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生きているということ。

谷川俊太郎氏の「生きる」という有名な詩がある。その一部をまず、紹介したい。

生きる

谷川 俊太郎

生きているということ
今生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

谷川俊太郎「生きる」より。

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あの頃、過去に書いた自分の日記を見ているといろんな発見がある。この「生きる」という詩について書いてある。今日はその日記から。

 小学6年の娘のまーちゃんの国語の教科書に、谷川俊太郎さんの「生きる」というとても素敵な詩が載っている。それをまーちゃんは一日で覚えてしまった。(それは宿題だったかもしれないけれど、それにしてもすごい!)それで弟のゆーくん(小学3年)もつられて少し覚えたみたいで、お風呂の中で、ゆーくんとこの詩のことについて話をした。

「ゆーくんはあの詩、どれだけ覚えたの?」

「僕はね、『生きているということ。いま生きているということそれはのどがかわくということ木もれ陽がまぶしいということ』までだよ」「ふーん。そっか。生きてるってさ、どういうことなんだろうね。たとえばさ、『生きているということ、それは歩くこと』かなぁ?」

「ううん、違うよ。それだったら、『歩けること』だよ」

その返事に、とても考えさせられた。親バカも半分入っているけど、すごいよなぁ、子供って。ちゃんとわかってるんだ。この詩のすばらしさが。ここで私は、ちょっと意地悪な質問をしてみた。

 「じゃあさ、歩けない人はどうなるんだろう?」

 ゆーくんは、ほんの少し天井を見上げ、そしてちょっと考えてる。なんて答えるんだろう?私は興味しんしんで、その返事を待っている。やがて、ゆーくんは私に言った。

「わかった!きっとね、『生きているということ、それは歩けない人がいるということ』だよ」

 一瞬、言葉を失った。

ここまでくると、もう、私は言葉に出来なくなってきた。谷川俊太郎さんのこの詩には「歩けない人」という言葉はないんだけれど、そういう受け入れ方ってすごい。こんな素直な感受性。きっと、私の子供に限ったことではなくて、すべての子供たちが持ち合わせてる本当に素直な心なんだろう。私だったら何て答えただろうか?大人の私が、とっくに退化してしまったこの気持ちで。

 私にとっての「生きていること」って、一体なんだろう?

生きているということ、それは
生きているということ、それは・・・。

尽きることのない問い。
繰り返し、考えてる。

その答えはまだ見つからない。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一