時計はいらない?「なくす」ことで満たされる豊かさがそこにある
こんにちは。エラマプロジェクトの和文化担当、橘茉里です。
突然ですが、私の家には時計がありません。
「時計は必要」「普通、家には時計が置いてある」
あなたはそんな風に思っていませんか?
でも、本当にそうでしょうか。「必要だ」「あるのが当たり前だ」と思い込んでいるだけかもしれませんよ。
面倒くさがっていたら時計が無くなった
私の家には時計がありません。
腕時計も持っていません。
時計がある生活に慣れていると、無いと不便そうですよね。
でも、時間を知りたければスマホやPCがあるので、特に困ることはありません。
スマホで時刻を見てるじゃないか、インチキだ!
まあまあそう言わずに、記事にお付き合いください。
私の場合、「見えるところに時計が無い」ということが大事なのです。
もし部屋の壁に時計があったら、もし腕に時計が巻かれていたら、必要がなくてもつい時計を見てしまい、時間を意識してしまいます。
時計は自然と視界に入ってきて、我々の意識を時刻に向けさせます。そして必要以上に時間を気にするように仕向けてきます。
なんだか時計によって、自分がコントロールされているように感じるのです。
一方、スマホの場合は、時刻を知りたいと思った時だけ自発的に画面を見ます。自分の意志で画面を見ているので、コントロールされている感じはしません。
こういった理由で私は家に時計を置いていませんが、もともと私は、時計がなくてはいられない性質でした。
特に腕時計は必須アイテムで、無いと落ち着かなかったのです。
その頃の私は、今よりもずっと「時刻を把握しておかねばならない」「時間が分からないのは良くないことだ」と、謎の規範に縛られていました。
では、どのようにして時計から離れていったのか。
実はきっかけはとても単純で、大それた決意や高尚な理由があったわけではないのです。
部屋の時計を置かなくなったのは、電池が液漏れしてしまったから。
時計が止まってしまい、電池を交換しようとしたところ、電池が液漏れを起こして時計の内部が白い粉で汚れていることが分かったんです。
それをキレイにするのを面倒くさがって先送りしているうちに、その時計が無くても支障がないことに気づいてしまったというわけ。
腕時計についても同じような理由です。
私は電池交換の必要がない、ソーラー電波時計を使っていたんです。奮発してそこそこ良いお値段で買ったお気に入りの時計でした。
しかし電池交換が必要ないはずなのに、ある時、時計が止まってしまったんです。一度は修理に出して直したのですが、しばらくしてまた止まってしまいました。
今度は修理に出すのも面倒で、腕時計をせずに過ごすようになりました。
最初はとても違和感があって、手首に腕時計の重みがないことが不安でした。
けれど、人って慣れてしまうんですね。
気づけば、腕時計がなくても平気になっていました。
腕時計をしなくなって気づきましたが、自分で持ち歩かなくても、世の中にはけっこう時計ってあるんです。
時計を見たいと思う場面には、たいてい時計があります。
例えば電車に乗る時。
駅には必ず時計がありますよね。
例えば仕事中。
私の職場は高校ですが、教室にも職員室にも必ず時計はあります。
しかもご丁寧に授業開始、終了のチャイムを鳴らしてくれるので、極論を言うと、時計を見なくてもどうにかなってしまいます。
そうやって時計がなくても何とかなるという経験が重なっていったら、いつの間にか時計が視界の中にあることの方が落ち着かなくなっていました。
そして、時計があることによって過剰に時間を気にしていた、かつての自分に気づいたのです。
過剰だと気づくことも、豊かで幸せな生き方への一歩
私は時計がいらないとは思いません。「必要以上にはいらない」と思っているのです。
「部屋に時計があるのは当たり前」
「ビジネスマンなら腕時計をしているのが当たり前」
こんな風に、世間で当たり前とされているからという理由で時計を持っているのだとしたら、あなたにとって過剰摂取になっているかもしれません。
少なくとも私にとってはそうでした。
自分が知らないうちに過剰摂取していたことに気づく。
豊かで幸せな生き方をするためには、これが大事だなあと思います。
何がどのくらい過剰なのかは人によって異なる。
だから、他人がどうかではなく、自分はどうかを考えることが大切。
それは自分軸で生きるってことであり、自分と対話し、自分と向き合うということでもある。
結局それって、エラマ的な生き方を探究していくってことですよね。
ちなみに、私が過剰摂取していたものの一つにテレビがあります。
実は、現在私の家にはテレビもありません。
テレビを置かない理由は時計と同様で、あると見てしまうから。
以前の私は、朝起きるとまずテレビをつけて、流し見しながら支度をする。家に帰るとテレビをつけて、特に見たい番組でもないのにつけっぱなしにする。
こんな生活をしていました。完全に情報の垂れ流しでした。
でも、ある時気づいたんです。
自分が見たくない情報や映像まで、つい見てしまっていることに。
その悪習慣をやめようと思い、テレビをつけずに過ごすようにしていたら、テレビがないことに慣れてしまったのでした。
私にとっては、時計やテレビが傍に無い方が心地よい。
あなたにとっての心地よさはどうでしょうか?
時計の代わりをしてくれる愛しいもの
時計が無いと、他の手段で時刻を知ろうとして、様々なものに注目するようになりました。
その一つがお月さま。
月は月齢によって月の出の時刻が異なります。
簡単に言うと、こんな感じです。
三日月(月齢3日目)・・・月の出8:00頃、月の入り20:00頃
満月(月齢15日目)・・・月の出18:00頃、月の入り6:00頃
下弦の月(月齢22日目)・・・月の出24:00頃、月の入り12:00頃
そして、月の出は毎日だいたい50分ずつ遅くなります。
これだけ覚えておけば、その日の月の形と月の位置から、おおよその時刻を知ることが出来ます。
私は夜道を歩くとき、月を眺めるのが好きなのですが、この知識を得てからは、月で時刻を当てる遊びをするようになりました。
私に時刻を感じさせてくれるものは、これだけではありません。
私の家には二匹の猫がいます。
猫は気まぐれでマイペース。時間など気にせずに生きているように思えますが、案外、時間に正確なのです。
うちでは朝ごはん、夕方のおやつ、晩ごはんを毎日だいたい同じ時間にあげるようにしています。
すると、猫たちは体内時計でそれを覚えていて、お腹がすくと催促を始めます。
もちろん厳密に何時というところまでは分かりませんが、猫のおかげで時間の目星がつけられます。
また、猫は明け方に活発になる生き物です。ほぼ毎朝ベッドに乗ってきて、かまって攻撃をしてきます。
これで目が覚めるので、アラームがなくても起きられます。
私が時計無しでもさほど不自由を感じないのは、確実に、この愛しい二匹のおかげでしょう。
時計を置かなくなったのは私の面倒くさがりが発端でしたが、振り返ってみると、そこから少しずつ手探りで、自分の心地よさを目指して進んでこられたように思います。
もし「今の自分を変えたい」「でも何から始めたら良いか分からない」と悩んでいる方がいらっしゃったら、時計を外してみるのも良いかもしれません。
きっと、いつもと違う何かに出会えるはずです。
Text by 橘茉里(和えらま共同代表/和の文化を五感で楽しむ講座主宰/国語教師/香司)
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