糧、子供の頃の話 03

死ぬこと、生きること

何か思い詰めてる人間の挙動っておかしいのか、
自分を客観的に見てみたいもんである。

高所恐怖症だし、田舎に高いところはないし
首を吊るにも後片付けは大変だろう。
そもそも死ぬこと自体大迷惑だろうし、
できる限り1人で完結する手首を切る方法を取るけど、体験者から聞いた限り
死ぬまでに時間がかかるから、
人がいない場所を決めて向かおうと家を出ようとして見つかった。

母に。

それは悲しんだ様な気がする、
けど、
私はものすごく…
親不孝なことに不快感が凄かった。

え、何で止めるの?
この人間は。
と思っていたと思う。

だって、解決方法は提示しないのに
なんで、そうなの、と責めてくるんでしょ?

は?

だった。

結構頑張ったと思うよ、4年間だけれど。
あと6年、頑張れる気はしないよ、と。

私は私の視点から見る世界を見ているから、
それが良いか悪いかは人それぞれ思う事があるだろうけれど、
その時ものすごく、えも言われぬ不快感を感じた。

それは、怒り、だったと思う。
そう、やっと、家族に対して怒りが、出た。

ふーーーざけんじゃない!
もー知らん!と。

D.ホーキンズという方が、人間の意識レベルを17段階でレベル分けした表がある。

私の場合、死のうとした時、無気力という状態で、
人間の意識レベルの17段階の最下層。
自分を恥と見ていて、無価値観、無気力な状態。

で、怒りという意識レベルはそこから、
6段階上。

もちろん上に行くほどに、良い状態、エネルギーがある状態だという解釈になる。

思春期パワーだったのかもしれない。

それも相まって、
もう限界で、死のうとするのに止めてきやがる!この人間!!!
と、
自分としてはものすごく理不尽だと感じた事により、恥から他者への怒りが爆発し、
無気力な状態から劇的に抜け出した。

もう、知らーーーーん!!
好きなことする!


ノートに
今日以降、思ったことしか言わないし、
やりたい事を最優先でする、
と書いた。

かと言って、基本真面目で、
グレ出すこともしたいと思わないタイプだったので
学校は行きたい時だけ行き
帰りたくなったら
帰りまーす!!と帰るようになった。
具合が悪いから帰るとかではなく、
帰りたいから帰る。

したいからする、
食べたいものを食べる。

いちいち、
やりたいか、やりたくないかを
自分に問いかけてから行動するようになった。

ノートに日々の行動、思った事を書いた。
やりたいかどうか怪しいと思う行動をした日は
本当にそれはしたかったんだろうか?
と問いかけて、偽善だな、とか
したい事じゃなかったな、とかを書いたりしていた。

その生活を、どのくらい続けた時だろう。
いつもの様に早退をし

ひとり通学路の畦道を歩いていた。

天気が良く、晴れていて
雲が風に飛ばされていて
それを眺めて、
田舎の空や雲の様子って
都会暮らして、手に入るものではなく
本当にそこの場所にいるから
感じられるでっかい自然がある。
いろんなものをくれる。
それを、

うーーーわーーー
今日の空、素晴らしいな
この時間、みんな授業だけど
私はここに居るから見られたんだなぁ

(うーん。書こうとするとすごく陳腐になるな。)

なんだろう、今ここに居てこれを見られて
感じられて、すごくすごく幸福だな、と
そんな事を思った時
これを、感じて生きてる人
どんだけいるだろうな、と。
空を見て、こんなにも感動が、ある。

私、
すごく、
人より幸せを見つけられてると思うな、と
思ったら、
なんというか、

胸なのか、頭なのか、
マグマみたいな、エネルギーみたいなもの、
が、
ぐーーーわぁーーーーっと
湧き上がって、

私って、すごい…

という、感動みたいな、全能感みたいなものが
突然発生した。

それで、ああ、
私、病気をしてよかったなぁ!!!!
と心底思った。

出来ないことなんて、
そんなもの、
数えたらキリがなかった。

これが出来ない、
あれが出来ない
それをひたすら数えていたけど

多分、こんなに思考して
試行錯誤して生きてる中学生
中々いないよな

ご飯が美味しかった、で終われること
夜眠れること
体のどこにも痛みがなくて
不快感がなくて
そういう事にこんなにも幸せを感じる
見つけた幸せな事、楽しみ
こんなにも味わえる
ただ歩くだけでこんなにも感動がある

私の、生は、すごい!!!
と。

そして、私、生きることにする。
そう決めた。

そこから39歳の今まで、その選択をし続けているし、守っている。

親は、この子は死にそうだ、とずっと心配していた様だけど
本人は生きると決め切ったので

いや、決めたし
と、七転八倒しつつも生きている。

あの時、決めたので、踏ん張っている。

若干、4年前、怪しくなったので
必死に方法を探して、学んで、
人間の感情のこと、
思考のこと、どんどん知識と実践、実験をしている。

この時の私は、
ものすごく荒削りだけれど、
病気の原因には行き着いてないけれど
病気をしている今の自分を全肯定したのだと思う。
腹の底から。

もちろん、病気はこの後も猛威を奮っていた。
この時は原因に行き着いたわけではなかったから。

今は学んで、なんで病気になったのかを特定して、
さらに自分を肯定する事ができる様になりつつある。

---
私は、死のうとした事がある人間なので、
これ以降、ずっと、
周りで、ぐぅっと深く深く沈み込んだ波に任せて命を絶つ人間が周りに現れる度に
死ぬ側の気持ちもわかるし、
止める側の気持ちも分かるから
苦しくなる事がある。

でも分かることは、底の底まで沈んだ波は
また些細な事で上がるということ。

連載を追いかけてる漫画の新刊が発売される、とか。
コンビニで買ったスイーツが意外に美味しかったり、
TVのお笑いで、ふと笑えてる自分に気がついたり。

何がそれを決めるのか、
分からないけど、次の小さい波の上昇を感じるか
感じないのか、ほんの些細な差だと思う。

苦しい事を苦しいままにするな!
そこから得ている事を数えろ!
人は何歳からでも学べる!

人生の苦味を、どの様に取り込むか、
それをやったら良い。

ちょっと前まで、死ぬと思っていた人間が、
病気で良かった、これで良かったんだと取り込んだ瞬間、
生きる、と決めて
以降、
寿命は無事に伸び続けているよ。


諦めるな、って
死にたい時に言われると地獄の様な気分になるんだけど、
地獄を通って来たので、言っちゃう。

たぶん、諦めるのは早いです。

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