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2025年までに生産財・建材業界で1,000サイトWeb診断します。(自己紹介)

はじめまして、宮本栄治って言います。生産財業界でWebマーケティングのコンサルやってます。複数の人からnoteを進められ重い腰を上げました。本職である生産財のWebマーケティングについてこれから書いていきます。

生産財って?何って思ってませんか?決して派手ではないかもしれないけど、すごく社会の役に立っているものなんです。でも、その前に「お前誰だよ」って突っ込みが入りそうですね。生産財のこと、マーケティングのこと、これから書いていく前に自己紹介から始めます。

生産財専門のWebマーケティングのコンサルタント

CV総数

いま、コスモブレインズって会社でコンサルタントしています。これまでに3,000社以上の生産財メーカーを見てきました。業界知識をベースにした差別化戦略立案が得意です。そして、生産財業界に詳しいので話がはやいと喜ばれることが多いです。ここ最近ではCV(いわゆる引き合い:技術相談やデモ機貸し出し、見積もり依頼など)は6年連続で対前年比プラスを継続中です。2020年は1年間でCVを9,012件獲得しました。カタログPDFのダウンロードなどはCVにカウントしていません。商談につながる引き合いや購入のみをカウントしています。100万円から300万円くらいの受注はざらです。大きいものだと1億円以上の商談がまとまったこともあります。その秘訣はWeb集客を起点にサイト改善することでCVを増やし、フォロー状況をフィードバックをしてもらうことで、さらにサイト改善、Web集客に再活用する大きなPDCAを回すことです。生産財ではWebサイトだけでビジネスが完結しませんものね。だから、Webサイトの中でPDCAの循環ととどまらせずに営業や技術にまで循環させたほうが効果は絶大です。

広告営業からキャリアスタート

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社会に出たのはバブル崩壊が近づく1990年です。当時は日本のものづくりにすごく勢いがあってジャパン・アズ・ナンバーワンなんて言われていたんですよ。日本の貿易黒字が大きすぎ政治問題になったり・・・半導体業界も世界のTOP10 の多くを日本企業が占めていました。天邪鬼の性格だったので金融系に強いゼミ(国際経済学で南北問題がメインテーマ)だったにもかかわらず、なぜか銀行だけには行きたくない!大手企業にも入りたくない!という困ったちゃんでした。そして、希望通り?設立5年目の技術者向けフリーペーパーの出版社で広告営業を始めました。毎日アポイントが取れるまで電話をしまくっていました。飛び込み営業もしてました。電信柱の広告見てアポイント取ったこともありました。工場団地でポスティングして守衛さんに叱られたり・・・ごくまれにやさしくしてもらったり。今と違ってそんな迷惑行為もなんとなく許される風潮だったんです。初めてのアポイントだったらと、ご祝儀として広告を出していただけたことは今でも忘れられません。要するにそんな緩く寛容な時代だったんです。

生産財の製品情報誌の広告営業というニッチな仕事からのキャリアスタートです。毎年200社以上の生産財メーカーから新製品や最新技術のことを教えていただく日々が続きました。理系出身でもないにもかかわらず、自社技術のことを熱を込めて説明してくれる経営者やエンジニアのおかげでギリギリ生き残ってるって感じの営業だったのです。営業として尖がった強みがないから、やけ気味に「お世辞を言わない」「好きな人しかフォローしない」という方針で営業するようになりました。やけっぱちの一手だったのですが、実力もなく愛想のない自分なのに・・・なぜか?仕事を出してくれるクライアントに恵まれるようになりました。「好きな人しかフォローしない」を武器にした営業にかすかな希望を見出したのです。その小さな成功でターゲットを絞ることに突き進みます。自分が好きな人を突きつめていくうちに、話がはやく、器の大きな人が多く、比較的アポが取りやすい年商5億~20億のオーナー経営者をメインターゲットに、宣伝部のアウトソーシングを価値提供するというコンセプトで営業するようになっていました。知らぬ間にマーケティングを武器にした営業で活路を見いたしていたのです。

挫折と復活

ターゲティングと他の広告営業と違う価値提案で営業成績もよくなり、管理職になることができました。営業センスなくても作戦でなんとかなったのです。しかし、良いことはそんなに続きませんでした。順調にキャリアを積み上げていたのですが、一緒に働くチームのメンバーが次々と止めてしまったのです。管理職失格ですね。そんな時も救ってくれたのは懐の深いクライアントでした。悲惨な状況を見かねてか?「宮本君、アメリカの光通信の製品情報誌にはすごく広告が集まっているよ。マイクロ波の製品情報誌も何種類も雑誌があるんだよ 日本にはマイクロ波の雑誌がないから宮本君が雑誌作ったらレギュラーで広告出すよ」って背中を押してくれたんです。当時、Fiber To The Home(ファイバー・トゥ・ザ・ホーム)が注目され始めていました。日本には光通信系の技術雑誌はありましたが、マイクロ波無線の雑誌はありませんでした。そこで既存雑誌との差別化として、光通信と無線(マイクロ波)通信の融合をコンセプトにした技術情報誌を出そう!と思いついたのです。とはいえ逆風の真っただ中です(自分の蒔いた種ですが)。見本誌すらつくることができませんでした。でも、業界No.1企業のお墨付きがあるのです。他の企業に新雑誌のコンセプトをお伝えし、協力の依頼をして回ったのです。しかし、反応は冷たいものでした。「見本誌はないの?創刊号を見て判断するね」この連続です。でも、粘り強く何度もお願いをしているうちになんとか20社以上の(採算分岐点に近い)の口約束を取り付け、なんとか創刊にこぎつけました。

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出版社からWebマーケティングに業態転換

2冊の雑誌創刊に成功し、営業統括部長に就任。意気揚々と頑張っていたのですが、今度はインターネットの台頭という更なる試練が待っていました。時代の変化に取り残され雑誌事業は年20%の縮小を続け会社がつぶれる危機が迫っていました。その中での経営者交代。一兵卒としてゼロからのリスタート。既存事業の減少を補うために苦肉の策で広告営業の裏メニューとしてリスティング(当時はオーバーチュアー)の営業が新しい役目でした。雑誌広告で取引しているところには案内しないという暗黙のルール。手探りでリスティング、アクセス解析を学びながら実践で身に着けていきました。その後、サイト制作にも着手しましたが、すべてゼロからのスタートでした。自分にできることは3,000社以上の生産財企業に伺ってきた経験と多少のマーケティングノウハウだけだったのです。少ない武器で差別化するしかありませんでした。そんな経験が【生産財業界専門】×【戦略立案】×【Webマーケティング】という自分のコア領域を形作る基礎となっています。

これからしたいこと

今年中にWeb診断500社をコスモブレインズのWebサイトに公開します。誰でも生産財(一部建材)サイトのよくある問題点や改善ヒントを見つけてほしいです。そして、1,000サイト診断をやり遂げます。特に中小製造業ではマンパワーと予算不足でWeb担当者は兼務がほとんど。生産財業界の話ができる外部ブレーンが圧倒的に不足しています。だから、生産財業界でのマーケティングデータと知見を体系的にまとめ情報発信を強化するとともにノウハウを標準化してより早く、より多くの人に手の届く予算で生産財企業のためにWeb戦略の立案と実行をサポートしていきます。皆様こらからよろしくお願いいたします。

コスモブレインズ | Web診断アーカイブ

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