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小さな星と生きる意味と。

人間の自然治癒力っていったいなんだろうか?とふと考えていた。どんなに落ち込んだとしても、どんなに哀しいことがあったとしても、どんなにつらくても、どんなに死にたいくらいの出来事があっても、人はちゃんとお腹は空くし、怪我は治すし、息は吸っているし、眠くなればあくびも出る。

その人が、もう生きる気力もないと思っていても、ちゃんと生きていくように人の体は出来ている。その感情に関係なく。こう思うと人間は生きているというよりも、何かの見えない力によって、生かされているということがよくわかる。

真剣に悩みを抱えている人には失礼かもしれないけれど、その落ち込んでいる感情と、ちゃんとお腹の虫をならす体のアンバラスな関係がとても滑稽に思えてくる。まるで「ほら、いつまでも泣いていないで、飯を食べろよ」と体が言っているみたいだ。

所詮、どんな悩みも、この宇宙の広さに比べたらちっぽけなものだ。私の人生も、ほんの一瞬の出来事にしか過ぎない。私はイヤな事があると単純に、そう考えるようにしている。乱立するビルのせいで青空が狭くなってしまったように、私達の心の視野も狭くなってしまってるような気がしてくる。

宇宙飛行士は、宇宙からこの小さな青い地球を見ると、何か仏教の悟りを開いたような神妙な気持ちになるという。こんなに小さなきれいな星のどこかで地域紛争が起きていることが、信じられなくなるそうだ。

そうだよなぁ。たしかに地球には境界線なんてないんだ。実に小さなそれでいて青くてとてもきれいな星だ。いつか人類みんなが宇宙からこの星を眺めることが出来たなら、戦争なんてきっと起こらないのだろうな。でも、それはもっともっと遠い未来のことだ。

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私は子供の頃、空想癖があってよくこんな事を考えていた。もし、この地球が滅んで人類が滅亡したらどうなるのだろう?ただ、宇宙は存在していて、ただ、何の意味もなく、無限に時間が静かに流れてゆくのだろうか?と。

そんな事を思いながら「なんて虚しいんだろう」とよく思ったものだ。(実に変わった子供だ。)ちょうどノストラダムスの予言詩が流行していた頃だったからその影響が強かったのだろうな。その1999年7月も、とっくの昔に通り過ぎた。人はまだ生きていていいみたいだ。

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もし、その見えない力があるとしたら、いったい何を望んで人間を生かしているのだろう?子孫を絶やさない為?じゃあ、なぜ子孫を絶やさない必要があるのか?こう考えて行くと、結局、答えが見つからない。今の私達では、きっとまだわからないことなのだろう。

結局、今、言い切れることは、人は生かされているということ。その人生の意味は誰にもわからない。しかし、そこには何かしら目的があるような気がしてくる。

人はきれいな花を見て感動する、他人のやさしさに涙を流す誰かの不幸を一緒に哀しむ、人を愛する気持ち・・・

そんな人の純粋な心に何かしら生きるヒントがあるような気がする。誰かに「何きれいごとを言ってんだよ」と言われそうだけど、こんなに短い人生だ。こんなきれいごとを私は大切にしたいと思う。狭い都会の中では、心まで狭くなってしまう。人が海を見に行きたいと思うのは、きっとその広い海の中に身を置いて今の自分を見つめなおしたいのだと思う。あんなに苦労した悩みごとも、いつかはきれいな思い出に変わるように。

私は死ぬまでに1度でいいから、宇宙からこの地球を眺めてみたいと密かに思う。もし、それが実現したとしても、間違いなく私はしわくちゃの老人になっている。

でも、私は知りたいのだ。年老いた空想癖の少年は、そのとき何を想うのだろうかと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一