたちのこれまでの認識違いには、そういう背景が根底にあったかもしれないなとも感じています。
ただ、フィンランドのように自然と向き合って対話する、日常に落とし込むということは日本でもできるんです。

それを体感しているからこそ、フィンランドは夢と魔法の国じゃなくて、わたしたちの日常のなかにあるということを日本から、ここ飛騨高山から、これからも発信し続けていきたいと思っています。

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By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)
Interview & Text by あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)

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