月明かりだけの病室で。
昔のこと。私がはじめて命に関るような大きな病気をしたとき、入院先の同じ病室に吉岡さん(仮名)という60代くらいの男性の方がいらっしゃった。
そのときの私は、自分の見えない恐ろしい病気、手術、そして妻や、まだ妻のお腹の中にいる赤ん坊のこと、仕事のこと。それらのことを考えると、不安で心が押しつぶされるような思いがした。
二人部屋の殺風景な白い病室は、私に余計な不安をあおるだけだった。そんな私に吉岡さんは、いろいろなことをやさしく教えてくださったのだった。朝のお茶の用意の仕方から、風呂の入れる曜日、そしてこの人生を生きるその意味まで。
吉岡さんはすでにその病院に、半年前から入院されていた。「なんでも僕に聞いてよ。ここではベテランなんだから」そんな吉岡さんのあの笑顔が、今でも私の心に焼き付いている。
私の手術が明日に控え、その日の夜、私は怖くて眠れなかった。病院は9時にはもう消灯していた。テレビも見ることが出来ずに私はひとり、まるで深い海の底にいるような気持ちだった。
手術のことを思うと、闇に押しつぶされそうになった。夜がこんなにも静かで孤独なものだったなんて。心がその静けさに怯えていた。そんな時だった。
「これ、食べるかい?」
居酒屋で、おつまみでもすすめられているみたいな、そんな明るい声だった。暗闇から、ぬっとバナナを持った手が私の目の前に現れた。ビックリした。その手は隣りの吉岡さんだった。
「あ、ありがとう。でも明日手術だから・・・。」
と恐縮しながらも私は言った。
「そうか、そうだったな。怖くて寝れないのかい?心配なんて、なぁーんにもないよ。私なんか二度も手術をしたんだ。寝てる間にあっという間に終わったさ。大切なのは”生きたい”という思い、それさえ忘れなければ、人はちゃんと生きていられるのだから」
あの屈託のない笑顔で吉岡さんは語ってくれた。本当はずっと私のことを、心のどこかで心配してくださったのだ。私の心の奥底で、その言葉が染み込んでいった。
「なんだか気持ちがすっきりしました。
もう寝れそうです。本当にありがとうございます」
カーテンから漏れる月明かりだけの病室で私は心からお礼を言った。
そして、吉岡さんは、そのカーテンの向こう側にある月を、そっと見上げるようにして、私にこう言ってくれた。
「なぁに、いいさ。僕にとってあなたはね、
実の息子のようなものだから・・・」
まるでやさしさだけで出来たようなその言葉・・・胸が熱くなった。吉岡さんは、そっと私に布団をかけてくれた。私の心まで包み込むように。
私は眠っているふりで、吉岡さんが寝床に戻るのを確認した。
時がわずかに流れた。
そして・・・私は泣いた。
声が漏れないようにひとり、それでもあふれる涙が止まらなかった。涙があんなに流れることを、そのとき私ははじめて知った。私はその頃、仕事で人間不信に陥っていた。様々な理不尽な出来事に、人が信じられなくなっていた。人は他人にこんなにやさしくなれるということを、吉岡さんは私に思い出させてくれた。人は自分のことよりも、時としてずっと想いやれるのだと。
あの時、私の父はすでに亡くなっていたけど、もうひとりの父が私に勇気を与えてくれた。あの日のことは私にとって、二度と消えることのない永遠の想い出になった。
・・・・・・・・・
吉岡さんは私よりも数日先に退院することになった。タンポポのようなやさしそうな奥さんが、荷物を片手に迎えに来ていた。
「また、どこかでお会いましょう」
そう言って、吉岡さんは私に別れの握手をしてくれた。
握手をしながら心の中では”これがもう最後かもしれない”となぜか私は思っていた。吉岡さんは、私に住所を教えることはしなかった。それでもたぶんそれでいいのだと、私は自分に言い聞かせていた。
ふと気づくと、吉岡さんの奥さんの寂しそうな笑顔が、私に何かを伝えようとしていた。吉岡さんの病気のこと・・・思えば私は何ひとつ、知らないままでいたんだ。
あの頃、私はあの病室で、本当の”生きる”という意味をその人から教わった。
私たちに特別な約束などいらない。
ましてや終わりなんてものもない。
ふたりはあの月夜だけに出会った
特別な親子だったのだから。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一