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失敗は人生の資産になる

最近、あらため「環境って大事だな」って思う。

そこで今日は、ぼく自身の体験を踏まえながら「環境の大切さ」を伝えていきたい。

プロフィール

長崎生まれ。長崎育ち。
2000年生まれの22歳。
大学4回生。身長167.8cm。
2021年10月 地方・長崎のスタートアップで長期インターンを開始
2021年12月 社長登壇イベントの企画・集客・運営・司会
2022年1月 メインサービスのSNS運用を任せられる
2022年4月 本格的にInstagramの運用を開始
2022年9月 Instagramフォロワー5000人&売上300万達成
2022年11月 ハッカソンでピッチ(惨敗)
2022年11月 インターン継続中〜

サッカーが楽しくて仕方なかった中学校時代

ぼくは、小学校4年生から大学3年生まで10年以上サッカーをしてきた。

中学校の時は、公立ながら全国大会に何度も出場しているサッカー部に入部し、朝から晩までサッカーと向き合う日々を送っていた。

強豪校だったこともあり、コーチも名のある方でとにかく毎日の練習が楽しくて仕方なかった。(もちろんキツかったけど。)

「どうしたらもっと上手くなれるだろう?」

当時のぼくは、利き足じゃない左足でボールを扱うのが苦手で、チームメイトからは「えいわの左足はオモチャやな」と言われていた。

それは自分でもよく分かっている。左足が使えればプレーの幅が広がるし、もっと楽しくなる。

できないことが悔しくて、逆足で強いボールが蹴れるチームメイトに蹴り方を真似したり、「逆足どうやって練習したの?」と質問攻めにしたりして、とにかく反復練習をしまくった。

コツコツ毎日練習をしていると、ある日一人のチームメイトから、

「えいわ、そがん左足蹴れたっけ?めっちゃ飛ぶようになっとるやん!」

と言われた。

その時にぼくは、努力を積み重ねることの大切さを学んだ。

ぼくが下手くそな左足でボールを蹴っている様子を見て、誰一人笑う人はいなかったし、上手くなるために質問をしたときも、真剣に答えてくれた。

そんな「環境」があったからこそ、苦手な左足を克服することができた。

サッカーがキライになった高校時代

中学生の時は、とにかくサッカーが大好きだった。

だから、高校でも迷わずサッカー部に入部した。

先輩も同期も後輩も楽しい人達ばかりで、スゴく楽しかった。たった1つの問題を除いては…

唯一にして最大の問題。

それは、サッカー部の顧問。

人生で出会った人の中で、ダントツで最低な人だったのだ。

教師とか、顧問とか、そういう話以前に、人間性の部分が腐っていた。

この話は広げすぎると超ネガティブな方向にいきそうだから、コレぐらいで止めておく。

だけど、この人のせいでぼくを含め、サッカーが大好きだったチームメイトの数人は、サッカーがキライになってしまった。

(小学校から一緒にサッカーをやってきた親友も、監督にイジメられて退部してしまった。)

辞めてしまったり、キライになってしまった理由はいくつかある。

その中で個人的に一番つらかったのは、「挑戦して失敗したことを否定される」ような指導をされたことだ。

ぼくは体格が小さかったから、中学校の監督には「サイドの方が生きる」と言われ、左サイドのポジションを得意としていた。

だけど、高校の監督はぼくをセンターフォワードで使い続けた。

不本意だっけど、試合に出続けるために「どうしたら体格が大きい相手から点がとれるか」を自分なり考えてプレーしていた。

サッカーって面白いもので、点が入る時はどんなシュートもゴールに吸い込まれていくんだけど、入らない時はトコトン入らない。

調子が悪くシュートが決められないぼくに、監督はほとんど暴言みたいな言葉をベンチから浴びせてきた。

「バカじゃないのか!」「なんで決められないんだ!」「お前なんか一生使わねえよ!」

文字にすると、どこか愛があるようにも感じるけど、そんなものは微塵も感じない。

こういう言葉を浴びせられていく内に、ぼくはシュートを打つのが怖くなっていた。

シュートを打たないと点が取れないと分かっていても、外した後に暴言を言われるのが怖くてパスに逃げる。そんな消極的なプレーをするぼくに、監督は更に厳しい言葉を浴びせてきた。

最終的には、試合に出ること自体が怖くなっていた。

「自分なりに考えてやっているのに。勇気を持ってチャレンジしているのに。失敗したら全否定される。もう嫌だ。」

そうやって、どんどんサッカーがキライになっていった。

「環境」がいかに大切か

最高の中学時代と、最低の高校時代。

両方を比較した時に明らかに違ったのは、「環境」だ。

中学時代はシュートを外しても、「ナイスチャレンジ!次行こう!」と声を掛けてくれる仲間と監督がいた。

高校時代はシュートを外すと、「お前なんかいらねえよ」と挑戦を否定する監督がいた。

結果的に強かったのは、中学時代のチームだ。

圧倒的にのびのびプレーができていたし、なにより皆がサッカーを楽しんでいた。

挑戦を認め合い、失敗を否定せず、次に繋げる声掛けができる。

そんな環境づくりができていたからこそ、強かったし楽しかったのだ。

高校時代はその環境がなかった。

「いかに監督の機嫌をとるか」

そんなバカバカしい動機でサッカーをしていた。

だから、最後の大会で負けたときも涙が出なかった。一生懸命練習したはずなのに。

もう一生こんなムダな時間を過ごしたくはない。

もしこのnoteを読んでくれているあなたが今、挑戦を否定される環境にいるとしたら、迷わず逃げ出して欲しい。

その環境にいても、その環境でもがいたとしても、その先に1ミリたりとも成長はない。

不安や恐れからの行動では、何も得られないということを伝えたい。

最後に

ぼくは今、長崎のスタートアップでインターン生として働いている。

この会社にいる人達は、仲間の挑戦を全力で応援してくれる。たとえ失敗しても、チャレンジしたことを認めて、次に繋がる言葉を掛けてくれる。

そんな環境だからこそ、怖がらず挑戦ができるし、成長していけている。

ぜひあなたも、失敗を恐れず挑戦ができる環境を見つけて欲しい。

失敗は人生の資産になる。

たくさんの失敗の先に、大きな成長が待っている。

そう信じて、ぼくは20代はとにかくチャレンジしていく。


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