自分の価値は、いったい誰が決めるのか

仕事のあと、今日の夕飯は
スペアリブー♪
スペアリブー♪

と黙々と準備しながら、
糧、子供の頃の話の続きは、
どうしよう続きはもっと暗いのだが…
こう書こうーああ書こうー
と考えていたら、

ふと、

そう言えば、自分の自己肯定感て
どうやって上がったのかなー??と
問いが生まれたので、考えはじめた。

どう説明したら、シンプルに分かりやすく伝わりやすいのだろうー?
今度言語化をしっかりしようー、
と考えてたところで

あれ?
人って、他者からの評価で自己肯定感が決まる、という思い込みが強いのでは?
と、思った。

自分の価値って、そもそも誰かに評価さてれ決まるのなら、
ひたすら人の評価にフォーカスした言動と行動を取ることになるよな、って。

それをやってる時、つまりは私の場合、
義母の求めることに応えたいけど、
ものの考え方が違うし、解釈も違っていて予測不可能で
まるで応えられない、
怖い、正解がわからなくて怖い、
という状態になり
思いやりがなく、感謝しない人という評価を貰っていた時だな。

うわ!!
自分の価値を、知らず知らずのうちに
人に委ねた時のデメリット、デカ!!!
と感じた。

得られるものは、不安と、恐怖と、不健康…

代償の、なんと大きいことよ…

人間は社会性動物なので、
社会的な評価をまるで無視して生きる必要はない。
無いにしても!

他者からの評価は、自分の社会的な価値として分けて、
自分で自分を評価する、自己の価値は別のものとして、しっかり自分自身で確立した方が良いのに、
それを成長過程でさっぱり明言されず、
自分の価値は人からの評価で決まる!
かの様に思い込みがちじゃない?
と。

親、友人含めて、自分のことが好きなんだよね、って話をする人、聞いたこと無くて。

誰も彼も、自分はココが足りない、とか
そんな話をするけど、
しっかり、自分のお気に入りな部分をさ
人に言わないまでも、ちゃんと分かっていたら
他者の評価で揺らがないのでは?
と。

うわ、明日から、子供に伝えようと思った。

自分の魅力はさ、
自分が決めて良いんだよって。

自分の魅力を見つけて
言葉にする力、しっかり付けてこう!
と思いました。

そして、自分の魅力が思いつかないって人がいたら、それ、放っておかないで、
解決した方が、今よりもっとより良くなると思う。

この世でいちばん自分が無価値だと思っていた私が言うので、間違いなし。

●人の価値
→社会的価値(人からの評価) : 重要視し過ぎ
→自己の価値(自分の評価) :軽視し過ぎ

社会的価値観、人からの評価を気にし過ぎてると
自分の価値の、もはや見つけ方から見失ってるので、探しても探してもてんで見当たらない。笑
探しものに辿りつかない。笑

だから、子供が、自分が
何か出来ないことがあると
人からいじめられるんじゃないか、とか
人から馬鹿にされるんじゃないか、とか
人から評価されないんじゃないか、とか

気になって
気になって
心配になるのかな、って思った。

できる様になれば、
できる事が増えれば、
人に誇る事が増えれば、

子供が、自分が、
人から評価されるから、

自分の、子供の
価値は上がると信じているから

できる様に、ならないと!
できる様に、させないと!
って思うのではないかと。

うわぁ、これか、子供が何かできない時の
不安の根源は!

と分かった日でした。

切り分け!!大切!!
(自分へ)

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