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忘れられない人と、夢と、自己再生力と。

これまでいろんな良い夢も悪夢も毎晩見てきたけど、一つだけ、忘れられない夢がある。完全に自己満足でしかないけど、自分の未来への整理と昇華のために書き残しておく。
一つの恋愛エピソードとして、まるで居酒屋でたまたま居合わせた人から聞いた話として捉えてもらえればと思う。

これは私が20代半ば〜後半の時、年齢こそひとまわり離れていたが、付き合ったり離れたり、でも最終的に友人として続いていた男性のことだ。


1.出会い

その彼はプロダクトやUIのデザイナー。

当時、私はWebサービスのプロデューサーをやっていて、元々の価値観も仕事内容もお互いにすごく近かった。

彼はヨーロッパの大学を経験し、それがあってかストリートやヒッピーっぽさもや思考もありながら、でもお高く止まってるわけではなく、卒論に「日本文化とデザイン」を書き上げたり、地方のお土産屋で売っている陶器のちっちゃい動物の置物が好き、という絶妙なバランス感であった。

彼は末っ子というのもあったかもしれないが、好みや価値観こそパンクなんだけど、無茶はしなくて堅実な人生を歩むような人だった。

出会ってから、彼と私は「デザイン」「Webサービス」という似た仕事やルーツがあり、よく過去と現代のデザインやアートの話をしあった。

当時まだまだ未熟で小生意気だった私に対して、彼が教えてくれる海外や古来からのデザインやアートの話は、とっても刺激的で、私の価値観を広げてくれた。
まあもう、、、当時の私は彼にゾッコンで、兎に角めちゃくちゃ好きであったのだ。

2.お別れ

しかし私はまだまだ人としてめちゃくちゃ未熟だった。
テンプレかよ?ってくらいすぐムキャーっと勝手になって自爆。

そして彼との関係においても、私の片想いの期間は長かったし、付き合っても関係は結局散々なもので、恋人としての関係もフラれる形であえなく終了。

3.続く友人関係と一言

ただ当時、私の彼に対する気持ちがかなり強かったこともあり、引き続き何年かに渡ってお互いに友人として関係は続いていた。

(ああ、そういえば…彼が次に狙ってるっていう次の相手の話も聞かされたわ…その話する時点で、彼は私を遠ざけようとしているって考えは無かったのか自分。メンタル強すぎるだろ!…まあそんな感じのパワーバランスだった)

たまにお互い気ままに連絡をとっては、仕事や転職のことを適当にシェアしあう仲。


しばらくして、私も別の人とまたお付き合いしたけれども、その人とは私のアイデンティティを否定される形でお別れをして、私は自信を失くしてめちゃくちゃしんどい時を迎えた。


その時の愚痴相手は彼だった。

私は、この激凹みしたアイデンティティと自己肯定感をなんとか回復させたく、正直、頭をよしよしと撫でてくれる相手として彼を頼ったっていうのも下心的にはあった。

そんな中、私が愚痴まじりに、だけど正直に、私なりの相手に対する考えや行動をアレコレ話すなかで、ふと私に放った一言。

「いい女になったね」

もうお互い恋愛関係に戻るような間柄ではなかった。
私たちはただの飲み友達。

だからこそか、この言葉が放たれたことがとっても意外で、突然の言葉だったから、私は強がって
「でしょ???私とあの時お別れしちゃって残念でした〜」
なんて軽く答えて、お互いに茶化し合った。

でもこんな言葉をくれたこと、そしてそんな関係を続けられたたこと自体がはめちゃくちゃ嬉しかった。もう恋愛的な力関係や駆け引きなんて無しに。

そしてお互いほろ酔いになりながら、渋谷のハチ公口前で色気皆無、健康的に「バイバイ〜またね〜」と、大学生の友達のように爽やかに解散。

今でもこの夜のことは鮮明に覚えている。
「ああ、大好きだったこの人とは恋愛関係じゃなくて、人としてこれからも関係を続けられるかもなあ」
ってぼんやり思っていた。
今までで一番心惹かれた人だったけれど、そんな人生も悪くないかなあ、なんて考えていた。

4.言えなかった「さようなら」


その直後、彼と連絡が途絶えた。



LINEが一切既読にもならない。



数週間後。
彼がこの世を旅立ったことをご家族からの連絡で知った。

雪が降る冬の日、不慮の事故だったらしい。


この時の自分の感情はよく覚えていない。
思い出せないし、あまり思い出したくない。

悲しい。
けどそれ以上にやりきれないというか、自分の感情が、この目の前の状況の意味や意義がまるで分からなかった。

「泡」っていうのは、こういうことなのかもしれない。

またその時、不幸にも私の周囲で同様に「いなくなる」ということは続き、このことに直視ができず、一層よく分からなくなっていった。

もはや「いなくなる」ということに対して、心は朧げになって自覚できず、それを理性的に言語化して向き合うのも出来ずにいたと思う。
そしてこの頃、私が彼の次に付き合った人とのお別れも色々と重なった結果、私はメチャクチャ好きだったお酒も食事も進まず、大人になってから人生で一番痩せた。

