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迷子になりたがる人間の脳の中の地図を広げてみる


 大人になってから、必死に迷子になろうとしている。旅行でも散歩でも、知ってる場所から知らない場所へ移行する際の、とりあえず進んでみるときのワクワク感がたまらなく好きなのである。自分の知識の外に出ていくことで脳のナビがバグっていく感覚があり、ドーパミンが急速に分泌されてくるのが分かる。




 『深夜特急』で有名な沢木耕太郎氏は地図を持たずに旅をするらしい。現地で一人で動き、よく観察し、人にものをたずね、そうやって自分の頭の中に地図を作っていく。誰かが作ったものではない、自分が作り上げる自分だけの地図。とても興味深いテーマである。


家にある文庫本。1巻は人にあげて、5・6巻は貸したまま返ってきてない。





 私のお気に入りの地図で、杉浦康平氏のデザイン作品の"時間地図"というのがある。空間的な距離を時間的な距離に変換してダイアグラムとして落とし込んだもので、時空の歪みを感じられる宇宙的で稀有な地図デザインである。



名古屋駅中心の時間地図(1985年)『時間のヒダ、空間のシワ・・・[時間地図]の試み』より



 この時間地図は私の脳内にある地図に近いような気もする。遠距離の移動には交通機関を使うのだから、空間的な遠さよりも交通機関ごとの時間的な遠さを視覚的に表現する方が直観的であるように思える。





 ところで、この私の脳の中にある地図について、距離や空間の感覚で俯瞰してみると自分なりの歪みが見て取れる。

 例えば、東京は北センチネル島よりも"近い"筈なのに、私の脳内地図では東京に住んでるダウンタウンの松ちゃん浜ちゃんは北センチネル島と同じくらい"遠く"に感じる。新宿は"深く"、新宿に比べると渋谷は"浅い"イメージがあるが、海抜で言えば渋谷の方が低く谷底にある。また、別に袋小路になっている訳でもないのに、永田町の"奥"には首相官邸があり、その"手前"には国会議事堂が構えている。そして、これも歪みの一種に思えるのだが、東京の"内"になぜか自由の女神像があり、東京の"外"に東京ディズニーランドがあるのである――。


お台場にて






 このように、単語の持つイメージの相対的な関係性によって空間的なイメージも変わり、それは現実の絶対的な時空に囚われない遥かに自由度の高い地図であることがうかがえる。それは3次元よりもっと多様な次元を持つ何かであるように思える。一応、脳は最大11次元の構造を持つという話はあるが、この場合の次元は物理的な空間のことではなく、神経細胞の結合具合のことである。




 旅によって脳内にある地図を書き換えるのは楽しい。そこにはドーパミンによる期待と、オピオイドによる快楽がある。特に常識が崩壊するような経験や発見であればあるほど、快楽は大きくなる。ゆえに私はより知名度の低い方向へ、常識の境界線の先にある場所へと足を運ぶのである。




 しかし、なぜこんなにも自分は好奇心が強いのだろうか。明らかに過剰で、知識に対して無防備にも思える。古い記憶をたどってみる。これは小さい頃、5〜6歳ぐらいの頃の話なのだが、家で画用紙に絵を描くときに、母親から、物を描く際には物の境界線を先に書いてから内側の色を塗る方が楽だと教わったのを強く覚えている。その学習記憶が私の"底"にあるような気がする――。





終わり





 次週も記事出しますが、シンプルな記事を書きたいなぁ。





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