物語を要約するということ
小説やドラマ、映画、MV、などなど。
そこに描かれた物語を、簡潔に要約して他者に伝えるということは果たして可能なのだろうか。
趣味のレベルで拙い物書きをしたことがある人間として思うこと。
私は高校時代、文芸部で小説を書いていた。
だから、誰かと部活動の話をするとき、当然ながら私は文芸部の話をする。
そしてこれは、高校在学中に限った話じゃない。
私は高校の文芸部を引退してから、いろいろあって小説は書かなくなった。
だけど、大学進学後も中学や高校での部活動の話をする機会は度々ある。
そこで「文芸部で小説を書いてました」って打ち明けると、よく訊かれるのが、
「どんな話書いてたの?」
という質問。
話を広げようとして、あるいは興味を持ってそう訊いてくれるのは素直にありがたい。
ただ、本当に申し訳ないのだけど、正直この質問が非常に困る。
自分が書いた物語を簡潔な言葉にして伝えることができないのだ。
せっかく私の話を深堀りしようとしてくれているのに、すごく適当な受け答えはしたくないし、質問にはしっかりと答えたい。
だけど、それが会話である以上、どうしてもできるだけ簡潔に伝える必要がある。
短く伝えることを放棄して、めちゃくちゃ時間と言葉を使ったら、ある程度は伝わるのかもしれない。
だけど、ちょっと訊いてみた程度の質問にいきなりマシンガントークをされたら、質問した側はきっと引いてしまう。
だからといって、伝える言葉を短くすればするほど、私の物語は私が思っているのとは違った形で、歪んだ形で、相手に伝わることになる。
たとえば、何か自分が好きな小説とか映画があって、それを知らない誰かに説明するとき、たぶん簡単に話の内容を説明しようとすると思う。
そしてその行為が抵抗感を伴うことはない。
だけど、自分の物語を要約される側になる経験(要約する側も自分だけど)を重ねて、物語を要約しようとすることによって生まれる歪みを知った。
「どんな話書いたの?」
「それってどんな話なの?」
頑張って簡潔に説明したって、返ってくる感想は、自分が思っているものと違うもの。
ついつい、反論したり、訂正したり、補正したり、口を挟みたくなってしまうもの。
まあ、実際に小説を読んだ読者も十人十色の解釈をする。
小説なんて手法を使っている時点で、思ったように伝わらないことは飲み込まなくちゃ。
そうは思うけど、実際に読んでもらって想定外の解釈をされるのと、その場数秒での要約によって誤った解釈をされるのはやっぱり違うな。
後者はなんだかもやもやする。
そもそも、物語は「出来事」ではない。
主人公がいて、主人公の感情があって、その周りで出来事がたくさんあって、それらの出来事にはつながりがあって、登場人物みんなの思惑が絡み合って、主人公が成長していく。
それだけではない。
何気ない日常の風景がある。
物語の結末には全く影響を及ぼさないような細かい描写がある。
そして、作家の表現のクセがある。
一見、物語には関係のないようなもの。
「要約」のためには省かれてしまう、目立った出来事ではない部分。
それらが全て合わさったものが、「物語」となる。
だから、物語の要約は難しい。
だって、その物語の尺は、その中で表現したいものを表現するために必要な長さでもあるのだから。
その長さが物語の正体であり、それを要約するって、どんなに上手く説明しても作者が描いた物語そのものではないと思う。
私は決して上手に物語を描けるわけではなく、作家と呼ばれるようなものでもない。
だけど、自分の物語にはしっかり愛着があるし、特別な思い入れをもって書いていたことだけは事実だ。
簡単に、軽い気持ちで、むやみに物語を「要約」して伝えてしまうこと。
それって、作家にとってはあまり幸せではないことなのかもしれない。
一流作家の方々の答えは知らないが、創作をかじったことだけはある身として、私はそう思った。
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