5.忘れられない人と夢

そんな中。
ある初夏に近づく夜、夢に彼が現れた。



電車の中、私とその彼は2人でドア近くに立っていた。



座席にポツポツと人が座っている、静かな昼下がりの車内。

そこでは、彼は次々に座席に座っている男性を指差しては、「あの人は〜〜〜で…」だとか、品評するかのように私に話しかけてくる。

その人たちの顔は朧げで、はっきりとは見えなかった。ただ、ある一人の男性が席の端に座っている。彼は私を引き連れてその人の正面に立ち、

「この人は本当にいい奴だよ。だから(私を)よろしく頼むね」

と、引き継ぐかのように、私をその人に紹介してくれていた。
「え、どうしてそんなことするの?」
と、彼に聞こうと、私は振り向いた。

彼は一体どんな表情してるのだろうか…?




…ここで私は目覚めた。
ああ、これは私の夢だった。

今もこれを書いてて、この気持ちは悲しいのか、寂しいのか、悔しいのか、よく分からない。でもその時にまず一番に浮かんだ言葉は

「今までありがとう」

だった。

6.夢の終わりと再生力

ここまでエピソードを一連書き連ねたが、今回私が伝えたいのは、単なる不幸トークなのではない。

不条理オンパレードな私でも、励ましてくれるような光明が見えた、ってことが起きて、そしてずっと考えてきて、いまその先に辿り着いたことがある。


所詮、夢なんて、私の記憶の断片映像の寄せ集めなのだ。


夢は、自分の脳が記憶を整理する過程で生じる、ランダムな映像の繋ぎ合わせでしかない。
SF映画のように誰かが外部から注入するものじゃなくて、きっと脳の主である私の願望が反映されているんだと思う。


だから「夢」って、その彼が私のために与えた贈り物なんかじゃない。

救いを求める私の脳が作り出した、私が見たいと思う都合の良い、単なる映像なのかもしれない。
彼と私の関係なんて、言ってしまえば、結局はお互いの傷の舐め合いだも言える、カッコ悪い友人関係だったし、私も記憶の中できっと折り合いをつけて、ポジティブな意味づけをした結果なのかもしれない。

「夢」の原理を調べるほど、彼と私の「実は運命的な繋がりがありまして〜」的な、エモーショナルな期待は減っていく。

ただね。
そんな私が、こんな夢を見て嬉しい気持ちになれたということは、私自身はそれを望んでいたことであって、この夢はきっと、私自身の「自己回復力」から生まれたのだと思う。

この先、私の心身が、この映像を私が生きていくために必要だと判断したのだ。

傷口にかさぶたが作られ、皮膚が守られて、やがて新たな皮膚に生まれ変わるように。

私が本来動物的に持っていた治癒力であり、また、希望を持って明日を生きていくための回復力なのだ。
これまでは、決して良いといえないカッコ悪い道のりだったけれども、結局、今までの彼の存在や関係が、私にこの夢をももたらしたのは間違いない。




彼がこの世を去って以来、ずっとこの夢に対して意味付けができていなかった。
また私と彼の関係は一体なんだったのか?と考えても綺麗な答えは出なくて。

でもあの夢はこのためだったんだと、今は思う。
「私に生きるための自己回復をさせてくれた」のだ。

これはどんなに科学が否定しようと、私にとっての意味付けはこれからもずっと変わらないだろう。

むしろ私がそう意味付けたならば、私の脳や回復力は、また夢の中で彼と再会させてくれるかもしれない。少なくとも、彼の存在とこの夢は間違いなく私の頭と心に残り続ける。


まだ私自身も100%整理がついた訳ではないけど、「彼との関係が、夢を通じて私の回復力を助けてくれた」という話。

こうやって定義をすると、情緒や感情が薄くなってしまう気がするし、自分で意味を噛み砕くまで時間はもっともっと必要かもしれない。

 これは偶像崇拝なのか?
 ただ私が過去の幸せにすがっているのか?
 あるいは本当に彼がそう願って私の枕元に現れてくれたのか?
 しかし、はたまたこれらの解を出す必要はあるのか?


多分、私はもう少し夢の中で問い続けると思う。





でも私は、あなたと夢の中とはいえ、電車に一緒に乗っていつも通りにお喋りできて純粋に嬉しかったよ。

to 親愛なるあなたへ
もう少し、私はこの夢を抱えながら今日も明日も歩んでいこうと思います。だからまだ「さようなら」って言葉は仕舞っておくね。
私もあなたも、まだまだお互いに夢の中で生きていけると思うからさ。
ありがとう。

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