「おじさん構文」の気持ち悪さの本質は、絵文字のセンスではないと思う。

↑これは今話題になっているLINEのスクショ。
50歳のおじさんが、メンズエステ嬢とのやりとりを自ら投稿している。

このツイートの4枚のやりとりを見て、あなたもきっと
「おじさん構文じゃん草」「”本物”だ……。」「うわぁ……」などと思ったに違いない。

・書き手が中年男性
・過剰なまでの絵文字
・独特な絵文字のセンス(例:😅、💦、❗️、❓……)
・顔文字がちょっと古い
・読点(、)が多すぎ
・読点の位置がおかしい

など、内容を読まずとも一見しただけで、一連のLINEが「おじさん構文」であることが容易にわかると思う。

しかし、文体や絵文字・顔文字のセンス、書き手の年齢・性別といった表面的なことを取り上げて非難してみたりバカにしてみたりするのはいかがなものか。

上の例に代表される「おじさん構文」あるいは「おじさんLINE」の問題点は、そういった表面的なものでなく、文の内容やそこから透けて見える書き手の心理なのではないか、と僕は思う。

ここでは、「おじさん構文」の問題の本質について指摘してみる。

「おじさん構文」の気持ち悪さは、「客観視の欠如」が原因である。

・求めてない謎のアドバイスやお説教など、上から目線なのが透けて見える
・しつこい(返信の催促など)
・自分への好意を見せることを執拗に求める
・透け透けの下心
・全体的に距離感が近すぎる

具体的には上記の5点のようなことが、「おじさん構文」から感じられる気持ち悪さの本質ではないだろうか。

そして、それらは共通して、「自分のことを客観視出来ていないこと」に由来する、と僕は考える。

このことを念頭において、上記の5点について見ていく。

・求めてない謎のアドバイスやお説教など、上から目線なのが透けて見える

人間、特におじさんという生き物は、どうやら他の個体に自慢をしたりお説教をしたりする、すなわち「自分の地位(社会的あるいは生物的)の高さをアピールする」ことで気持ちよくなる性質があるように思える。

しかし、「俺はすごいんだぞ!」と直接的にアピールすることは、果たしてカッコいいのだろうか……?

むしろ、人の魅力とは、直接的にアピールせずとも、ふとした瞬間に自然と垣間見えるものだと僕は思っている。

だから、わざわざ自分から大々的にアピールしなければいけないのは、魅力のなさの裏返しだと思う。

よって、いちいちお説教をして自分のすごさをアピールしたりマウントをとったりしようとすることは、自分が相手からどう見られているか客観視出来ていない証拠なのではないか。

・しつこい(返信の催促など)
・自分への好意を見せることを執拗に求める
・透け透けの下心

このようにまとめてみると、「さすがに余裕なさすぎでは……。」と感じることだろう。

年齢を無視して、仮に書き手の年齢が20代だったとしても、これらは受け取る側からすると厳しいものがあるに違いない。

ましてや現実には、

「50歳そこらのいい歳した中年男性が、メンズエステ経由で知り合ったばかりの、娘ほども歳の離れた若い女性に対して送っている」

のだから、事態は深刻を極める。

これもまた、相手の立場からは自分がどのように見えるのか、を冷静に判断出来ていないことを表しているはずだ。

・全体的に距離感が近すぎる

つまるところ、これに尽きる。

なぜ、業務の一環としてサービスしてもらっただけにすぎない相手に、ここまでインファイトを仕掛けられるのか。かくとうタイプなのだろうか。

ましてや、つい先日会ったばかりの若い女性に、というのが謎。

考えたくはないが、もしかすると、

「女性はなかなか自分から好意を表せないから、グイグイきてくれる男性は喜ばれる!」
「いやよいやよも好きのうち」

みたいな言説を真に受けているのかもしれない。

「おじさん構文」の見た目はともかく、内容についてはこれからも議論されるべきである。

以上、「おじさん構文」の内容について、どういう点が問題なのかを確認した。

「おじさん構文」を見て、文の見た目がダサいとかそういう表面的なことを面白おかしく笑うだけでなく、

内容の気持ち悪さ、ひいては書き手の思考の歪みについて考えることが重要である、ということが少しでもわかってもらえたのなら幸いである。

これからもきっと、新たな「おじさん構文」は現れ続けるだろう。

しかし、僕らは歩みを止めてはいけない。

「おじさん構文」の闇を暴き、追及し、駆逐し続けなければならない。

「おじさん構文」に苦しめられる女性たち、

そして、無知ゆえに魔性に堕ちてしまったおじさんたちを救い終えるまで……。

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