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私の夢は、ムダ知識の海で泳ぐこと。

森羅万象について大量の知識を得て、それを何の役にも立てずにただ保持しておきたい、っていう勝手極まりない願望の話。




「今一番欲しいものは?」
そう訊かれたら、どう答えるのだろう。

人間関係のストレスがない環境とか、あらゆるスキルとか、健康な身体とか、お金とか、私だってそういうものは当然欲しい。

でも「一番」欲しいものは何かと言われたら、「見境なく膨大な実用性皆無の知識群」と答えざるを得ない。


何かの役に立つ、有益な知識は当然素晴らしい。
誰かや社会のためになれば嬉しいし、それで儲けを出せたら他の望みも叶えられる。
実際、そういう実用的な知識も欲しい。

だけどやっぱり、全く何の役にも立たない無駄な知識の方がいい。
好き。

「それ知ったところで何になるん?」って自分で自分にツッコミが入れられるようなやつがいい。
人にしゃべったところでただのひけらかしにしかならない知識なんかもう最高すぎる。


たぶん、多くの人には理解されないと思う。
でも私はとにかく実用性のない知識が欲しい。

どうして?
……いや、理由とかいる?

別に化学の仕事をするわけでもないけど元素に詳しくなってみたい。
バードウォッチングとかしないけどいろんな鳥類を知りたい。
占いとか全然信じないタイプだけど、スピリチュアルについて知るだけ知ってみるのも悪くない。

そうして特に必要もない知識をたくさん集めて、誰かにひけらかすでもなくただただ知っていたい。
自分の知識量を前に部屋でにやけて寝たい。

ただそれだけの野蛮な願望。




でも、そんな願望をちゃんと自覚するトリガーが引かれたのは割と最近のこと。


ちょっと前に、クイズプレイヤーの知人ができた。
度々クイズの話(出題ではなく、クイズプレイヤーとしての経験や興味などの雑談)を披露してくれるのが楽しくて、そういえば私も小さい頃はクイズが好きだったな、と思い出す。
いや、好きなのは今も変わらないのだけれど。

どういうわけか、NHKの教育系コンテンツや休日朝のアニメのような「子ども向け番組」に触れていなかった幼き日の私は、クイズ番組が大好物だった。
当然ながら数年しか生きていない頭なので問題に正解できるわけでもない癖にね。
とまあ、それがだいたい幼稚園~小学校中学年くらいの話。

それが気づけばクイズ番組をあまり見なくなって、クイズとの距離も空いた。
でもクイズが好きじゃなくなったな、なんて思うことはなかったし、問題に出会えば解きたくなる。
好きなことにはずっと好きなのだ。
その気持ちに気づかなくなっちゃっただけで。

たぶんだけど、どこかでバラエティ番組としてのクイズが肌に合わなくなったという側面はあると思う。
クイズ自体はずっと好きだけど、バラエティのクイズから離れた先で他のクイズに触れる場所を知らなかった。
結果的にクイズから離れたのはたぶんそういうこと。
そこで競技クイズへの入り口に出会っていれば、もしかしたら今頃クイズプレイヤーになっていたのかもしれない。
2割くらいはその可能性もあったんじゃないかな。


楽しそうにクイズの話をしてくれる知人に出会い、そういえばクイズって「ただ知っているだけ」のことが強みになる側面があるな、と感じた。

もちろん、クイズをきっかけに知識欲を広げて得た知識の一部がどこかですごく役に立つこともあるだろう。
そしてそもそもクイズは知識量が全てではないことも一応わかってはいるつもりだ。

だけど、万物を標的に何か知っていれば知っているほどそれがプラスになって、それが喜びや楽しさに繋がっていくのも確かだと思う。
知識を得る瞬間に、それをクイズ以外の何かに生かしていこうなんて計画性はたぶんない。
あってもいいけど、なくてもいい。


まあクイズ好きとは言えど所詮はプレイヤーでもないど素人なのでそんなのは幻想なのかもしれないけれど、私はそんな印象をクイズに抱いた。

そしてそれこそが私のムダ知識への憧れの裏づけだと思う。




やっぱり私は、何の役にも立つ目処のない知識をたくさん得たい。
知ること、学ぶこと、賢くなること自体をひとつのゴールともしていたい。

それの何が好きなのかはわからない。
好きに理由はいらない。


小さい頃は、勉強する意味なんてわからなかった。
学校で教えられること以外の興味関心も学びであることだって知らなかった。

それがいつの間にやら、知識や技能は価値創造のために使って初めて意味のあるものだ、と考える人や言葉に囲まれている。
私たちにとっての「学び」は、明確な目的があって取り組むものに変化していた。

それは間違いなく「成長」で、とても立派で尊いこと。
だけど子どもの頃の、訳もわからないままの学びこそ、実は学ぶこと自体の魅力と近いところにあったのではないかと、今では思える。

少なくとも私は、それが好きみたいだ。


知識で人や社会に貢献するのはもちろん素敵なことだけど、別に知ることそのものを楽しんで満足して寝たっていいじゃない。
私にとってはそれが一番「生きてる」って感じがする。


あ、でもそういえば、私は創作をする人間なので、どんな知識もその引き出しになるから無駄ではなくなってしまうな。
どうしたって、知識が知識である時点で実用性皆無なんかじゃない。

まあ、それで生まれる創作物が何の役にも立たないんだからOK、無問題。


そしてさっきから散々知識が欲しい欲しいって言って。
実際のところ頑張ればいつからでも手に入れられるものなんだけどね。
特別な権威も財産もなくて大丈夫。
魔法のランプがなくても実現できる。
安全で便利な環境に恵まれたことへの感謝さえあれば。

必要なのは努力。
じゃあ、やっぱり知識の前に克己心が欲しいです。




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