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~日光~【世界遺産を色んな角度で見てみよう⑫】

こんにちは!永高の中学受験部屋です。第12回ですね!

世界遺産記事のマガジン連載はこちらからご覧ください。

今日ご紹介する日本の世界遺産は「日光の社寺」です。
1999年に文化遺産として登録されています。

日光東照宮

日光の社寺の中心的存在である東照宮(栃木県日光市)は、江戸幕府初代将軍徳川家康の遺言に従って天海が家康の神霊を祀るために建造しました。さらに1634年から、3代将軍徳川家光が「寛永の大造替」と呼ばれる大改修を行いました。それ以後も改修が続けられ、江戸幕府の権威の象徴ともいえる社殿群が整えられました。

権現造(ごんげんづくり)の代表的な例で、特に極彩色の彫刻で飾る陽明門が有名です。

ほかにも、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻、「眠り猫」なども有名ですね。

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なんで登録されたの?

日光の社寺が評価された理由としては次のような点が挙げられます。

建造物や装飾の創造性・独創性の高さ
・建造物と山林の自然との調和
・日光の社寺が当時の建築技術を表現する遺産であること
・日光東照宮と日光輪王寺の大猷院は権現造の完成形であり、後世の建築に大きな影響を与えたこと
歴史上重要な伝統や文化、当時の人々の慣習や思想を伝えるものであること

これらの点が評価され、世界遺産に登録されました。

知っておきたい歴史知識

今回は、江戸時代初期の建築物に関連して、江戸時代の文化をまとめてみました!ぜひこの機会に確認してみてください。

【寛永文化】
寛永年間(1624~1643)を中心とする江戸初期の文化。桃山文化を受け継ぎ、元禄文化につながる性格を持つ。担い手は将軍・大名と、公家や京都の上層町衆であり、貴族的・古典的な美の追及に特色がある。
日光東照宮は寛永期の文化です。
【元禄文化】
5代将軍徳川綱吉の時代には、武士に代わって町人が中心となった文化が上方(京都や大阪)を中心に栄えました。
歌舞伎と呼ばれるお芝居や、町人たちの生活をありのままに小説にした浮世草子が生まれ、人々にとってなくてはならない娯楽となっていきました。

浮世草子
『好色一代男』『世間胸算用』『日本永代蔵』井原西鶴
人形浄瑠璃
『曽根崎心中』近松門左衛門
俳諧
『奥の細道』松尾芭蕉
【化政文化】
11代将軍徳川家斉の文化。文化の中心が上方から江戸へうつり、町人中心の文化でありながら、農村の地主層や武士の間にも広がりました。元禄文化に比べて、生き生きとした明るさは失われ、贅沢で快楽を求める傾向があり、読み物の内容は皮肉や滑稽なものが好まれるようになりました。
また、版画の印刷技術が向上し、錦絵という多色刷りが大成されたことなどの影響もあり、美人画・役者絵、風景画などの浮世絵も広く一般に広まっていきました。

滑稽本
『東海道中膝栗毛』十返舎一九
読本
『南総里見八犬伝』滝沢馬琴
俳諧
『おらが春』小林一茶
浮世絵
『東海道五十三次』歌川広重
『富嶽三十六景』葛飾北斎

終わりに

いかがでしたでしょうか。
文化史はなかなか覚えにくいですが、なにかに関連付けて覚えると記憶に定着しやすいです。そして、絵画は特に写真も合わせてチェックしておきましょう。

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