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【一橋祭2023】一橋世界史予想問題・第一問詳解

 初めまして、アインズ3期(一橋社会1年)の未翔完みしょうかんと申します。この記事にどのように辿り着いたかは分かりませんが、恐らく一橋祭のアインズ企画・一橋社会予想問題展示を見て、私がつくった世界史第一問の誘導に乗って来た人も多いかと思われます。
 この記事では予想問題・世界史第一問のより詳しい解説を行いたいと思います。本当なら展示で全て解説し尽くせれば良かったのですが、意外と時間が無くて断念しました。また、個人的に作成した類題も載せると豪語していたのですが、紙幅と時間の都合で今回は詳解のみを記事にすることにしました。類題についてはまた別の機会に記事にしたいと思います。
 ではさっそく解説と行きたいところですが、まずは問題をもう一度見てみましょう。我ながら、よくできた問題だと思います。

一橋世界史予想問題 第一問(作・未翔完)

 さて、ここで詳しく解説を加えたいのは本題である「文章Aのような中世ドイツの歴代皇帝評が生まれた思想的コンテクスト」です。

解答 

 これについては解答の「しかしこの政策は~」以降で述べられています。この部分は完全に教科書の範囲外です。もっと言うと、文章Aの参考文献である三佐川亮宏『オットー大帝——辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』(中央公論新社)から取ってきた内容になります。この本は今年、2023年8月25日に発行され、僕は9月あたりに個人的な趣味で購入しました。その後、一橋祭で予想問題を作成する運びになった時にこの本のことが思い出され、題材にしようと思い立ったという経緯があります。
 それはともかく、この本の終章『オットーの遺産——神聖ローマ帝国とドイツ人』ではオットー「大帝」の評価が述べられています。カール大帝と比肩するような事績を為しえたのかという点については様々な批判が可能だと言及しつつも、一つ事績として「普遍的皇帝権に内在する民族形成作用」(p. 273)を挙げています。つまり、オットー一世が再生させた「ローマ帝国」といういわば仮想空間が、西欧カトリック世界における諸民族の共生の場として機能すると共に、諸民族の遭遇に伴う(ネガティブな)他者認識への反作用たる「我々意識」の醸成を促すことになったというわけです。
 例えば「ドイツ人」。この定義は現代でも難しい。「ドイツ語を喋れる人々」という定義なら、現代のオーストリアに住む人々も、ドイツ語を第二外国語にしている大学生も該当するかもしれません。便宜的に「主権国家たるドイツ国内に住む人」をそのように括っているにすぎないのです。もっといえば歴史的な定義ではないということです。ならば「ドイツ人」とは? 「ドイツ的」とは何なのか? 三佐川氏によれば、それは「対外活動を合同で担い、かつ高度なイタリアの文明世界との接触という体験を通じて一種の「運命共同体」へと変貌し、従来の民族間の競合意識を超越した、より高次の共属意識を育んでいった」「個々の民族の対等性を前提として、その上位に新たに形成された大民族」(p. 271)です。ゲルマン民族と一口に言っても、フランク人やらザクセン人、更には南ドイツのシュヴァーベン人やバイエルン人など多種多様な部族がいます。最初はフランク人とザクセン人によってのみ担われたオットー朝が、イタリア政策という外征を通じて南ドイツの諸侯・諸民族と共に外部の「イタリア人」と接触することで、段々と彼らに対する対抗概念として「ドイツ人」という「我々意識」が生まれた。このことを指して「普遍的皇帝権に内在する民族形成作用」というわけです。
 因みに、この作用が初めて指摘されたのは本問の文章Bで引用されているフライジング司教オットーの『年代記』においてです。この文章Bを引用した後、三佐川氏は以下のように述べています。

 「ローマ帝国」の皇帝位獲得と「ドイツ人」の形成の因果関係、すなわち「ローマ帝国を担うドイツ人」という特殊中世的なアイデンティティを見事に喝破した一節である——「ローマ帝国なくしてドイツ・ネーションなし」。(p. 274 なお最後の一節はMoraw『Vom deutschen Zusammenhalt in älterer Zeit 』からの引用)

 さて、そうなると19世紀ドイツの学者たちが「ドイツ人」の利益を損ねるものとしてイタリア政策を批判するのはお門違いということが分かるでしょう。むしろイタリア政策はそれまで存在していなかった「ドイツ人」意識の形成に寄与したのですから。近代においてつくられた概念である国民国家を基準にして、中世の皇帝政策を評するのはまさに「時代錯誤アナクロニズム」(p. 270)でしょう。そのことに言及して結論とすれば、本問の論述は完了ということになります。東方政策については放置し、オットー大帝のイタリア政策にだけ言及しなくてはならない点にも注意が必要です。
 最後に『オットー大帝』における興味深い記述について言及して終わりたいと思います。pp. 278-279にかけての記述です。
 
 一八世紀末、ローマなき「ドイツ・ネーションの神聖ローマ帝国」は、フランス革命政府への敗北を通じて統合の求心力を失い、今や「国家」というよりもむしろ「状態」に近い観を呈していた。残されたほとんど唯一の絆は、(中略)「民族精神論」に基づく、「言語」の共通性というフィクションである。すなわち、ロマン主義時代のドイツの知識人は、フランスの自由・平等な個人に立脚した「国民ナシオン」という啓蒙主義流の政治的原理に対するアンチテーゼとして"自然"に生成し、共通の「言語」を結節点として固有の成長を遂げていく有機的オルガーニシュな生命体としての「民族フォルク」なるものを"発見"した。それは、(中略)ゲルマン人とドイツ人を同一視する「ゲルマン・イデオロギー」と結合し、遠き太古の古ゲルマン社会にまで遡るドイツ人の「歴史」の不断の連続性という言説を、新たに構築し始めるのである。

 ローマなき神聖ローマ帝国=「第一帝国」が崩壊し、新たにドイツ帝国という「第二帝国」が成立した時、彼らが国民統合の為に用いたのは「民族フォルク」でした。その帝国も崩壊し、ヴァイマル共和政へと移行した後も、人々は「民族」をこいねがっていたのかもしれません。そして遂に、彼らが自ら望んで成立させたのがヒトラー政権=「第三帝国」です。……ヒトラー政権が国民統合の為の一手段として開発した国民車の名は「フォルクスワーゲンVolkswagen」。
 停滞と混迷が続く現代、自らに「ドイツ的」とは何かと常に問い続けるこの国・地域に、僕は目が離せません。向かう先は「第四帝国」の影か、それとも西欧発の民主主義を護持するヨーロッパの防壁か? それとも?

参考文献
 三佐川亮宏『オットー大帝——辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』2023年、中央公論新社
 木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』2017年、山川出版社
 鳴海久紀編『一橋大の世界史20ヵ年[第4版]』2021年、教学社

 以下に、一橋祭にて展示していた解説並びに傾向などアドバイスも添付しておきます。ぜひ参考にしてください。

解説
傾向などアドバイス

 ホントにホントに最後ですが、この記事を執筆した未翔完のTwitterアカウントを追記しておきます。何か質問・感想などありましたら、遠慮せずDMなどで送ってくださいますよう宜しくお願いします。
 Twitterアカウント→@mishokan0626

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