You’d be so nice to come home to. 「英語のそこのところ」第101回
【前書き】
今回、投稿するエッセイは7年前の2016年2月4日に水戸市の「文化問屋みかど商会」のファクシミリ配信誌に掲載されたものです。時節にそぐわない内容はご容赦ください。
今回は、私が進学塾勤めをしたころにやった大失敗のお話です。英語って難しいですねぇ。(著者)
拙著「英語の国の兵衛門」のkindle版を出版しました。
2008年に株式会社メディア・ポートより上梓され、その後同社の解散により入手不可能になり、みなさんにはご迷惑をおかけしておりましたが(一時は、古本が2万3万ぐらいで取引されていたようで。いやはや、私には一銭も入りませんが_| ̄|○)、kindle という形で復活させることが出来ました。
これを機にぜひお手に取ってみてください。
【本文】
あちこちで、書いたり話したりしているので、またその話かと思われるかもしれませんが、私はもともと英語が好きだったわけじゃなくて、むしろ嫌い。言語は、日本語が一番。繊細で美しいこの日本語を使って、それを仕事にしたいなぁっと思っていたタイプです。
なので、学生のころから出版社でライターの真似事をやらせてもらったり、大学では小説の同人誌を作るサークルに属していて、小説を書いたり、議論を戦わせたり、踊ったり、呑んだり(後半に行くほど頻度が高い(笑))のいわゆる文学青年(恥)で、日本語どっぷりの生活をしていました。まぁ、そんな自分が進学塾で英語を中学生に教え始めて、次は高校生。出版社の編集に立ち寄ったけど、これも英語の編集だったので、結局英語。そのあとは、英会話スクールで語学カウンセラーをやりながら、英語エンターテイメント小説と名付けられた本の上梓。で、いまは、こうやって英語やNative English Speakerにまつわるエッセイを書かせてもらったり、お座敷がかかれば、英語・英会話をお伝えさせていただいたりしています。
まったく不思議なもので、英語が嫌いだった自分がずっと英語にからんだ仕事をしてるわけで、人生ってやつぁは本当にわからないものだなぁ って気がしています。嫌いだった英語に助けてもらっているわけですからね。そろそろ好きになったほうがいいのかも(笑)、なんて思う時もある。
でも、この英語ってやつは、私を数知れず助けてくれたんですが、ときたま意地悪もしてくれる。まぁ、中学・高校時代にきちんと勉強してこなかったものだから、思わぬところで思わぬチクリがあります。今回は、そういうお話をちょっとご披露したいと思います。
「徳田先生! 船堀から電話です」
「は~い」
徳田は赤ペンの動きを休めることなく、受話器をとった。受験も大詰め、今夜中に採点を終わらせて、明日には生徒たちに返却してやらねばならないのだ。社内電話くんだりで手を休めるわけにはいかない。
「徳田先生ですか? 船堀の藤原です」
船堀支店の英語主任の藤原だ。いくぶん声が緊張している。
「お疲れ~。どうかしました?」
「今回のテスト、徳田先生が作成されたんですよね?」
「そうだけど?」
徳田は本店の英語の主任をしている。塾内テストを一手に引き受けて作成するのは、徳田の仕事だった。
「あの、大問3の4の問題、別解が出ませんか?」
「別解?」
さすがに徳田の手が止まる。
テストで別解を出すと難易度が変わることになってしまう。答えが二つあるということは、難易度が下がることを意味する。想定外に、平均点が上がってしまい生徒たちの伸長の度合いを正確に測れなくなるのだ。そのため、テスト作成では別解を出さないのが大原則だった。
「ちょっと待って、問題みるから」
どっと汗が噴き出すのを感じながら問題を取り出す。大問3の4。不定詞の問題だった。
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